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2017/08/30

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)


Koorogi

こほろぎ  蛬  蛩【同】

      促織   蜻蛚

      趨纖

蟋蟀

      【古保呂木】

ころろん

 

三才圖會云似蝗而小正黒而有光澤如漆有翅及角善

跳以夏生立秋後夜鳴好吟於土石磚甓之下尤好闘勝

輒衿鳴其聲如急織故謂促織亦曰趨織【本草綱目所言亦同之】

五雜組云呉國有闘促織之戯决賭其雌者有文采能鳴

健闘雄者反是以立秋後取之飼以黃豆糜至白露則夜

鳴求偶然以雄者進不當意輙咋殺之次日又以二雄進

又皆咋殺之則爲將軍咋殺三雄則爲大將軍闘之以股

之遠去尺計無不糜爛乃以厚價售

△按蟋蟀有二種扁脊者善鳴其聲如曰古呂呂牟古呂

 呂牟清美亞于松蟲 窄脊者尻有劍刺不鳴

 古今注云蟋蟀秋初生得寒則鳴俚語有言趨織鳴嬾

 婦驚蓋蟋蟀莎雞斯螽等和漢共不得辨今畧解于左

詩豳風曰五月斯螽動股六月莎雞振羽七月在野八月

在宇九月在戸十月蟋蟀入我牀下

 朱子註曰斯螽莎雞蟋蟀一物隨時變化而異其名儆

 玄衍義曰斯螽蝗也莎雞促織也蟋蟀蛩也自是三物

 安得謂之隨時變化而異其名朱註此一處可改之

 按儆之説是也然莎雞以爲促織者非也

順和名抄云絡緯一名促織【和名汝太於里女】蜻蛚【和名古保呂木】螽

一名蚣蝑一名蠜螽一名春黍【以禰豆木古萬呂】蟋蟀一名蛬【和名

木里木里須】

 按是皆混雜異名和名共齟齬也後人據之相謬乎今

 曲辨之見于各條

 

 

こほろぎ  蛬〔(きよう)〕    蛩〔(きよう)〕【同じ。】

      促織〔(そくしよく)〕 蜻蛚〔(せいれつ)〕

      趨纖〔(そくしよく)〕

蟋蟀

      【「古保呂木」。】

ころろん

 

「三才圖會」に云、蝗〔(いなご)〕に似て小さく、正黒にして光澤有りて漆のごとく、翅及び角、有り。善く跳(と)ぶ。夏を以つて生まれ、立秋後に、夜、鳴く。好んで土石・磚甓(いしだゝみ)の下に吟ず。尤も、闘〔ひ〕を好み、勝つときは、輒〔(すなはち)〕、衿(ほこ)りて鳴く。其の聲、急に織〔(はたお)〕るがごとし。故に促織と謂ふ。亦、趨織と曰ふ【「本草綱目」に言ふ所も亦、之れに同じ。】。

「五雜組」に云、呉國に促織を闘はしむるの戯、有り。賭(かけもの)を决す。其の雌は、文采〔(もんさい)〕有り、能く鳴きて健〔(すこや)〕かに闘〔(たた)〕かふ。雄は是れに反す。立秋の後を以つて之れを取る。飼〔ふに〕黃豆(まめ)の糜(かゆ)を以つてす。白露〔(はくろ)〕に至るときは、則ち、夜、鳴きて、偶(とも)を求む。然るに雄なる者を以つて進むるに、意に當てざれば、輙〔(すなはち)〕、之れを咋(か)み殺す。次の日、又、二雄を以つて進む。又、皆、之れを咋み殺すを、則ち、「將軍」と爲す。三雄を咋み殺すを則ち、「大將軍」と爲す。之れ、闘ふに、股を以つて、一たび、之れを(け)るに、遠く去ること、尺計りにして、糜爛〔(びらん)〕せずといふこと無し。乃〔(すなはち)〕、厚價を以つて售(う)る。

△按ずるに、蟋蟀、二種、有り。扁(ひらた)き脊(せなか)なる者、善く鳴く。其の聲、「古呂呂牟(ころろむ)、古呂呂牟」と曰ふがごとし。清美にして、松蟲に亞〔(つ)〕ぐ。窄(すぼ)き脊〔(せなか)〕なる者は、尻に劍刺〔(けんし)〕有り、鳴かず。

