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2017/08/25

仙人芝居夢

僕は最初に勤めた柏陽高校の夜の校舎内で、懐かしい女生徒たちと演劇の稽古をしている。

[やぶちゃん注:僕は実際、二十九の頃、私が教えた同校の演劇部OBたちの作った「蒼鷗舎」に参加し、新宿で清水邦夫の妖しい芝居を演じたことがある。驚天動地、それは素人劇団の旗揚げ公演であったが、何と、黒字であった。]

それは妖しい仙人の芝居であった。

主人公は「呂洞賓(りょどうひん)」で、副主人公は「李鉄拐(りてっかい)」(二人とも男であるが、演じているのは女生徒である)私はそれに絡む三人目の「費長房(ひちょうぼう)」役である。

しかし、困ったのだ!
僕は、演技や台詞回しには絶大な自信があるのだが、台詞を覚えていないのである!
明日が公演初日だというのに!
呂洞賓と李鉄拐役の女生徒が呆れ顔で黙って僕を睨んでいる……

[やぶちゃん注:「呂洞賓」は唐末宋初の道士。中国の著名な仙人の名数八仙の一人として知られる。「天遁(てんとん)剣法」と「金丹(きんたん)秘法」を駆使して、民衆の苦しみを救ったとされる人気の高い仙人である。因みに私は仙人フリークである。
「李鉄拐」も八仙の一人で私の好きな仙人。知られたエピソードとしては、『太上老君に崋山で逢うことになり、魂を遊離させ、逢いに行くことにした。そこで、彼が帰ってくるまでの七日間の間、魂の抜けた身体を見守るよう弟子に言いつけ、もし七日経っても帰ってこなければ身体を焼くように言った。しかし、六日目に弟子の母が危篤との知らせを受けて、弟子は鉄拐の身体を焼き、母の元に行ってしまった。鉄拐が戻ってきてみると、自分の身体は既に焼かれていた。彼は近くに足の不自由な物乞いの死体を見つけ、その身体を借りて蘇った』という「借屍還魂(しゃくしかんこん:屍を借りて魂を還す)」で知られる(引用はウィキの「李鉄拐」)。因みに、この「借屍還魂」は後に兵法三十六計の第十四計の戦術名となり、『亡国の復興などすでに「死んでいるもの」を持ち出して大義名分にする計略。または、他人の大義名分に便乗して自らの目的を達成する計略。さらに、敵を滅ぼして我が物としたものを大いに活用してゆく計略も指す』(引用はウィキの「借屍還魂」)。
「費長房」私の大好きな妖しい後漢の方士。ウィキの「費長房 (後漢)」より引く。『当初はとある市場の監視役人を務めていたが、市場の監視楼上から市中で売薬店を構える謫仙の壺公(ここう)』『が日没時に店先に吊した壺に跳び入る姿を目撃した事から壺公の許を訪れたところ、自分の秘密を目にし得た費に感心した壺公に連れられて壺中に入り、そこに建つ荘厳な御殿で美酒佳肴の饗応を受ける。その後、壺公から流謫も終わって人間界を去る事を聞かされると、自分も仙道を学びたいと思い、壺公の教唆に依って青竹を自身の身代わりに仕立て、縊死を装う事で家族の許を去り』、『壺公に就いて深山に入り修行する。修行は初め虎の群中に留め置かれ、次いで今にも千切れんとする縄に吊された大石の下に身を横たえるといった内容で、共に成果を修めるも最後に3匹の虫』『が蠢く臭穢な糞』『を食すよう求められて遂に上仙を断念し、壺公から地上の鬼神を支配出来る』一『巻の護符を授かって帰郷する』。『なお、山中での修行は僅か』に十日ほど『であったが、地上での実歳月は』十『年以上を経るものであった』とする。『帰郷後は治病に従事したり』、『壺公から授かった護符を使って東海地方(現山東省東南の海岸部)の水神である東海君や、人間に化けた鼈や狸を懲らしめる等、社公(地示)やあらゆる鬼神を使役懲罰し、また地脈の伸縮を自在に操る能力を有して』、『瞬時に宛(えん。現河南省南陽市)に赴いて鮓(さ。魚類の糟漬け)を買ったり』、一『日の中で数千里』(当時の中国の一里は約四百四十メートル。リンク先は五百五十メートルとするが、これは中国のいかなる時代の一里とも符合しないので採れない)を隔てた複数の場所を『往来したりしたが、後に護符を失った為に鬼神に殺された。晋代の葛洪は竹を自身の屍体に見せかけた費を尸解仙の例に挙げている』。この「尸解仙」とは、 一旦、死んだ後に生返って他の離れた地で仙人となることを指す。これはオーソドックスな羽化登仙する「天仙」や名山で霞を食して鶴に乗って行く「地仙」などの高級な仙人に対して、不死でなければならない仙人が仮にとは言え、死の形をとることから、最下級の仙化とされる。だからこそ僕は好き!

僕は実際、表現読みの朗読や台詞回しには誰にも負けないという自信がある(これは今もある)のだが、昔から(高校時代の僕は演劇部で将来は役者になろうかとも真面目に思っていた。諦めた最大理由は体力が続かないからであった)、長台詞は苦手だった。因みに、先の「蒼鷗舎」の公演の際には、僕は主演を頼まれた。しかし、まさに台詞を覚えられないという一点に於いて仕事の忙しさを言い訳として辞退し、台詞が三つぐらいしかない端役を演じたのであった。懐かしい思い出である。

僕はしばしば芝居を演じている夢を見る。しかも必ず、その夢の中の僕は肝心のその夢の中の役の台詞をまるっきし覚えておらず、いつも絶望的に絶体絶命なのである。]

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