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2017/08/18

ブログ990000アクセス突破記念 花嫁と瓢簞 火野葦平

 

[やぶちゃん注:本文では特異的に拗音が散見されるが、それならここも拗音となるべきであると思われる箇所がなっておらず、全体にそうした歴史的仮名遣的箇所の方が多い。それらは総てママとした。

 以下、簡単な注を附しておくが、ネタバレになる本話全体への私のある感懐は最後に回した

・本文で二箇所に出る「先登」はママ。先頭。

「カルカヤ」本邦では単子葉植物綱イネ目イネ科キビ亜科メガルカヤ属メガルカヤ Themeda triandra var. japonica(或いはThemeda triandra)を指す。高さ約一メートルで、長毛を有する。九月から十月にかけて稈頂に包葉がある仮円錐花序をつける。日当りのよい丘陵地や草地に生え、本州から九州に分布する。和名は「雌刈萱」で、オガルカヤ(雄刈萱:キビ亜科オガルカヤ属 Cymbopogon tortilis var. goeringii)に対し、それよりも小形であることに由来する。Katouの「三河植物観察」を参照されたい。

・「德の洲」は正確には「徳淵の津」である。この附近(グーグル・マップ・データ)で、マー君のブログ「生涯現役毎日勉強」の「徳淵の津と河童」に詳しく、画像も載るが、後者のリンク先は読後に見られんことをお勧めしておく

・本文で球磨川の支流として「白川」・「靑葉川」・「枕川」と順に出し、最後の枕川で本流の球磨川に接続したという記載が出るが、「白川」は阿蘇山の根子岳(ねこだけ)に発し、阿蘇カルデラの南部の南郷谷を西流し、南阿蘇村立野で、カルデラの北側の阿蘇谷を流れる支流の黒川と合流、急流の多い上中流域を抜けて、熊本市市街部を南北に分けて貫流した後に有明海に注ぐ川である(ここ(グーグル・マップ・データ))。「靑葉川」と「枕川」は不明で(国土地理院の地図も調べたが、当該河川名を発見出来なかった)、現在の河川状況からは、この白川から球磨川に支流河川を通って容易に行けるようには私には思われない。現在の白川の最も南の部分から直線でとっても球磨川は真南に約三十キロメートルも離れている。可能性としては平地である宇土を抜けて河川を行くルートか。あったとすれば、その付近に「靑葉川」及び「枕川」はあることになる。因みに、白川の南には「緑川」が流れており、これは「靑葉」という名とは親和性があるように思われはする。ただ、「枕川」が肝心要の作品の舞台及びその近くの川であるから、実在するならば、何とかして知りたい。識者の御教授を乞うものである。

 また、「松尾川」は熊本県熊本市西区を流れる現存河川で、西区松尾町上松尾附近を源流とし南流し、熊本市立松尾東小学校近くを通って、先の「白川」の北側を流れる坪井川に合流する川である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 虎助の台詞の「ええごとしてもろうて、よか」は「好きにしてもらって、いいぞ」の意であろう。

 「カマツカ」コイ目コイ科カマツカ亜科カマツカ Pseudogobio esocinusウィキの「カマツカ」によれば、体長十五~二十センチメートルほどの『細長い体と、長く下に尖った吻が特徴。吻の下には』一『対のヒゲがある』。『主に河川の中流・下流域や湖沼の砂底に生息し、水生昆虫などの底性の小動物や有機物を底砂ごと口から吸い込み、同時に砂だけを鰓蓋から吐き出しながら捕食する。繁殖期は春から初夏にかけてである』。『おとなしく臆病な性質で、驚いたり外敵が現れたりすると、底砂の中に潜り、目だけを出して身を隠す習性があることから「スナホリ」・「スナムグリ」・「スナモグリ」など、また生態が海水魚のキスに似ていることから「カワギス」など、また鰓蓋から勢いよく砂を吐き出す仕草から「スナフキ」という別名もある』。美味な淡水魚として知られ、塩焼きや天ぷら、甘露煮などにする、とある。

 なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが990000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年8月18日 藪野直史】]

 

         一

 