「古今注」に云、『蟋蟀(こほろぎ)、秋の初めに生まれて、寒を得れば、則、鳴く』と。俚語〔(りご)〕に『趨織(こほろぎ)鳴けば、嬾婦〔(らんぷ〕驚く』と言へること、有り。蓋し、蟋蟀(こほろぎ)・莎雞(きりぎりす)・斯螽(いなご)等、和漢共に辨ずるを得ず。今、畧(あらあら)、左に解す。

「詩」の「豳風〔(ひんぷう)〕」に曰、『五月 斯螽(〔(ししう)〕/はたをり) 股〔(こ)〕を動かす 六月 莎雞(〔さけい〕/きりぎりす) 羽を振ふ 七月 野〔(や)〕に在り 八月 宇〔(う)〕に在り 九月 戸〔(こ)〕に在り 十月 蟋蟀(〔(しつしゆ〕/こうろぎ) 我が牀〔(しやう)〕の下〔(もと)〕に入る』〔と〕。[やぶちゃん注:読みの『/』以下は左ルビ。前のそれは私が附した音読み。「こうろぎ」はママ。]

朱子の註に曰、『斯螽・莎雞・蟋蟀は一物〔(いちもつ)〕にして、時に隨ひて變化して其名を異にす』といへり。儆玄〔(けいげん)〕が「衍義〔(えんぎ)〕」に曰、『斯螽は蝗なり。莎雞は促織なり。蟋蟀は蛩〔(きよう)〕なり。自(をのづから)是れ、三つの物〔なり〕。安く〔んぞ〕之れを時に隨ひて變化して其の名を異にすと謂ふを得ん。朱の註、此一處、之れを改むべし』といへり。按ずるに、儆が説、是〔(ぜ)〕なり。然れども、莎雞を以つて促織と爲〔(せ)〕るは、非なり。

順〔(したがふ)〕〔が〕「和名抄」に云、『絡緯〔(らくゐ)〕、一名、促織【和名、「汝太於里女〔(はたをりめ)〕」。】。蜻蛚〔(せいれつ)〕【和名、「古保呂木(こほろぎ)」。】。螽〔(しゆうし)〕、一名、蚣蝑〔(しようしよ)〕、一名、蠜螽〔(はんしゆう)〕、一名、春黍〔(しゆんしよ)〕【以禰豆木古萬呂〔(いねつきこまろ)〕】。蟋蟀、一名、蛬〔(きよう)〕【和名、「木里木里須(きりぎりす)」。】。

〔△〕按ずるに、是れ、皆、混雜して異名・和名共に齟齬(くいちが[やぶちゃん注:「い」はママ。])ふなり。後人、之れに據つて相ひ謬〔(あやま)〕るか。今、曲(ひとつひとつ)、之れを辨じて、各條に見〔(みあ)〕はす。

[やぶちゃん注:巨視的には直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科 Grylloidea に属するものの総称とするが(ウィキの「コオロギ」等)、同上科にはケラ(螻蛄)(ケラ科グリルロタルパ(ケラ)属ケラ Gryllotalpa orientalis)やカネタタキ科 Ornebius 属カネタタキ Ornebius kanetataki 等が含まれ、私は到底、従えない。同上科の中でもコオロギ科 Gryllidae に絞っても、Homoeogryllus 属スズムシ Homoeogryllus japonicusXenogryllus 属マツムシ Xenogryllus marmoratus・カンタン亜科カンタン属カンタン Oecanthus longicauda 等の明らかに素人の私でも鳴き声で区別し、コオロギとは呼ばない、体型も色も異なるような種が含まれる。寧ろ、私は主にコオロギ亜科 Gryllinae に属する種群を狭義に指すとする方が、より正しいと考えている。実際、コオロギ亜科に属する種には、

