北越奇談 巻之四 怪談 其五(飯を食われる怪)
其五
地藏堂の西、圓淨湖の邊(ほとり)、七ケ村(しちかむら)と云へる所あり。農夫某(それがし)なる者、秋の半(なかば)過(すぐ)る頃ならん、ある夜(よ)、家人(けにん)、皆、寢(いね)て、獨り、燈(ともしび)の下(もと)に繩を糾(あざ)なへ居(ゐ)けるが、夜、いたく更(ふけ)て、窓にばらばらと雨の一トしきりかゝる音を聞く。其後(そのあと)、寂寥(せきりやう)と物凄くなり、終(つゐ)に繩を捨て置き、閨(ねや)に入(いり)て臥しけるが、翌日(あくるひ)早く起出(おきいで)て見るに、その邊(あた)りに、見も馴れざる木(こ)の葉、靑黄(しようわう)、打混(うちま)じりて一ト箕(み)ばかり有(あり)。如何なるわざとも知ることなし。
時に其(その)婦(ふ)、飯(いゐ)を炊(かし)ぎ終はりて、家内(かない)打寄(うちより)、食(くらは)んとするに、釜中(ふちう)、飯(はん)、巳に、空(むな)し。家人、驚け共(ども)、其(その)食(しよく)したる者を知らず。
それよりして、飯(めし)を炊(た)きて、如何にもよく匿(かく)し覆ふと雖も、忽(たちまち)、喰(くら)ひ盡くして、無し。
如何なるものの成すわざとも目に見ることなければ、力、不ㇾ及(およばず)。
如ㇾ此(かくのごとく)なること、數日(すじつ)、家にありて食すること、不ㇾ能(あたはず)。
依之(これによつて)、家内(やうち)、皆、外(ほか)に移り、空屋(あきや)にして、歸らざること、一月餘り。後(のち)、立歸(たちかへ)りて、飯(いゐ)を炊(かし)ぐに、其怪、巳に去りて、元のごとし。如何なるものか、木葉(このは)に駕(か)し來りて、人の食を貪りけん。不思義と云ふも、猶、餘りあり。
[やぶちゃん注:前夜の雰囲気と状況証拠から天狗の仕業と思われるから、やはり先行する条々との親和性が窺える。
「地藏堂の西、圓淨湖の邊(ほとり)、七ケ村(しちかむら)」現在は円上寺と書き、その「円上潟」は大方が埋め立てられて現存しないが、この附近(グーグル・マップ・データ)。この一帯は、現在、西北の新潟県長岡市寺泊円上寺を始めとした長岡市の寺泊地区、及び、中央付近が新潟県燕市真木山になるのであるが、野島出版脚注に「七ケ村」は『蛇塚村・中曾根村・北曾根村・川崎村・東山村・辯才天村・京ケ入村を云う。明治前は村上領』とあり、地図をよく見ると、「寺泊蛇塚」・「寺泊中曾根」・「寺泊川崎」・「寺泊弁才天」・「寺泊京ケ入」といった地名を現認出来る。「地藏堂」は地名で、大河津分水路の対岸の、現在の新潟県燕市中央地蔵堂である(ここ(グーグル・マップ・データ))。に南東を除いて丘陵に囲まれた盆地があり、この話柄のロケーションとしてはしっくりくる。
「寂寥(せきりやう)と」何とも言えず、もの淋しくて。
「見も馴れざる木(こ)の葉、靑黄(しようわう)」今まで見たこともない形の、青葉や黄葉した木の葉。う~む! 如何にも天狗の来訪じゃて!
「一ト箕(み)」穀類を煽って篩(ふる)い、殻や塵(ごみ)を除く箕一盛り分。
ばかり有(あり)。如何なるわざとも知ることなし。
「不思義」原典のママ。]