 稻の穗の稔りのうへを秋風がすぎると、黃金色の波が美しい縞をつくりながら、はてしもなくかろがつて行く。風が強いときには鳴子(なるこ)が鳴り、ある田ではキラキラと銀紙が光つて、雀どもが一散に飛び立つ。案山子(かかし)のおどけた姿や顏にさわやかな太陽があたり、その光線は村のいたるところに、象牙細工のやうな柿の實を光らせてゐた。部落の藁屋根や瓦葺のうへには銀杏の葉が降りそそぎ、野や畦道(あぜみち)は、オミナエシ、キキョウ、ハギ、カルカヤ、キクなどの花盛りであつた。天には、悠々とトンビが舞つてゐる。平和で美しい村の風景である。

 しかし、今、この美しい村をさらに一段と美しく彩つて、通りすぎて行くのは花嫁の一行であつた。白い眞綿の帽子に角かくし、あでやかな衣裳をつけた花嫁は、馬の背に橫坐りになり、紅白だんだらの手綱を持つた馬子に引かれて行く。その前後には型どほりの行列が、村民たちの見物のなかを拔けて、靜々と、婚家先へ進んで行つた。眞晝間なのに、先登の男は定紋入りの提燈をぶらさげ、もう醉つぱらつてゐるのか、すこし千鳥足で、調子はづれの鼻唄をうたつてゐた。

 村人たらは、沿道は勿論、遠近(をちこち)の自分の豪から、田圃のなかから、丘のうへから、このあでやかな花嫁道中を眺めてゐた。

「おい、お前たらもそろそろぢやッど」

 百姓虎助は、自分の左右にゐる三人の娘たちを見まはして、意味ありげにいつた。

「まだ早かたい」

「なんの早かろか。大體がもう三人とも遲れちよるちゆうても、よかくらゐぢや。あげな晴れがましか花嫁衣裳ば、早よ着てみたうはなかッとかい?」

「そら着てみたかばつてん」

「今年のうちに、みんなよか婿ば取らんば。ウメは一番上ぢやけん、養子をせんにや仕樣なかばつてん、キクとアヤメはよかとこへ行けや。それで、お父ッあんもおッ母ァも安堵ばするけん」

 虎助は特別に慾張りでも因業でもなかつたが、やはり、三人姉妹の婿が金に困らぬ男で、氣立てがよく、よく働き、男ぶりも惡くないことを祈らずには居られなかつた。どういふものか男の子が出來ず、養子をしなければならぬことが殘念だけれども、揃ひも揃つて三人娘が器量よしなので、きつと自分を滿足させる婿が來るだらうと樂觀してゐた。虎助が娘たちを意味ありげな眸でながめたのは、さういふ思ひをこめてゐたからで、彼は自分の三人娘が自慢でたまらぬのだつた。

「虎助どんは幸福者ばい。三人ともこん村にならぶ者がなか別嬪ぢやで、寶物を持つとると同じたい。三國一の花婿が來らすぢやろ」村人も口を揃へて、それをいふ。そのたびに相好をくづして、

「トンビがタカば生んだッたい。へへへへ」

 と、やに下がるのが常だつた。

 河童たちも、この花嫁行列を見てゐた。この部落のはづれを流れてゐる枕川は、球磨川(くまがは)の支流で、さうたくさんはゐないが、二三十匹ほどの河童が棲んでゐた。彼等はいたづら好きで、ときどき村民に角力(すもう)を挑んだりするけれども、子供たちの尻子玉(しりこだま)を拔いたり、野菜畑を荒したりして、ひどい被害をあたへることはなかつた。たまに、犬や馬や牛を川へ引きこんでみたりする。しかし、それとて、それらの動物たちを殺したり、これを餌(えさ)にしたりすることが目的ではなく、自分たちの力をためしてみたい心からで、もう一つはこれらの動物たちが水中で必死にもがくさまが面白くてたまらぬからだつた。スポーツか見世物のつもりなのだ。もともと、四千坊頭目に率ゐられてゐたのは、九千坊一族が球磨川から筑後川へ大移住したとき、破門されて本流から支流へ追放された連中の末孫だから、まづ優秀の部類とはいへない。それでも村では恐れられてゐて、村民はなるべく河童に觸(さは)らないやう、河童と事をかまへないやうに極力注意してゐた。

