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2017/08/14

柴田宵曲 續妖異博物館 「牛になつた人」

 

 牛になつた人

 

 蕪村に「食うて寢て牛にならばや桃の花」といふ句がある。牛と桃とは周の武王の「馬を華山の陽に縱(はな)ち、牛を桃林の野に放つ」以來の因緣があるが、さういふむづかしい事を持ち出さないでも、のんびりした趣の上で調和を見出すことが出來る。飯を食つて直ぐ寢ると牛になるといふのはよく云ふことで、これものんびりした話には相違ない。

[やぶちゃん注:「食うて寢て牛にならばや桃の花」与謝蕪村(享保元(一七一六)年~天明三(一七八四)年)の明和年間(一七六四年から一七七二年)の句。「蕪村句集」所収。

『牛と桃とは周の武王の「馬を華山の陽に縱(はな)ち、牛を桃林の野に放つ」以來の因緣がある』「史記」の「周本紀」に、

   *

縱馬於華山之陽、放牛於桃林之。偃干戈、振兵釋旅、示天下不復用也。

(馬を崋山の陽(みなみ)に歸(かへ)し、牛を桃林の虛(きよ)に放ち、天下に復た用ゐざることを示す。)

   *

とある。「虛」はひっそりとした野原。これは、周の武王が暴虐の殷を滅ぼし、戦さに用いた兵馬を崋山の南へと帰してやり、武器などを運搬させた牛を城塞であった「桃林」(河南省内)の跡地に放牧して、最早、天下にそれらを二度と用いぬことを示したことから、特にその牛の方を擬人化し、「桃林處士」と異名するようになった。「處士」とは優れた能力を持ちながら在野の士であることを指す語である。]

 

「今昔物語」などを讀むと、牛になつた人間の話が出て來るが、これは前世の因果によつて畜生に墮在(だざい)するのだから、決してのんびりしてはゐない。その牛が父親だつたり母親だつたりするに至つては、のんびりどころの話ではないのである。

[やぶちゃん注:これは「今昔物語集」の「卷二十」の「延興寺僧惠勝依惡業受牛身語第二十」(延興寺(えんこうじ)の僧惠勝(ゑしよう)惡業に依りて牛に身を受くる語(こと)第二十)であろう。

   *

 今は昔、延興寺と云ふ寺、有り。其の寺に、惠勝と云ふ僧、住みけり。年來(としごろ)、此の寺に住む間(あひだ)に、寺の温室分(うんしつぶん)[やぶちゃん注:浴室用。]の薪(たきぎ)一束(そく)を取りて、人に與へたりけるに、其の後(のち)、償ふ事無くて、惠勝、死にけり。

 而る間、其の寺の邊(ほとり)に、本(もと)より牸(めうし)、有けり。一つの犢(こうし)を生みてけり。

 其の犢、長大して後、其の犢に車を懸けて、薪を積みて、寺の内に入る。

 其の時に、知らぬ僧、寺の門に出で來て、此の犢を見て云く、

「惠勝法師は生きたりし時、涅槃經を明け暮れ讀み奉りしかども、車引く事こそ、哀れなれ。」

と。犢、此れを聞きて、淚(なむだ)を流して、忽ちに倒れて死す。

 犢の主(あるじ)、此れを見て、大いに瞋(いか)りて、其の知らぬ僧を詈(の)りて、

「汝が此の牛をば咀(のろ)ひ殺しつる也(なり)。」

と云ひて、卽ち、僧を捕へて、公(おほや)けに將(い)て行きて、此の由を申す。

 公け、此れを聞(きこ)し食(め)して、其の故を問はしめ給はむとして、先(まづ)、僧を召して見給ふに、僧の形・有樣、端正にして、只人(ただびと)と思へず。然(しか)れば、驚き怪しび給ひて、忽ちに咎(とが)行はむ事を恐れて、淨(きよ)き所に僧を居(す)へて、止事無(やむごとな)き繪師共(ども)を召して、

「此の僧の形・有樣、世に似ず、端正(たんじよう)也。然(さ)れば、此の形を謬(あやま)たず、書きて奉るべし。」

と。

 繪師、宣旨を奉(うけたまは)りて、各々、筆を振るひて、書寫(しよしや)して持(も)て參りたる。

 公け、此れを見給ふに、本(もと)の僧には非ずして、皆、觀音の像也。

 其の時に、僧、搔き消(け)つ樣(やう)に失せぬ。

 然(しか)れば、公け、驚き恐れ給ふ事、限り無し。

 此れ、現(あらは)に知りぬ、觀音の惠勝が牛と成れる事を、人に知らしめむが爲(ため)、僧の形と成りて、示(しめ)し給ふ也けり。牛の主(ぬし)、此れを知らずして、僧に咎を行はむと爲(す)る事を悔ひ悲しみけり。