フタホシコオロギ族エンマコオロギ属エンマコオロギ Teleogryllus emma

オカメコオロギ属ハラオカメコオロギ Loxoblemmus campestris

オカメコオロギ属ミツカドコオロギ Loxoblemmus doenitzi

ツヅレサセコオロギ属ツヅレサセコオロギ Velarifictorus micado

といった本邦の「コオロギ」の呼称で知られるオール・スター・キャストが含まれているからである。なお、白っぽい小型種で♂♀ともに翅を欠いていて鳴かない(求愛行動はフェロモン誘導と振動ディスプレイによるものと推測されている)茅蟋蟀(コオロギ科 Gryllidae Euscyrtinae属カヤコオロギ Euscyrtus japonicus)がいるが、これは鳴かない点、見た目が今一つコオロギらしくない点、上記のコオロギ亜科の種群に比べると一般人の認知レベルが低い点などから、「コオロギ」を名に持ちながらも、この範疇から漏れるとしても致し方ないように私は思う

 さらにここで今一つ注目すべきは、しばしば、したり顔で国語教師が言うところの(かつての私もそうであった)古文に於ける〈松虫と鈴虫の逆転現象〉と同列で〈蟋蟀と螽斯(きりぎりす)の逆転現象〉を言うのは、ここで良安が添えた挿絵及びその鳴き声「古呂呂牟(ころろむ)、古呂呂牟」のオノマトペイアからも無効であること、則ち、コオロギはコオロギであり、キリギリスはキリギリスとして正しく認識されており、誤ってなどいないという点である。

 「蟋蟀」という語は使い勝手がよく、秋の鳴く虫の総称として「こおろぎ」と訓じられ、歌語として「万葉集」以来用いられてきた広義の用法は確かにあったと考えてよいと思われるが、だからと言って、近世以前の人間が「コオロギをキリギリス、キリギリスをコオロギと呼んでいた」などという説(これを定説とまことしやかに言う文学者は有意にいる)は私にはこの本「和漢三才圖會」の正しい記載から見ても全く支持出来ない

 いや、この誤認伝承は寧ろ、近代作家の小説での確信犯的使用によるものの方が、罪がより重いとさえ考えているのである。

 その最大の現況は、ほぼ誰もが高校一年で読まされてしまう、かの芥川龍之介の「羅生門」である。あの有名な作品の冒頭の第四文(第二段落内)は、

   *

唯、所々丹塗(にぬり)の剝げた、大きな圓柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまつてゐる。

   *

であり、羅生門下の第一シークエンスの終り(第八段落末尾。次の段落で楼上へと通ずる梯子を見出す)では、

   *

丹塗の柱にとまつてゐた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行つてしまつた。

   *

と描写される。私はかつて「羅生門」の好きなシーンを絵コンテにさせる作業をさせたことがあるが、何人もの生徒がこの冒頭シーンを好んで絵にした。ところが、その時に使用していた教科書には、余計なお世話の例のしたり顔で以って「蟋蟀(きりぎりす)」に注が附されてあって、「今のコオロギの古名」なんどとやらかしてあったのである。「蟋蟀」が「こおろぎ」であり、その真正のコオロギ、恐らくは最大種のエンマコオロギ Teleogryllus emma を描いた生徒もいるにはいたが、その円柱に貼りついたコオロギはゴキブリのように大きくて頽廃的ではなく生理的に気味が悪いのであった。多くはルビ通りの真正の「きりぎりす」、則ち、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属 Gampsocleis のキリギリスの類いが描かれていた。その丸柱にとまるキリギリスはすこぶる自然であった。私はそれを見た時に確信したのである。

「こりゃ、注にあるようなコオロギであるはずがない!」

 このシークエンス、そもそもが、

コオロギでは丸柱にはとまりにくかろう。いるなら、丸柱の根である。とまれるのはキリギリスである。

カメラが丸柱の下に寄ったとしてもエンマコオロギでは体色から絵にならない。絵になるのはモノクロームの画面に一点彩色のキリギリスに若(し)くはない。

柱にとまっているという描写、それがいなくなるという描写、というのは時間経過を示すための小道具であるが、それを認知出来るのは、聴覚的な虫の鳴き声よりも(それは無論あってもよい)、緑色の体色によって初めて際だって成功する。