 花嫁行列の絢爛(けんらん)さに、河童たちは感にたへてゐた。河童の仲間でも嫁入りのときには、花嫁は飾るけれども、たかが蓮の葉の帽子にありあはせの花をのせ、背の甲羅を水中の藻で飾るくらゐが關の山で、人間の花嫁の美しさとはくらべものにならない。河童たらは眼を瞠(みは)り、嘴を鳴らし、しきりに、巨大なためいきを吐きつづけてゐた。

 そのなかで、もつとも恍惚とした眼つきになり、惱ましげに、やるせなげにしてゐるのは三郎河童であつた。彼は羨望のあまり、河童に生まれて來たことを嘆くほどの感動にとらはれてゐた。出生の宿命はくつがへすべくもない。日ごろは自分の身分を下賤とは思はず、かへつて人間の愚劣さを輕蔑さへしてゐたこともあつたのに、この花嫁姿の美しさはほとんど三郎の人生觀をくつがへしてしまふほどのショックであつた。

 

          二

 

 花嫁の一行が村はづれに出て、枕川の岸邊にさしかかつたとき、椿事がおこつた。

 長い道中なので、堤防にある大きな榎や銀杏のかげに八つて、一行は休憩してゐたのだが、そのとき、花嫁が乘つてゐた馬が、河童のため、川へ引きづりこまれたのである。花嫁は降りて床几に腰かけてゐたので被害はなかつた。河童の方も花嫁を傷けようとは考へて居らず、いくらか燒き餅年分、花嫁の乘馬にいたづらしたのである。五六匹の河童が馬の尻尾や肢をつかみ、まつたく無造作に、川の中へつれて行つてしまつた。三尺足らずの小さい身體なのに、頭の皿に水が滿ちて居れば、トラックでも機關車でも引きこむくらゐ強力なのである。花嫁はこれを見て仰天し、氣をうしなつてたふれた。

「ガラッパの畜生奴」

「馬を返せ」

 混亂におちいつた伴(とも)の連中は、口々に叫んだ。しかし、ただ騷いでゐるばかりで、馬を助けに行かうとする者はない。行けば自分たちも引きこまれることは眼に見えてゐる。馬がゐなくなつても、花嫁を送りとどけることは出來るといふ計算もあつた。

 馬はあばれて抵抗した。狂つたやうにいなないた。水面がはげしく波立ち、魚やウナギやスッポンがはねあがつた。しかし、案ずるはどのことはなかつた。河童はいたづらしただけだから、まもなく、馬は川面に浮きあがつた。ぶるんぶるんと鬣(たてがみ)や身體の水を切りながら、鼻を鳴らして岸にかけあがつて來た。

 すると、枕川の水面がふいに渦をまいたやうに騷ぎはじめ、急速に水量が增して、堤防の緣すれすれまでにあがつて來た。これは川底で河童たらが大笑ひをしてゐるためにおこつた現象である。古老はこの傳説の掟を知つてゐた。河童をあまりひどくよろこばせたり、怒らせたり、悲しませたりしては危險なのであつた。そのたびに川の水量が增して洪水になる場合があるのである。二匹や二匹ではそんなことはないが、十匹を越えると增水の可能性が生まれるのだつた。

「まつたく困つたガラッパどもぢや」

 花嫁をとりまいて、村人たちは苦々しい顏をした。河童たちが笑ひやんだとみえて、水面は下がり、渦も消えた。

 このいたづら河童たちのなかには、三郎はゐなかつた。彼は、花嫁姿に對して、さういふチャチな鬱憤晴らしでは消えないほどの強烈な衝擊を受けてゐたので、仲間の方法をたわいないものに考へ、さういふ單純さのなかには進步はないし、理想追求の熱情も感じられないと思つた。三郎の眼には、不思議な淚が宿つてゐた。

