北越奇談 巻之三 玉石 其二十一(蒲萄石)
其二十一
糸魚川より、山中九里(くり)にして、蝋石山(ろうせきざん)あり。山の渡り、三里の間(あいだ)、頂(いたゞき)より谷に至りて、皆、蒲萄石(ぶどうせき)。色、少し柔らかなるが故に、印文(いんぶん)を成すに不ㇾ堪(たへず)と雖も、潤沢ありて可ㇾ愛(あいすべし)。此他の人、是を切取(きりとり)て温石(おんじやく)と成し、諸方に賣(うる)。亦、以(もつて)、香合(かうがう)・肉地(にくち)なんどを作るべし。予いまだ此山に遊ばず。恨ら(うらむ)らくは、其(その)上品なる所に訪ね當たらざることを。
[やぶちゃん注:「蝋石山(ろうせきざん)」不詳。糸魚川市街地から三十五キロメートル強という謂いと、前の条で同じく「蝋石」(前条の私の注を参照)が出ていることから、前の条で推理した新潟県糸魚川市大平にある放山(ここ(グーグル・マップ・データ))の周辺域と考えてよいように私には思われる。識者の御教授を乞う。
「山の渡り」十二キロメートル弱というのだから、これは山の麓の直径ではなく(であったら、どでかい山で見つからぬはずがない)、山へのアプローチの実動距離のことであろう。
「蒲萄石(ぶどうせき)」葡萄石。古くはこうも書いた。但し、歴史的仮名遣は「ぶだうせき」である。層状珪酸塩鉱物の一つである「プレナイト」(prehnite)のこと。小学館「日本大百科全書」によれば、斜方短柱状、乃至、『菱餅(ひしもち)状の結晶形を示すが、多くは結晶面が湾曲し、さらにそれらが多数集合してブドウ状の球塊をつくる。また塊状、脈状をなす』。『変成した塩基性ないし中性火成岩中に』産する。空隙には、『しばしば淡緑色球状の結晶集合体がみられる。アメリカのニュー・ジャージー州パターソン産のものは世界的に有名』。『日本のおもな産地は島根県松江市美保関(みほのせき)町地区である。英名は、鉱物収集家でオランダの軍人プレーンHendrik von Prehn』(一七三三年~一七八五年)に由来し、和名はその外観に因る、とある。グーグル画像検索「prehnite」をリンクさせておく。
「潤沢」しっとりとして艶(つや)や潤いがあること。
「印文(いんぶん)を成す」印材として文字を彫る。
「温石(おんじやく)」焼き石。焼いた石を綿や紙などで包んだもので、冬に体を暖めるのに使った。
「香合(かうがう)」歴史的仮名遣は「かうがふ」が正しく、「香盒」(現代仮名遣:こうごう)と同じい。香箱(こうばこ)。香を入れる蓋の附いた小さな容器。中・上流階級の持ち物。
「肉地(にくち)」普通は「肉池」だが、違和感はない。朱肉を入れる容器。肉入れ。印池(いんち)とも称する。]
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