翻って、大正時代の芥川龍之介が「蟋蟀」を「キリギリス」と読み、キリギリスとコオロギとを誤認していたはずは無論ないわけで、ここは平安末期の雰囲気を出すために中古に一部で実際に混同が行われていたそれを敢えて出したのだとも言えようが(それを龍之介の衒学趣味とする評言もある。しかし、だとすれば、これはやはりコオロギということになるのだが、本当にそれで心内映像が撮れるとは私は思わない)、或いは、芥川龍之介はキリギリスを示す漢語「螽斯」を使いたくなかったのではないか? と私は思うのである。実は私は「こおろぎ」を示す時に「蟋蟀」という漢字は好んで書くが、「きりぎりす」を示すのに「螽斯」という熟語を書くのは、躊躇する。前者は発音もスタイルもスマートであるのに対し、後者は二字を並べると妙にぼってりとしてバランスも悪いからである。私は生理的に「螽斯」という漢字は嫌いなのである。私は芥川龍之介を愛すること、人後に落ちない。幾多の電子化注をしてきた中で、彼の文字への好悪感覚も普通の人よりは相当に認識しているつもりである。芥川龍之介もきっとこの「螽斯」という表記は嫌いだったと私は思うのである。大方の御叱正を俟つ。

 

「趨纖〔(そくしよく)〕」後で「趨織(こほろぎ)」とも出るが、「趨」は「速く・速やか」の意があるから、素早く機織りをするさまに譬えた異名であろう。

『「本草綱目」に言ふ所も亦、之れに同じ』恐らく、ここまでこの「蟲類」の電子化注にお付き合い下さった奇特な方は、何故、本項が他と違って「本草綱目」を引かないのかと、疑問に思われるであろう。実は、引きようがないのである。実は「蟋蟀」の叙述は「蟲部 化生類」の「竈馬」(かまどうま:既出)の附録で僅かに出るだけだからである。以下にその原文を示してみる。今回は中文サイトの引用ではなく、国立国会図書館デジタルコレクションの原典の当該条の画像を視認して厳密にオリジナルに電子化した。

   *

竈馬【「綱目」。】

(釋名)竈雞【俗。】。

(集解)【時珍曰、竈馬處處有之、穴竈而居。按、「酉陽雜俎」云、竈馬狀如促織、稍大長、好穴。竈旁俗言、竈有馬、足食之兆。】。

(附錄)促織【時珍曰、促織、蟋蟀也。一名蛬、一名蜻蛚。陸璣「詩義疏」云、似蝗而小、正黑有光澤如漆、有翅及角、善跳好斗、立秋後則夜鳴。「豳風」云、七月在野、八月在宇、九月在戸、十月蟋蟀入我牀下是矣。古方未用、附此以俟。】。

(氣味)【缺。】(主治)竹刺入肉、取一枚搗傅【時珍。】。

   *

『「五雜組」に云』以下はこの下り。中文サイトより、ベタで出す。一部の字を本良安の訳に沿って変えた。

   *

一呉有開促織之戲然極無謂閏之有場盛之有器必大小相配兩家審視數四然後登楊央龐左右袒者各從其耦其睹在高架之上只篇首一人得見勝貴其篇耦者仰望而巴禾得寓目而輪直至於千百不悔甚可笑也促織惟雌者有文采能鳴復開雄者及是以立秋後取之飼以黃豆麋至白露則夜鳴求偶然後以雄者進不當意輒昨殺之次日又以兵雄遣又皆昨殺之則爲將軍矣昨殺一雄則爲大將軍持以央闢所向州前又某家有大將軍則衆相戒莫敢與闢乃以厚價潛售宅邑入其大將軍開止以股賜之遠去尺許山不糜爛或富腰斐斷不須間也大將軍死以金棺盛之將軍以銀瘞於原得之所則次年復有此種爪前川洲矣

   *

ここで語られているのは「闘蟋」(トウシツ)と呼ばれるコオロギのここにあるようなではないので注意!)を戦わせる賭博である。これは荒俣宏氏の「世界博物大図鑑 第一巻 蟲類」(一九九一年平凡社刊)の「コオロギ」の項の「コオロギ合戦」の条に詳しいので引用させて戴く。コンマ・ピリオドを句読点に代えさせて貰った。

   《引用開始》

【コオロギ合戦】中国におけるコオロギ文化の精華は〈コオロギ合戦〉であろう。コオロギの戦闘的な性質は、中国でも古くから知られ、三才図会にも〈大へん闘いを好み、 勝っと衿(ほこ)って鳴く〉とあるほどであった。