 この騷動の噂はすぐに村中に傳はつた。そして、あらためて河童を恐れさせた。

「お父ッあん、ガラッパの征伐は出來んとぢやろか?」

 末の妹のアヤメが訊(き)く。

「コラコラ、そぎやんなことを大きな聲でいひばしするな。ガラッパが立ち聞いたら、どぎやん仕返しすァか知れんど」

 虎助はおびえた顏つきで、あたりを見まはした。アヤメは笑つて、

「こぎやんとこにガラッパが居るもんか。枕川とは三町も離れとる。聞えはせん。な、お父ッあん、ガラッパの語ば、して聞かせて」

「そぎやんいやァ、まさか、ここでの話し聲が枕川まで屆きはすまい。さうぢやなァ。今夜は閑(ひま)ぢやけん、お前たちにガラッパの話でもしてやろかい」

 熊本から鹿兒島地方にかけて、河童はガラッパと呼ばれてゐる。虎助は、三人の娘にとりまかれ、芋燒酎を引つかけながら、ガラッパの話をはじめた。

「大體、日本のガラッパはこの熊本縣が本家たい。お前たちも球磨川下りをしたことがあるけん、知つとるはずぢや。八代(やつしろ)の德の洲にやァ、河童上陸記念碑が立つとる。ガラッパはどこか遠いアジアの方から來たもんらしか。おれやァ學問のなか土百姓ぢやけん、詳しいこた知らんばつてん、なんでもアラビア地方から、九千坊ちゆう大頭目が何千何萬といふガラッパを引きつれて、東方に移動して來たちゆうんぢや。ジンギスカンてら、アレキサンダー大王てらいふ豪傑のまねしたかどうか知らんばつてん、インドのデカン高原の北、ヒマラヤ山脈の南にあるタクラマカン沙漠を通つて、蒙古、支部、朝鮮、それから海をわたつて、この熊本縣の德の洲から日本に上陸したらしか」

「大遠征ばいねえ」

「うん、途方もない大遠征ぢや。途中でだいぶん落伍したガラッパもあつたぢやらうが、ともかく、德の洲から日本に入つたガラッパが、今ぢやァ日本中に散らばつたとたい。枕川に居るとはその名殘りぢやよ」

「ガラッパにも、男と女とがあッと?」

「あたりまへのことよ。雄と雌とが居らんにやァ、子孫はふえんたい」

「ガラッパでも、惚れたり張れたりするぢやろか」

「するぢやろな」

「ああ、をかしか。ガラッパの戀か――ウフフフ、ガラッパの花嫁さんば、いつペん見たいもんぢやな」

「コヲコラ、ガラッパには近づかんにかぎる。ガラッパはやつばり化けもんぢやけんなァ」

 

          三

 

 虎助は自分は學問のない百姓だといつたが、河童についての傳説はよく知つてゐた。醉つて來るといよいよ雄辯になり、聲も大きくなつた。そして、熱心に聞き入る娘たちに、次のやうな語をした。

 ――昔、川に橋が少なく、渡船が交通機關であつたころ、或る日、渡船場で、一人の若者が船頭に一通の手紙と、一挺(いつちやう)の小さな樽とをことづけた。

「實はこれを持つて球磨川に行くはずでしたが、急に母が危篤といふものですから、ここから引きかへきなくてはならなくなりました。ついては、この手紙と樽とを球磨川の魚津といふところで、川に投げこんで下さいませんか。お禮は充分いたします」

 船頭ははじめ面倒くさいことに思つたが、若者が莫大な謝禮金をさしだすにおよんで、二つ返事で引きうけた。若者が去ると、船は川面に出、白川、靑葉川、枕川と、支流を經て、球磨の本流に入つて來た。

 ところが、乘客のうちで、その手紙と樽とはどうもをかしいといひだした者があつた。大體、品物を誰かに渡すのなら話はわかつてゐるが、川の中へ投げこめとは腑に落らない。若者は依賴したとき、この樽には大切なものが入つてゐるし、手紙も重要な祕密文書だから、どちらもけつして途中で見てくれるなと、くどいほど念を押した。見るなといはれれば見たくなるのが人情だし、まして、怪しいとすれば、眞相をたしかめたくなる。船頭ははじめ躊躇したけれども、乘客の輿論に押しきられて、遂に、樽の方から先に開けてみた。梅干に似た丸つこい物がいつぱい詰まつてゐる。なにかわからないが、蓋をとつた途端、嘔吐(おうと)をもよほす異臭がとびだして、乘客は一樣に鼻をつまんだ。