 人、此れを以て知るべし。一塵の物也と云ふとも、借用せし物をば、慥(たしか)に返すべき也。返さずして死ぬれば、必ず、畜生と成りて、此れを償ふ也、となむ語り傳へたるとや。

   *]

 

 田舍とばかりあつて、どこの話ともわからぬが、富裕な百姓がいゝ牛を飼つて居つた。飼料も潤澤に與へられるから、象のやうに肥え太つて、力も甚だ強い。人の牛と鬪はせて見るのに必ず勝つので、飼ひ主も面白くなつて、かういふ立札をした。何人たりとも牛を牽き來つて突き合されよ、此方の牛負けたらば料足百貫目を進ずべし、餘所の牛負けたらば料足は取らず、たゞその牛を取るべきなり、といふのである。この札を見て牛を牽き來り、百貫文取らうとした人は澤山あつたが、皆負けて牛を取られてしまふ。取つた牛は賣つて金に換へるので、飼ひ主は愈々分限になつた。

 

 その百姓の家から五六里離れたところに、斑牛を一頭飼つてゐる男があつた。左の肩から右の脇まで黃色、その外は皆黑い。瘦牛で弱いため、田を鋤(す)かせることもなく、重荷も負はせず、いたはつて使ふことが多年に及んだ。然るに或晩この牛が飼ひ主の夢に現れて、私は年久しくお養ひを受け、御憐愍にあづかりながら、かひがひしくお役に立つこともなく、徒らに飼料を費して居りますのは、まことに本意ない次第でございます、こゝから五六里南の方に、有福の百姓が牛を持つて居りまして、人の牛と突き合せて、自分の牛が負けたら百貫文出す、餘所の牛が負けたら錢でなしにその牛を取るといふことです、どうか私を連れて行つて突き合せて下さい、私が突き勝つて百貫文お取らせ申し、年頃の御恩報じを致します、と云ふかと思へば目が覺めた。

 

 倂し先方は音に聞えた大牛である。この瘦牛が勝つことは思ひもよらぬ。牛を取られに牽いて行つても仕方がない、と問題にせずにゐたところ、再び夢に現れて、何故牽いておいでなされませぬか、私は必ず勝ちます、お疑ひめされますな、と云ふ。それほどに云ふなら、或は百貫文取れるかも知れぬといふので、人を誘ひ合せて牽いて行つた。先方の在所に著くと、先づ傍の桃林に牛を繫ぎ、彼の家に行つて案内を乞うた。立札の表に任せ五六里先より參りました、と申し入れたところ、先方は大いによろこんで、その牛が見たいと云ふ。瘦牛を牽き出したのを見て大いにあざ笑ひ、例の大牛を牽いて來た。聞き及んだよりも大きな牛で、一同目を驚かすところへ、瘦牛は進んで大道の眞中に行く。大牛も近く寄つて立ち向つたが、何となく大牛の方が恐れる體である。頭を脇へ振つてそのまゝ逃げ去るのみならず、自分の家の門を入つて後庭に逃び込んだ。瘦牛はあとを追駈けて後庭に迫ひ詰めたから、大牛は逃げ場を失ひ、膝を折つてうなだれてしまつた。瘦牛が飛びかゝらうとするのを牛の主が引き止めて、私の牛が勝ちましたと云ふ。亭主も今は致し方なく百貫文を出して渡した。

[やぶちゃん注:「逃び込んだ」恐らくは「とびこんだ」と訓じている。]

 