 この賭博を秋興(チウシン)という。コオロギの雄どうしを闘わせる動物賭博の一種で、 一説に唐代の8世紀前半に成立したとされる。明・清代には階層の上下を問わず大流行、 明の宣徳帝は強いコオロギを献上させ,賭博用に特製の容器で飼育したという。勝負は重量別に土鉢の中で行なわれ、一勝負が数ラウンド、各ラウンドとも一方がうずくまると終わりとなる。2匹に勝ったコオロギは〈将軍〉、3匹に勝つと〈大将軍〉とよばれ、死体を小さな金製の箱に入れて手厚くとむらう風習もあった。飼育法の指南書も数かず著され,たとえば17世紀の書、劉個促織志には、餌としてウナギ、サケ、蒸し粟、粟めしなどを与えるとよい、と記されている。また傷ついたものには子どもの尿を2倍に薄めて飲ませると治る、ともいわれた。なお競技には、東部や北部ではツヅレサセコオロギやエンマコオロギの類が,南部ではブタホシコオロギやシナコオロギが使われたらしい。

 明の宣徳年代(1430年代ころ)、上記のようにコオロギ合わせがさかんに行なわれ、 優秀なコオロギを民間から取り立てる風習も慣例化した。だが聊斎志異の一篇〈促織〉をみると、そのために風紀がいかに乱れたかがよくわかる。街のチンピラは強いコオロギを手に入れると、値をつり上げてぼろもうけ。地方の役人は高いコオロギを中央に献納するという口実で重税を取り立てる。あげくコオロギを1匹たてまつるごとに、数戸の家が傾いた。〈促織〉では幸い主人公の部落長が、天の功徳か、とてつもなく強いコオロギを偶然手に入れる。おかげで彼は大金持ちになった。ちなみにこの話のコオロギは、小さくて赤黒、頭は四角で脛孟が長く、土狗(どこう)(ケラ)に似ていた、とある。強さもさることながら、琴瑟(きんしつ)の音に合わせて踊る芸もあったため、たいそう喜ばれたそうだ。

 〈秋興〉は、新中国になって賭博が禁止されたため、完全にすたれたといわれていた。しかし最近またさかんになりつつあり、天津などでは秋に大会も開かれるという。

 小西正泰虫の文化誌によると、コオロギを闘わせて賭をする習俗は現在でも台湾やタイやジャワ島、バリ島などアジア各地に見られる。台湾でも子どもたちがコオロギを採集し、竹筒の中で闘わせて楽しむという(田中梓昆虫の手帖)。

   《引用終了》

私の好きなサイト、カラパイアの『コオロギを闘わせ最強の虫王を決める中国伝統の昆虫バトル「闘蟋(とうしつ)」』も必見! なお、コオロギは充分な摂餌が出来ない場合には、弱いコオロギが強いコオロギに食べられてしまうことがあり、また、産卵期のを食べてしまうこともあるという。闘蟋のために飼育している際に、そうした共食いを目撃し、それをかく剛い者と見たものでもあろう。

「文采〔(もんさい)〕」模様。これはコオロギのであろう。は後ろ足のギザギザの部分とこすり合わせて鳴き声を出すため、羽に指紋のような模様が見える。

「白露〔(はくろ)〕」二十四節気の第十五の八月節(旧暦では七月後半から八月前半)。現在の陽暦にすると九月八日頃に当たる。

「偶(とも)」配偶者。

「意に當てざれば」意に添わなければ。

「二雄」直後に「又、皆」とあるからには二匹目のではなく、二匹のである。

「三雄」良安の前の叙述からすれば、またその翌日に今度は三匹のを宛がってみて、その三匹全部をまたしても悉く噛み殺したものを「大將軍」と呼ぶということになる。大将軍になるためには六匹を噛み殺すというわけであるが、先に示した原典から見ると、一日一匹で三日間で三匹のように読める

「糜爛」蹴られただけで、爛れ崩れるというのは尋常ではない。彼らが何かそうさせる強い気を放つとでも思ったものか。

「厚價」高い値。

「售(う)る」売る。

「扁(ひらた)き脊(せなか)なる者、善く鳴く」である。

「古呂呂牟(ころろむ)、古呂呂牟」このオノマトペイアはエンマコオロギの「コロコロコロ、コロ、コロ、コロ」と一致する。他のコオロギ(私の言う狭義の)は有意に鳴き方が異なり、ハラオカメコオロギやミツカドコオロギでは「リッリッリッ、リッリッリッリッ」であり、ツヅレサセコオロギでは「リィリィリィリィ」と音写されることが多い。