 次に手紙を讀んだ。奇妙なくづしかただつたが、やはり漢字まじりの日本文なので、どうにか判讀することが出來た。

「拜呈仕候。九千坊將軍閣下には愈御盛大大慶至極に存じ上候。きて、例年の尻子玉年貢百個、早々に差し出すべき筈の處、最近は人間共がすこぶる用心深くなり、なかなかに數を揃へ申す事が困難にて、延引の段お許し下され度候。然るに、更にお詫び申し上げたきは、百個の定の處、遂に〆切までに九十九個しか集らず、一個不足致し居る事にて候。その不足分は何卒この船の船頭の尻子玉を拔きて、數をお揃へ下され度、御配慮の程よろしく御願申上候。恐惶(きようくわう)謹言、三拜九拜。肥後の國、松尾川頭目、二百坊より」

 舷頭はまつ靑になつた。腰が拔けてしまひ、船底にへたばつた。乘客たちもおどろいたが、船頭にくらべるとものの數ではなかつた。船頭は癲癇(てんかん)にかかつたやうに泡をふいてゐる。

 球磨川の河童大頭目九千坊が、これによつて、所々の中小頭目から年貢を取りたててゐることがわかつた。所によつてちがふのであらうが、松尾川の二百坊は年間尻子玉百個を約めねばならぬらしい。それが一個足りないので、船頭ので埋めあはせてくれといふのだつた。

「手紙は燒いてしまび、樽だけをここで投りこめ」

 と、客が忠告した。船頭はそのとほりにした。小さい樽すぐに川底へ引きこまれた。船頭は無事だつた。

 しかし、この事件がきつかけになつて球磨川にはお家騷動がおこつた。年貢の取り立てなどは大頭目九千坊のあづかり知らぬことだつたからである。九千坊の威光を笠に、九千坊の名で税金を課し、苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)を事としてゐたのは、家老職の四千坊であつた。四千坊が松尾川から來た尻子玉が九十九しかないことを詰(なじ)り、ただちに一個追加の嚴命を發したため、ひどい搾取(さくしゆ)に隱忍してゐた二百坊も、遂に堪忍袋の緒を切つて謀叛(むほん)をおこしたのである。なにも知らぬ九千坊は、はじめ、二百坊の謀叛を怒つて、追討軍をさしむけようとしたが、眞相を知るにおよんで、四千坊の方を懲罰に附した。一族を引きつれて、筑後川へ大移動することになつたとき、四千坊とその腹心を枕川に流刑したのである。

「それでなァ、いま、枕川に居るガラッパたちは、四千坊の子孫ちゆうわけなんぢやよ」

 語り終ると、虎助はおいしさうに、芋燒酎をまたぐいぐいと傾けた。[やぶちゃん注:「芋燒酎」は底本では「芋酎燒」。誤植と断じて特異的に訂した。]

 家の外にたたずんでゐた三郎河童は、急に自分の身體がふくらんで來るやうな氣がした。あんまり虎助の聲が高いし、ガラッパといふ言葉がいく度も聞えるので、枕川から出て來て立ち聞いてゐたのだが、虎助の語は三郎に大いなる期待をあたへた。三郎は立ちあがると、誇らしげに、呟いた。

「おれは、名門四千坊の末裔(まつえい)だ。下賤でもなければ、低級でもない。このあたりの土百姓どもにくらべれば、貴族といつてよい。今日から、胸を張つて生きるんだ」

 枕川の仲間たちは、自分たちの歷史や傳統をまるで知らない。四千坊が死んで後は、なんの記錄も殘つてゐないので、單に、配流の河童として無意味に生きてゐただけだつた。人間から教へられたことは皮肉だが、それはもうどうでもよかつた。三郎は新しい光明に向かつて進むやうに、せせこましい枕川を望んで步きだした。胸を張り、肩を怒らし、頭の皿をまつすぐにして、まるで、凱旋將軍でもあるかのやうに。

 

          四

 

 旱魃(かんばつ)といふほどではないが、雨が少く、水の切れる田が出來はじめた。稻はよく稔つてゐるけれども、いま田が涸れ、龜裂を生じたりすると、収穫に大影響する。虎助の五段ほどの田は山手に近く、それでなくてさへ水引きが惡いのに、日照りつづきで、どの田もからからに乾いた。勢のよかつた稻穗もげんなりとしほれ、色が變りはじめるのも出た。虎助はおどろき、狼狽し、躍起(やくき)になつて、每日、水揚げ車を踏んだ。しかし、枕川からも遠く、堤からの潅漑用水も制限されてゐて、田を蘇生させるには不充分だつた。

