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2017/08/12

北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート10 其十一 「即身仏」)

 

其十一 「即身仏」。三島郡野積濱(のづみのはま)最上(さいしよう)寺、弘智(こうち)法印の肉骨(にくこつ)也。又、津川駅(つがはのえき)玉泉寺、淳海(じゆんかい)上人、の入寂(にふじやく)の相(さう)、今に不ㇾ朽(くちず)、現然たり。赤水子(せきすいし)、是を説(せつ)す。其(その)戲言(げげん)、一笑に堪(たえ)たり。佛(ぶつ)を學(まなば)ん人、此(この)言下(ごんか)を味ふべし。是等の事を以つて七奇に加(くはへ)たるは、民間の俗、七奇を不ㇾ知(しらず)、卒時(そつじに)、他邦の客(かく)に問訊(もんじん)せられて、是非なく、思ひ出るに任せ、即答に備(そな)ひたるものと覺ゆ。

[やぶちゃん注:「三島郡野積濱(のづみのはま)最上(さいしよう)寺」現在の新潟県長岡市寺泊野積(ここ(グーグル・マップ・データ))にある真言宗智積院西生寺(さいしょうじ)の誤り。

「弘智(こうち)法印」野島出版脚注に、現在の千葉県匝瑳(そうさ)市大浦に当たる『匝瑳村鈴木五郎左ヱ門の二男』として生まれたが(円生寺公式サイトの記載によれば鎌倉時代(西暦一二九〇年代)、『出家して各寺院の住職』となった『後、行雲流水の修行に出て、最後は』先の野積の『西生寺の奧の院不動ヶ滝で、佛教の不二の法門を求め、貞治二年十月二日(一三六三年)に入定』した、とある。詳細事蹟は円生寺公式に詳しい。

 

「津川駅(つがはのえき)玉泉寺」場所を探すのに往生した。グーグル・マップ・データに載らないからである。「BSNホームテレビの「新潟名刹紀行の「番組ブログでやっと発見(地図有り)。それによれば「東蒲原郡阿賀町津川三二四五」が現住所である。

「淳海(じゆんかい)上人、の入寂(にふじやく)の相(さう)、今に不ㇾ朽(くちず)、現然たり」即身仏の個人サイト「とりねこ」のによれば、寛永一三(一六三六)年の入定(七十八歳)であるが、残念なことにこの即身仏は明治一三(一八八〇)年に発生した津川大火の際に消失してしまっており、『現在は遺骨だけが安置されている』という。皮肉なことに淳海上人の即身仏は『火除けにご利益があるとされて信仰されていた』という。淳海上人の細かな事蹟は不詳であるが、その即身仏の『特徴として、土中入定をしていない点と堂に安置されたという点があげられる。これらの特徴は平安時代の初期即身仏や高野山系即身仏と共通するものである。淳海上人の安置される寺の親戚筋の寺院のすぐ近くに』崑崙が先に掲げた『弘智法院の西生寺があること、高野山と湯殿山両方で修行したことなどから、淳海上人が近畿から東北へと即身仏信仰を伝播させた役割を果たしたものとみられる』ともある。

「赤水子」水戸藩の学者長久保赤水。複数回、既出既注。

「其(その)戲言(げげん)、一笑に堪(たえ)たり。佛(ぶつ)を學(まなば)ん人、此(この)言下(ごんか)を味ふべし」赤水の原文が何なのかも不明で、当たることが出来ないから、はっきりしたことは言えないが、この「戲言(げげん)」「一笑に堪(たえ)たり」「佛(ぶつ)を學(まなば)ん人」は読んだら、さぞかし、ためになるだろうよ、といった所謂、強烈な侮蔑に満ちた言い方から見て、恐らくは水戸学の赤水にして、この淳海上人の入定と即身仏を例外的に、好意的に褒め讃えているのであろうと私は読む。崑崙、一筋繩ではいかぬ人間である。

「是等の事」指示内容の範囲が不明。一応、前の親鸞絡みの「逆竹」と、この「即身仏」以下、次の「七ツ法師(ほうし)」や、やはり親鸞絡みの「八房の梅」といったキテレツ系仏教の条々と限定しておく。胡散臭い仏教系のそれらなど「奇」とするに足らぬ、凡愚の俗人は、すぐ坊主の話をありがたいと思い込むから手におえない、という崑崙の依怙地な節(せつ)が伝わってくる附言である。]

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