「松蟲」マツムシは一般に「ピッ、ピリリッ」或いは「チッ、チリリッ」などと音写されることが多い。

「亞〔(つ)〕ぐ」次ぐ。良安はマツムシの声(ね)がお好きらしい。

「窄(すぼ)き脊〔(せなか)〕なる者は、尻に劍刺〔(けんし)〕有り、鳴かず」長く尖った産卵管を持つである。

「古今注」西晋(二六五年~三一六年)の崔豹(さいひょう)の撰とされる名物考証書であるが、実際には原本は失われており、現行本は五代(九〇七年~九六〇年)の馬縞(ばこう)の「中華古今注」三巻に基づいて編せられたもので、しかもこれの自体も唐の蘇鶚(そがく)の「蘇氏演義」二巻に依っていることが明らかになっている、と東洋文庫の書名注にある。

「趨織(こほろぎ)鳴けば、嬾婦〔(らんぷ〕驚く」「嬾婦」は「怠け女・不精な女性」の意で、女性の仕事とされた機織りを怠けている女がその声に、焦り驚くというのであろう。

「莎雞(きりぎりす)」既出既注。直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属 Gampsocleis のキリギリス類。「雞」は「鷄」、「沙鶏」とも書く。

「斯螽(いなご)」直翅(バッタ)目バッタ亜目イナゴ科 Catantopidae のイナゴ類。

「和漢共に辨ずるを得ず」和漢の孰れの本草書等に於いてもそれらを明確に弁別することが出来ていない。

「詩」「詩経」。以下は同書の「国風」の最後に配された「豳風〔(ひんぷう)〕」(豳は現在の陝西省にあった古地名で後に「邠(ひん)」となり、今は陝西省咸陽市彬(ひん)県附近を指す。西安市の北西百キロメートルほどの位置。ここ(グーグル・マップ・データ))の中の冒頭にある、「国風」の中で最長の、農民の生活を歌う「七月」の一節。「raccoon21jpのブログ」のこちらで全詩(原文・書き下し・訳)が読める。

「五月 斯螽(〔(ししう)〕/はたをり) 股〔(こ)〕を動かす 六月 莎雞(〔さけい〕/きりぎりす) 羽を振ふ 七月 野〔(や)〕に在り 八月 宇〔(う)〕に在り 九月 戸〔(こ)〕に在り 十月 蟋蟀(〔(しつしゆ〕/こうろぎ) 我が牀〔(しやう)〕の下〔(もと)〕に入る」「七月」以降の句は主語は「蟋蟀」である。

――五月になると、螽斯(はたおり)が脚を動かして出で来ては鳴き、六月には機織(きりぎりす)が羽根を振わせて鳴く。七月、蟋蟀(こおろぎ)まだ野にある。それが八月になると軒下にやって来て、九月には家の戸口まで近づいて、十月には私の床(とこ)の下へと入り込んでくる。

といった意味である。問題は「螽斯(はたおり)が脚を動かして出で来ては鳴き、六月には機織(きりぎりす)が羽根を振わせて鳴く」の部分であるが、昭和五〇(一九七五)年明治書院刊の乾一夫著「中国名詞観賞 1 〈詩経〉」では(乾先生に「詩経」を習ったが、本書はその教科書である。私は大学時代の数少ない「不可」の一つを先生から貰った。その顛末は「無門關 三十五 倩女離魂」の注に記してある。今、考えれば、ボイコットせずに受ければよかったなと思うておる)、『五月にはきりぎりすが足を動かし、六月にははたおりが羽根を振って鳴き』と訳されており、「斯螽」の語注には、『きりぎりす。「螽斯」』『に同じ』とされ、「動股」は『鳴き声を発するをいう。古は、きりぎりすは両股をもって、声を発するとした』(実際のキリギリスのは前翅にある発音器を用いて鳴く)とある。また、「莎雞」については『はたおり虫。「紡織娘」と呼ばれる』とある。ここで乾先生は「きりぎりす」と「はたおり虫」を別種として扱っておられる(一部では「はたおりむし」は「きりぎりす」の別名である)。しかし、これは乾先生が「はたおり虫」をキリギリスではない別な虫、恐らくはキリギリス科 Mecopoda 属クツワムシ Mecopoda nipponensis と認識しておられたからであると思われる。その証拠に、乾先生の「紡織娘」は現在、中国語で同じ Mecopoda 属のタイワンクツワムシ Mecopoda elongata の漢名に当てられているからである。良安も問題にしている錯綜から言えば、先の「raccoon21jpのブログ」の訳で「斯螽」を『バッタ類』とし、「莎雞」を『くつわむし』と訳しておられるのも、これ、一案であろうとも思う。

