和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 行夜(へひりむし)
へひりむし 負盤 氣蠜
※盤蟲
行夜
俗云※蟲
ヒン ヱヽ
[やぶちゃん注:「※」=「尸」の下の中に「氣」。]
本綱行夜蟲有短翅飛不遠好夜中行人觸之卽氣出此
與蜚蠊形狀相類但有廉薑氣味者爲蜚蠊觸之氣出者
爲氣蠜今小兒呼※盤蟲
△按行夜卽※蟲與蜚蠊不相類其頭黃背黒而有黃文
尻扁大觸之則※有音有煙甚臭
*
へひりむし 負盤 氣蠜〔(きばん)〕
※盤蟲
行夜
俗に「※蟲(へひりむし)」と云ふ。
ヒン ヱヽ
[やぶちゃん注:「※」=「尸」の下の中に「氣」。音は不詳なので読みは示せない。]
「本綱」、行夜蟲は、短翅有り、飛〔(とぶ)〕こと、遠からず。夜中を好みて、行く。人、之れに觸〔(ふる)〕るときには、卽ち、氣、出づ。此と蜚蠊(あぶらむし)と、形狀、相〔(あひ)〕類す。但し、廉薑〔(れんきやう)〕の氣味有る者を蜚蠊と爲〔(な)す〕。之れに觸れて、氣、出〔(いづ)〕る者、氣蠜と爲〔(な)す〕。小兒、今、「※盤蟲(へひり〔むし〕)」と呼ぶ。
△按ずるに、行夜は、卽ち、※蟲〔(へひりむし)〕。蜚蠊(あぶらむし)と相〔(あひ)〕類せず。其の頭、黃、背、黒くして黃文有り、尻、扁〔(ひらた)〕く大〔なり〕。之れに觸〔(ふる)〕れば、則ち、※(へひ)る音(をと)有り、煙〔(けぶり)〕有り、甚だ臭し。
[やぶちゃん注:一応、鞘翅(甲虫)目飽食(オサムシ)亜目オサムシ上科ホソクビゴミムシ科 Pheropsophus 属ミイデラゴミムシ Pheropsophus
jessoensis 或いは、その近縁種としておく。ウィキの「ミイデラゴミムシ」によれば、所謂、屁放り虫(へっぴりむし)と呼ばれるものの代表格である。こうした悪臭物質を尾部から噴射するものは、他のゴミムシ類と呼ばれるオサムシ類(ゴミムシ(塵虫・芥虫)はオサムシ上科オサムシ科 Carabidae、或いはこれに近縁な科の類の中から、特に目立って独自呼称で呼ばれる種等を除いた雑多な種群の総称で、この総名称は彼らの摂餌対象となる小昆虫の多いごみ溜めで、これらの甲虫がよく見かけられるためと考えられている)の多くの種に見られるものの、このミイデラゴミムシのようなホソクビゴミムシ科 Brachinidae の種群は、多くが『音を発し、激しく吹き出すことで特に目を引く』(下線やぶちゃん。以下も同じ)とあり、また、附図の背部の斑紋及び良安の解説からみても、かく同定してよいかと思われる。以下、ウィキより引くと(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した)、『成虫の体は黄色で褐色の斑紋があり、鞘翅に縦の筋が九条ある。ほとんどのゴミムシ類が黒を基調とする単色系の体色である中で、数少ない派手な色を持ち、また、比較的大柄(一・六センチメートルほど)であるため、かなり目立つ存在である。捕まえようとすると』、『腹部後端より派手な音を立てて刺激臭のあるガスを噴出する。日本列島内の分布は北海道から奄美大島まで。大陸では中国と朝鮮半島に分布する』。『湿潤な平地を好む。成虫は夜行性で、昼間は湿った石の下などで休息する。夜間に徘徊して他の小昆虫など様々な動物質を摂食する。死肉も食べ、水田周辺で腐肉トラップを仕掛けると採集されるが、腐敗の激しいものは好まず、誘引されない』。『これに対して、幼虫の食性は極めて偏っている。一齢幼虫は体長二・三~二・八ミリメートルと小型で』、『歩行能力に富み、ケラ』(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科 Gryllotalpidae のケラ類。本邦のそれはGryllotalpa属ケラ
Gryllotalpa orientalis。附言しておくと、本ミイデラゴミムシは以下に見る通り、ケラの卵塊を食べて成長するという限定的な寄生性のライフ・サイクルを持つ。従って、現在、ケラの減少とともに本種も減少している)『の巣穴の中に形成された土製の卵室の壁を破って進入し、そこで卵塊を摂食しながら成長する。卵塊をばらして一齢幼虫に与えても摂取せず、土中にある壊れていない卵室への侵入が成長には必須となる。絶食にも強く、何も食べずに二十三日程度は生存する。多くのオサムシ上科の昆虫と同様三齢が終齢幼虫であるが、二齢幼虫と三齢幼虫はこの寄生的な生活に適応し、足が短く退化したウジ状の姿であり、三齢幼虫で体長十五・五ミリメートルほどになる。産卵期は六月中旬から七月下旬にかけてで、他のゴミムシ類に比べるとかなり小さな卵をしばしば卵塊の形で産む』。『こうした他の昆虫の卵塊や蛹を捕食寄生的に摂取して幼虫が成長するのはホソクビゴミムシ科全体の特徴と見られ、北米ではミズスマシ』(オサムシ上科ミズスマシ科 Gyrinidae)『のような水生甲虫、ヨーロッパではマルガタゴミムシ類』(オサムシ上科オサムシ科マルガタゴミムシ亜科 Zabrinae)『のような他のゴミムシ類の蛹に捕食寄生して育つものが知られるが、日本産のホソクビゴミムシ科』の『昆虫で宿主が判明しているのはミイデラゴミムシのみである』。尤も、『普通種のオオホソクビゴミムシ』(オサムシ科 Brachinus属ホソクビゴミムシ亜科オオホソクビゴミムシ Brachinus scotomedes:本邦産種。ミイデラゴミムシ同様、強烈なガスを噴射する。本邦には同属の六種が棲息する)『ですら、実験室内の産卵にも成功していない』とあるから、実はそのライフ・サイクル自体が未だ解明されていないということらしい)。
