北越奇談 巻之一 似類
似類(じるい)
[やぶちゃん注:橘崑崙茂世の筆になる挿絵(左に「茂」「世」の落款有り)。私はこの挿絵がすこぶる好きでたまらない。右上には『西川乃土人棒をもて怪物をうたんとなす』とキャプションが入る。なお、標題の「似類」とは、前の二話の「登蛇(とうだ)」と「似」たような「類」いの未確認生物・幻獣の謂いである。]
信川(しんせん)の分流西川(にしがは)といへるは、海に近く、伊夜日子山(いやひこやま)の一里東を巡り、新潟の南(みなみ)、平島(ひらじま)にて會す。此川續きに曾根と云へる所、又、鈴木村(すゞきむら)と云へる、此両村を插(ささしはさみ)てあり。
夏の夕暮れ、若者ども、多く集まり、流(ながれ)に浴し、砂汀(さてい)に戲(あはむ)れ遊ぶ折節、何(なに)共知らず、二尺餘りなるもの、空中、一丈ばかり上にありて、頻りに轉じ翻るること、兵術(ひようじゆつ)に棒を使ふがごとく、一轉(いつてん)ごとに響(ひゞき)ありて、夫(それ)と見定むべき樣(やう)もあらず。
初めは小児(しように)等(ら)、釣竿・小竹(をだけ)なんど、持ち來りて、是を打(うた)んとすれども、更に打(うち)當つること、なし。
若き者共、興に入(いり)、手(て)ン手(で)に、棒・舟棹(ふなざほ)なんど、携ひ來つて、左右前後より、是を打てども、其翻ること、速(すみやか)にして、一ツも打得(うちう)ること、あたはず。後(のち)は次㐧(しだい)に、大勢、東西の岸に集まり來り、力を盡し、聲を勵(はげま)して打(うつ)ほどに、何時(いつ)となく、怪物は消(きえ)失せて、両村の老若(らうにやく)、何ごとゝは知らず、騷動すること、夥(おびたゞ)し。
日も巳に暮(くれ)果つるほどに、風雨、俄(にはか)に水陽(みなかみ)より起り、その激しきこと、皮肉を破るがごとく、漸々(やうやう)にして、皆々、家に逃歸(にげかへ)れり。
此一事(いちじ)、殊に奇なり。按ずるに、是等も又、登蛇(とうだ)の類ひならんか。
[やぶちゃん注:空中を浮遊する目に見えない透明なクラゲのような(しかし何かが確かにいることが棒を振り回すような回転する「ぶぅん」というような音(オノマトペイア表現は本文叙述からの私の推定)によってはっきりと全員に知れるのである)怪物という属性が実にオリジナルですこぶるいいではないか! しかもそれは、筆者の夢想の産物なんどではなく、村人たちが追い掛け回しては知らないうちにいずこかへと消え去っている現実の何ものかなのである! ある者は集団ヒステリーで片付けるかも知れぬし、何らかの微小昆虫の集合体と同定する輩もおり、また、阿呆臭い、空中を高速(時速二百八十キロメートル以上で飛翔移動するとされている棒状の未確認動物スカイ・フィッシュ(Sky Fish/Flying Rods/Rod)を今さらに言い出したり、「ウルトラマンティガ」に出てきた空中棲息生物クリッター! と叫ぶ奴もいるかも知れぬ。しかし、正体が判らぬ故に、この出現が日常化しているにも拘わらず(普通、これは怪談の怪談性の低下を引き起こす大きなマイナス要素である)、この話、実に第一級の怪奇談の一つと言えるのである。実際には私も実在生物(特に昆虫)の群体として考察し、それに集団感染性ヒステリーを添えて解明してみたい欲求はあるのであるが、それは如何にも私の好きなこの話の注としては至って面白くないと思うのである。
「信川の分流西川といへるは、海に近く伊夜日子山(いやひこやま)の一里東を巡り、新潟の南(みなみ)、平島(ひらじま)にて會す。此川續きに曾根と云へる所、又、鈴木村(すゞきむら)と云へる、此両村を插(ささしはさみ)てあり」以上の叙述から地図を探って行くと、発見した! ここだゾ!!
現在の西川は信濃川から一度、新潟県燕市五千石付近で分流し、弥彦山(=「伊夜日子山(いやひこやま)」)の
東方
約四・九キロメートル(以上は山頂からの直線距離であり、「一里」とは齟齬しない)
を北上して下り、遙か北の
新潟の南西方直近にある、現在の、
新潟市西区平島
で、河口近くの
分流元である信濃川に再び注いで(「會」して)いる
から、
西川は分岐も合流も信濃川という信濃川の秘蔵っ子中の正統なる分流
なのである! そうしてその、
西川の東(右岸)
にある、
現在の新潟県新潟市西蒲区曽根
の、
西川を隔てた直の対岸(左岸)
には、実に
新潟市西蒲区鱸(すずき)
という「そね」と「すゞき」の地名が現存するのである! ここ!(グーグル・マップ・データ)
現代の地図データを調べて、ここまで江戸時代の記述の細部までがほぼ完全に一致するということは、そうそうあるもんじゃないんだ! 嬉しいッツ!!!
「砂汀(さてい)」川岸の川砂の溜まった洲(す)。
「二尺」六十一センチメートル弱。
「一丈」三メートル三センチ。
「水陽(みなかみ)」西川の上流。前に述べた通り、元は信濃川であるが、分岐点からは直線でも約二十一キロメートル離れており、途中も激しく蛇行している。この場合は、上流がこの辺りで、西に大きく蛇行していることから、川の上流というより、その西方向にある角田山(かくだやま:新潟県新潟市西蒲区にある。標高四百八十一・七メートル)の北の裾野を、日本海方向から強烈な海風が吹き寄せてくる、と解釈した方がよいかも知れない。夏という季節から考えても、これは強い偏西風を指している可能性もある。]