「朱子の註」宋の朱熹の撰になる「詩経」の注釈書である「詩集伝」のこと。全八巻。

「斯螽・莎雞・蟋蟀は一物〔(いちもつ)〕にして、時に隨ひて變化して其名を異にす」三種を同一の虫であって、そのライフ・サイクルのそれぞれの変態ステージでかく別個な名を持っているだけだと言っているので、これはあまりにも乱暴でひど過ぎる。

『儆玄〔(けいげん)〕が「衍義〔(えんぎ)〕」』不詳。東洋文庫の書名注も不詳とする。

「斯螽は蝗なり。莎雞は促織なり。蟋蟀は蛩〔(きよう)〕なり」三種を別個な虫であるとしたのはよいが、これだと、「斯螽」(キリギリス)が「蝗」(イナゴ)で、「莎雞」(キリギリス)が「促織」(コオロギ)で、「蟋蟀」(コオロギ)に至ってはコオロギでない「蛩〔(きよう)〕」という虫だということになる。しかし「蛩」は既に良安が「コオロギ」の別称として挙げているので、ますます混乱が激しくなるばかりである。良安が三種は異なる虫であるから朱子の注は改められねばならないという点には賛同しながらも、「莎雞」を「促織」とするのは間違いだと否定する気持ちはよく判る。

「順〔(したがふ)〕」「和名類聚抄」の作者源順(みなもとのしたごう)。

「絡緯〔(らくゐ)〕、一名、促織【和名、「汝太於里女〔(はたをりめ)〕」。】」やはり錯綜。「絡緯」は現在はクツワムシに比定する向きが大半である。

「蜻蛚〔(せいれつ)〕【和名、「古保呂木(こほろぎ)」。】」これは良安の記載の中では問題がない。

「螽〔(しゆうし)〕、一名、蚣蝑〔(しようしよ)〕、一名、蠜螽〔(はんしゆう)〕、一名、春黍〔(しゆんしよ)〕【以禰豆木古萬呂〔(いねつきこまろ)〕】」これも錯綜。「蚣蝑」はキリギリスの別称でよいが、「蠜螽」は恐らくは直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目バッタ下目バッタ上科バッタ科ショウリョウバッタ亜科 Acridini 族ショウリョウバッタ属ショウリョウバッタ Acrida cinerea より有意に大型)で(個人ページと思われる「ショウリョウバッタとおぼしき記述」を参照)、「以禰豆木古萬呂〔(いねつきこまろ)」というのはまさにショウリョウバッタの古名であるから、その直前に配された「春黍〔(しゆんしよ)〕」なるものも、同じくショウリョウバッタ(或いはその)である。次の次に「蠜螽(ねぎ)」が出るが、その異名は「春黍」であり、附図は正しくショウリョウバッタだから間違いない。

「蟋蟀、一名、蛬〔(きよう)〕【和名、「木里木里須(きりぎりす)」。】」これはまさに、私が都市伝説レベルと断ずる「コオロギ」←→「キリギリス」説である!

「曲(ひとつひとつ)」「曲」には「細かな一つ一つの部分・隅々・詳しいこと」の意がある。あまり意識していないが熟語「委曲」で御理解頂けよう。

「之れを辨じて、各條に見〔(みあ)〕はす」それぞれを区別して、それぞれの条ではっきりと分別して分かるようにしたつもりである、の謂いであろう。この各条とは前後を指す。因みに次は「螽斯(はたおり)」[やぶちゃん注:「お」はママ。]である。]

 

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