 自分の牛のあまり腑甲斐ない有樣に、大いに腹を立ててゐると、今度は大牛が亭主の夢に現れた。お腹立ちは御尤もでございますが、これには深い子細のあることなのです、私の前生は山の上の禪寺の僧でございました、住持は瘦せた人でしたが、福分がありまして、皆がその錢を借ります、私も澤山借りて暮しながら、その借錢を九牛の一毛も返さずに死んでしまひました、この世では私が牛に生れてこの家に養はれますと、住持も山の下の檀越(だんをち)の家の牛に生れて居られます、あの左の肩から右の脇まで、毛色の黃なのは袈裟の色なのです、僧の時にも瘦せてゐましたから、牛になつても瘦せてゐますが、住持の德には田を鋤くこともなし、重荷を負はずにいたはられてゐるわけです、今日來たのをどこの牛とも知らず立ち向ひましたら、住持なのに弱りました、借錢のある身では逃げる外はありません、百貫文の御損をおかけ申したのは、まことに不本意でございますが、これが世間の評判になれば、愈々方々から牛を牽いて參りませう、それを思ふ存分に突き勝つて、牛が澤山お手に入るやうに致しましたら、百貫文の御損は間もなく取り返せます、御安心下さいまし――。この牛の話を聞いて亭主が滿足したと思つたら目が覺めた。

 

「奇異雜談集」にあるこの話も甚だ理詰めで、あまりのんびりしてゐない。大牛も瘦牛も共に夢枕に立つあたり、趣向としても窮した點がある。前世の借錢のために勝を讓らなければならぬなどは、牛になつても義理はきびしいものらしいが、どこかに滑稽の分子を含んでゐるのは、牛そのものの持ち味であらうか。

[やぶちゃん注:これは「奇異雜談集」の「卷第三」の「二 牛(うし)觖合(つきあひ)て勝負をいたし前生(ぜんしよう)を悟る事」である。早稲田大学古典総合データベースのの4から9までの画像で読める。挿絵もある。]

 

 ルーマニアに「奇牛の角」といふ話がある。これは右の角を握れば直ちに食物が得られるといふ不思議な牛であるが、この牛が黃金橋と白銀橋とで二度大牛を相手にして勝ちながら、最後に來た瘦牛と朱銅(あかがね)橋で鬪ふことになつた時は、はじめから元氣がなく、左の角を形見に殘して相手の牛と共に下の谷へ轉げ落ちてしまつた。前世に借銀をしたわけでもないらしいのに、瘦牛に勝ち得なかつたところを見ると、何かさういふ話の型があるのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:この民話は不詳。ネット検索でも掛かってこない。識者の御教授を乞う。

「黃金橋と白銀橋」あとが「あかがね」と訓じているのであるから、「こがねばし」と「しろがねばし」と読んでおく。]

 

 その後「太平廣記」を讀んだら、前世に借錢を償はなかつた爲に、牛に生れ替る語が二つあつた。いづれも何等かの證迹を毛色にとゞめてゐるが、路伯達とか崔某とかいふ人の生れ替つた犢(こうし)は、額上にその姓名が白く讀まれたさうである。黃金の犢に黑で笏の形が現れたなどといふ話もある。借金のために鬪牛の場で勝を讓るといふほど、義理に絡んだのはないやうだが、袈裟の形が黃色に現れるなどといふ話にも、自ら由つて來るところがありさうな氣がする。

[やぶちゃん注:「自ら由つて來る」「おのづからよつてきたる」。暗に宵曲は前の「奇異雜談集」の一部はこれらがヒントではなかろうかと言っているようである。

 これらは、一つは「太平廣記」の「畜獸一」の「路伯達」で、「法苑珠林」を出典とする以下。

   *

永徽中、汾州義縣人路伯達、負同縣人錢一千文。後共錢主佛前爲誓曰。我若未還公、吾死後、與公家作牛畜。話訖、逾年而卒。錢主家牸牛生一犢子、額上生白毛、成路伯達三字。其子姪耻之、將錢五千文求贖、主不肯與。乃施與濕成。縣啓福寺僧眞如、助造十五級浮圖。人有見者、發心止惡、競投錢物、以布施焉。

   *

もう一つは同じ「畜獸一」の「路伯達」の次の次に載る、「宣室志」を出典とする「河内崔守」であろう。

   *

有崔君者、貞元中爲河内守、崔君貪而刻、河内人苦之、常於佛寺中假佛像金、凡數鎰。而竟不酧直。僧以太守、竟不敢言。未幾、崔君卒於郡。是日、寺有牛産一犢。其犢頂上有白毛、若縷出文字曰崔某者。寺僧相與觀之、且嘆曰。、崔君常假此寺中佛像金、而竟不還。今日事、果何如哉。崔君家聞之、卽以他牛易其犢。既至、命剪去文字、已而便生。及至其家、雖豢以芻粟、卒不食。崔氏且以爲異、竟歸其寺焉。]

 

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