以下、「ガスの噴出」の項。『他のホソクビゴミムシ科のゴミムシ類と同様、外敵からの攻撃を受けると、過酸化水素とヒドロキノン』(過酸化水素と同様に強力な漂白作用を持つフェノール)『の反応によって生成した、主として水蒸気とベンゾキノンから成る摂氏百度以上にも達する気体を爆発的に噴射する。この高温の気体は尾端の方向を変えることで様々な方向に噴射でき、攻撃を受けた方向に自在に吹きかけることができる。このガスは高温で外敵の、例えばカエルの口の内部に火傷を負わせるのみならず、キノン類はタンパク質と化学反応を起こし、これと結合する性質があるため、外敵の粘膜や皮膚の組織を化学的にも侵す。人間が指でつまんでこの高温のガスを皮膚に浴びせられると、火傷まではいかないが、皮膚の角質のタンパク質とベンゾキノンが反応して褐色の染みができ、悪臭が染み付く』。このように、『敵に対して悪臭のあるガスなどを吹きつけることと、ガスの噴出のときに鳴る「ぷっ」という音とから、ヘッピリムシ(屁放り虫)と呼ばれる』。以下、「反進化論」の項。『主に創造論者らによる反進化論の証拠として、この仲間の昆虫のもつガス噴出能力が取り上げられることがある。その論は、「このような高温のガスを噴出できる能力は、非常に特殊な噴出機構がなければ不可能であるし、そのような噴出機構は、このようなガスの製造能力がなければ無意味である。つまり、少なくとも二通りの進化が同時に起こらなければならず、このようなことは突然変異のような偶然に頼る既成の進化論では説明が不可能だ」というものである』。『それに対しての反論は以下の通りとなる』。『特殊な噴出機構がなくても単に「少し熱い」ガスでも十分に役に立つし、実際に北米大陸には非常に原始的な噴射装置と混合装置を』「ヘッピリムシ」の一種である『Metrius
contractus (ホソクビゴミムシ科』Brachinidae。但し、『多くの北米の研究者らはオサムシ科に含める)が知られている。このような種の存在からも』、『漸進的な噴射装置と混合装置の進化は可能であることが推定でき、ホソクビゴミムシ類の噴射装置を反進化論の証拠とするのは適当ではない』。また、ヒゲブトオサムシ科 Paussidae『(アリのコロニーに寄生する種を多く含む群であり、これも北米の研究者らの多くはオサムシ科に含める』。本邦にも四種の棲息が確認されている『)にも同様に噴射装置を持つものがあるため、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類が同じ系統に属すると考える研究者もいる。その場合噴射装置はこのグループの進化の途上でただ一度だけ獲得されたものであり、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類共通の祖先から受け継がれたものであることになる。それに対し、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類は多少なりとも縁遠く、その噴射能力はそれぞれの系統で別個に進化・獲得されたものだと考える研究者もいる。もし後者の論が正しければ、噴射能力の獲得は生物進化においてそれほどまれではない現象ということになる』とある。
なお、「ミイデラゴミムシ」は「三井寺芥虫」であるが、この名の由来については、個人サイト「MatsumaRoom」の「ミイデラゴミムシは何故"ミイデラ"ゴミムシというの?」で説得力のある話が克明に記されている。詳しくはそちらを是非、参照されたいが、滋賀県立琵琶湖博物館の八尋克郎氏の仮説で、一つは滋賀県大津市の三井寺円満院にあった「放屁合戦」の鳥羽絵が由来とするもの、今一つは三井寺に伝わる伝承「弁慶の引き摺り鐘」のその響きを、この虫の「おなら」の音に重ね合わせたのではないか、とするものである。後者の「弁慶の引き摺り鐘」伝説は「三井寺」公式サイト内のこちらで解説されてある。それによれば、この鐘は現存し、『当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされ』、承平年間(九三一年~九三八年)にかの『田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられ』るものであるが、『後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると』、その鐘の音が「いのー、いのー」『関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったとい』ういわくつきの鐘だとされ、『鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残ってい』るとある(リンク先には鐘の画像がある)。なかなか面白い考察である。
最後に。その「悪臭」とはどんな臭さなのか? 肌に附着した場合、どうなるのか?
