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2017/08/27

北越奇談 巻之四 怪談 其十二(山の巨魁)

 

    其十二

 

 神田村(かんたむら)に鬼新左衞門(おにしんざゑもん)と云へる者あり。其性(せい)、暴悪にして、物の命をとること、草を苅るがごとし。里人(りじん)・親族と雖も、その強きを憎んで相厭(あいいと)ふ。

 爰(こゝ)に村を離るゝこと、十餘丁、山神(さんしん)の小社(ほこら)あり。其下、溪流湛(たゝ)へて、水鳥、甚(はなはだ)多しと雖も、里人(さとびと)、殺生を禁じて、是を獲らず。

 過(すぎ)し冬、新左衞門、雪中に獨り、其所(そのところ)に至り、黐繩(もちなは)を引流(ひきなが)して鳥を獲ること、夜每(よごと)に甚多く、ある夜、又、到りて、繩を引くに、宵より、鳥一ツも不ㇾ來(きたらず)、夜半にも、又、來たらず。

 已に曉方(あかつきがた)に及んで、山の上より、何(なに)とも知らず、氷(こほり)たる雪の上を、ものゝ步行來(あゆみく)る音す。新左衞門、小屋の中(うち)より竊(ひそか)に是を覗(うかが)ひ見れば、其長(たけ)一丈あまりなる男、髮(がみ)、目の上に覆ひたるが、出來(いできた)れり。

 新左ヱ門、恐れて、声も出(いで)ず、小屋の中(うち)に竦(すく)み居(ゐた)りしに、かの大男、近く步み來り、小屋の中へ、箕(み)のごとくなる手を差し入(いれ)、新左ヱ門を摑(つか)み出(いだ)し、遙かに投げ飛(とば)したりと覺へて、氣絶しぬ。

 さて、夜明(よあけ)、家(いへ)の女房、新左ヱ門が歸りの常より遲きを以(もつて)、訝(いぶか)しく、かの小屋に到り見れば、居らず。又、足跡もなし。

 女房、驚き、立歸(たちかへ)り、是を村長(むらおさ)に訟(うつた)ひ、人を出(いだ)し、山々谷々(やまやまたにたに)、不ㇾ殘(のこらず)尋ね求(もとむ)るに、北谷(きただに)二ツを越へて、新左左ヱ門、雪中(せつちう)に倒れ死す。

 人々、漸々(ようよう)に助け來りて家に入(いり)、藥を注(そゝ)ぎ、(あたゝめ)なんどしけるに、一時(いちじ)あまり過ぎて、人心(ひとごゝち)付(つき)ぬ。

 其後(そのゝち)、殺生は止(やめ)たれども、三年を不ㇾ待(またず)して卒(そつし)ぬ。

 深山の奇、はかり難し。

 

[やぶちゃん注:今までの山男の延長線上にある巨魁。この「小社(ほこら)」(二字へのルビ)に祭祀されているのは「山の神」で、自然、この男を同一視したくなるが、「山の神」は女神とされるから、これは連関を求めるとならば、その「山の神」の眷属と見るべきであろう。

「神田村(かんたむら)」一つの候補は旧中頸城郡神田村か。現在の新潟県上越市三和(さんわ)区神田(かんだ)。(グーグル・マップ・データ)。

「鬼新左衞門(おにしんざゑもん)」通称で、「鬼」は「悪太郎」「悪源太」などと同様、勇猛で力が強いことを示す添え辞であって、本来は禍々しい蔑称ではない。

「十餘丁」十三町ほどとして、一キロ半弱か。

「黐繩(もちなは)」鳥黐(バラ亜綱ニシキギ目モチノキ科モチノキ属モチノキ Ilex integraやマンサク亜綱ヤマグルマ目ヤマグルマ科ヤマグルマ属ヤマグルマ Trochodendron aralioidesなどの樹皮から抽出した粘着性物質。前者から得たものは白いので「シロモチ」或いは「ホンモチ」、後者からのそれはは赤いので「アカモチ」と呼称する)を塗った縄を水面に張り巡らすことで水鳥を捕獲する(特に鴨猟)「流し黐猟」(但し、現在は鳥黐を用いた鳥猟は総て禁止)。ウィキの「流し黐猟によれば、『秋から冬、夜間、黐を塗り付けた縄を湖沼に流し、カモを捕獲する』。『長縄に黐を塗り付け、暗夜に湖沼や海面に流し、遊泳しているカモを捕獲する。各所で行なわれたが、千葉県で最も盛んであった。他に、京都、新潟、千葉、茨城、滋賀、岐阜、青森、福井、富山、島根、岡山、愛媛などで行なわれた。縄は、シュロ縄、藁縄、カヤツリグサ縄、フジ蔓、麻糸などで、これにキリ製の浮きを付ける。アシ、マコモの縄が最上とされた。千葉県では、秋分頃に刈り取ったアシを細く裂いて乾し、これを直径』三ミリメートル』『もどの縄にし』、一本の縄の長さは凡そ千五百メートル『とした。縄は小田巻という枠に巻き付けて』おき、『使用時には水中でも容易に鳥に付くように』(鳥黐は水に漬けると粘着性がなくなってしまう性質がある)、『これに種油を混ぜて煮た黐を塗り付ける』。『猟は小船で乗り出し』、一『人は棹を使い』、一『人は小田巻を扱い、水面に黐縄を放流しながら進む。千葉県手賀沼では、沼のほとりのアシのある所で鴨網を張り、同時に流し黐猟を行なった。水面の流し黐に驚いたカモの群れがアシ原に逃げてくると、鴨網にかかるから、再び水面に戻るというふうで、この』二『つの猟法を用いれば、多数のカモを捕獲することが出来たという。この猟法は、夜半に行ない、また燈火は用いず、静寂の中で行なわれた』とある。(下線太字はやぶちゃん)。以上は他にウィキの「鳥黐等も参考にした。

鳥を獲ること、夜每(よごと)に甚多く、ある夜、又、到りて、繩を引くに、宵より、鳥一ツも不ㇾ來(きたらず)、夜半にも、又、來たらず。

「一丈」三・〇三メートル。

「箕(み)」穀類を煽って篩(ふる)い、殻や塵(ごみ)を除く両手で支えるほどの大きさの農具。

「死す」仮死状態にあった。

(あたゝめ)」既出既注。温め。暖かくしてやり。「」は「冷えたものを温める」の意。

「一時(いちじ)」一時(いっとき)。約二時間。

「三年を不ㇾ待(またず)して卒(そつし)ぬ」先の焚」でもこの期間が示されてあった。或いは、新潟ではある種の妖異に遭った者はそうなるという広汎な民俗理解があったものかも知れない。]

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