私は体験したことがないので調べて見たところ、実験(!)した方の記載と画像・動画(!)まで揃ったものをサイト「デイリーポータルZ」で発見した! 平坂寛氏の「高温・有毒のオナラを浴びてきた」がそれ!! 虫嫌いはもとより、皮膚変色の画像もあるのでくれぐれもクリックは自己責任で!!!! それによれば、臭気の方はというと、平坂氏はそのあまりの熱さなどの『インパクトの強い現象が多すぎて忘れていた』が、『あー、まあそれなりに臭いな』とされ、『変色した指先を鼻にあて』がって『思い切り嗅ぐと、確かに独特の臭気を感じる。ちょっと正露丸のそれに近いか』と記されておられる。クレオソートの臭いに近いらしい。好んで嗅ぎたくは、確かに、ないな。
後の「※盤蟲(へひり〔むし〕)」とともに「屁(へ)ひり虫」で、「屁(へ)っぴり虫」のこと。
「飛〔(とぶ)〕こと、遠からず」遠くまで飛ぶことは出来ない。
「夜中を好みて、行く」先に注の引用にある通り、ミイデラゴミムシの成虫は夜行性である(下線部参照)。
「蜚蠊(あぶらむし)」昆虫綱網翅上目ゴキブリ目 Blattodea に属するもののうち、シロアリ科 Termitidae を除く、多様なゴキブリ類を指す。前項「蜚蠊」の私の注を参照されたい。
「形狀、相〔(あひ)〕類す」いや。昆虫嫌いの私が見ても、これ、全然、似てないよ。ゴミにたかる点では似ているけどね。良安先生の「蜚蠊(あぶらむし)と相〔(あひ)〕類せず」と言うのには大いに同感。
「廉薑〔(れんきやう)〕」東洋文庫版訳の割注には『薑に似た香気の強い草』とある。「廉薑」は生姜(しょうが:単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ショウガ属ショウガ Zingiber officinale)のことであるが、どうもピンとこない。調べてみると、江戸後期の岩崎灌園(いわさきかんえん 天明六年(一七八六)年~天保一三(一八四二)年:小野蘭山の弟子)の著わした「本草圖譜」(文政一一(一八二八)年完成)のこちら(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)に「廉薑」があり、そこには和名で「ガンゼキラン」とある。この和名が正確なら、
単子葉植物綱ラン目ラン科ガンゼキラン属ガンゼキラン Phaius flavus
である。「岩石蘭」で球茎がごつごつして堅く、長く残ることに由来する和名らしい。大きな黄色花をつけるというが、蘭の類は花は美しいものの、多くは芳香は放たない。岩崎の記載によれば、根は唐辛子のように辛いが食用になり、よい香りで山葵(わさび)に似ている、とあるから、それか? しかし、ゴキブリはそんな匂いは、せんぜ?
「※盤蟲(へひり〔むし〕)」屁(へ)ひり虫。
「之れに觸〔(ふる)〕れば、則ち、※(へひ)る音(をと)有り、煙〔(けぶり)〕有り、甚だ臭し」良安は本当に自分で実験してみたのかな? 強烈な熱さを言ってないのは大いに不審である。実は単なる人聞きなのか、それともミイデラゴミムシでないからなのか?]
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