「畜生、これだけやつても駄目か。神も佛も居らんとか」

 絶望的になり、天を恨んだ。見あげる秋空には積亂雲がもりあがり、雨の氣配などどこにもなかつた。村では一週間も前から、鎭守社で雨乞ひ祈願がおこなはれてゐるけれども、一向に靈驗のあらはれる兆候はない。

 どこの田にも百姓たちが出て、必死に水あげに熱中してゐた。しかし、努力は報はれず、百姓たちは情なささうな顏を見あはせあひ、無言で、日に灼けこげた顏を打ちふつた。表情をまつたく變へないのはおどけた顏の案山子だけである。稻穗をわたる秋風も無情だつた。

 くたくたに疲れた虎助は、田の畦に腰をおろし、鉈豆煙管(なたまめぎせる)を腰から拔いて、一服吸つた。好きな煙草の味もしなかつた。死にかかつてゐる田を眺めると泣きたくなる。絶えまなく、ためいきが出て、思はず、ひとりごとのやうに呟いた。

「おれの田に水を入れてくれる者があつたら、娘を嫁にやるばつてんなァ」

 その言葉が終るか終らぬかのうちに、不思議がおこつた。どこからかはげしく水の流れる音が聞えて來て、次第に近づくと、虎助の田に水がどんどん流れこみはじめた。白つぽく乾いて龜裂してゐた土はみるみる水の下になり、田は五枚とも、たつぷりと水を湛へた。しほれてゐた稻穗も息をふきかへし、いつせいに、蛙まで鳴きはじめた。

「やァ、水が入つたどう。田が生きもどつたどう」

 虎助はをどりあがつてよろこんだ。五枚の田の周圍を狂氣のやうに飛びまはり、萬歳を絶叫した。淚がぼろぼろほとばしり出た。

 百姓たらも集つて來て、虎助の田だけに急に水が入つたことを不思議がつた。他の田はどれもこれも干割れてゐて、虎助の田は沙漠の中のオアシスのやうに見えた。

「をかしなこともあるもんぢやなァ」

「この水、一體どこから來たんぢやろか」

 疑問は當然その點に落らる。虎助も加はつて水路を探してみると、虎助の田から一本太く、それは曲りくねりながらも枕川につづいてゐた。

「うい、枕川の水がひとりでに、虎助の田だけに上つて行つとるど。なんちゆう奇妙なことぢやろか」

 村民たちはいよいよ不思議がつた。

「ガラッパのしわざかも知れんど」

 と、一人の百姓がいつた。

 それを聞いて、虎助は靑くなつた。それは、いつか、彼が娘たらに話して聞かせた、九十九個の尻子玉を百個にするため、この船頭の尻子玉を披けといはれた、その船頭以上のおどろきであつたかも知れない。虎助は、さつき、田の畦で、田に水を入れてくれる者があつたら、娘を嫁にやる、と呟いたことを思ひだしたのである。虎助は恐しさでふるへだした。

 どこからか、なまぐさい一陣の風が吹いて來たと思ふと、虎助のすぐ前に、一匹の小柄な河童が姿をあらはした。

「虎助さん、あなたの田に水を入れてあげましたよ。さァ、約束どほり、娘さんを私の嫁に下さい」

 河童は慇懃(いんぎん)で、禮儀正しかつた。微笑さへ浮かべてゐた。三郎であつた。彼は虎助から自分が由緒ある四千坊の血筋を引く者であることを知らされてから、人間の女を嫁にする資格が充分あると自負してゐた。しかし、思ひあがることはいけないと考へ、仰天して口もきけないでゐる虎助に、

「三人の娘さんのうち、どなたでもよろしいです。一人を私に下さい」

 と、謙虛に、つけ加へた。

 

          五

 

 虎助の家では、沈痛な合議がはじまつた。母トヨ、娘ウメ、キク、アヤメ、自慢の幸福な家庭であつたのに、にはかに、暗澹とした空氣につつまれた。河童との約束は絶對に破ることは出來ない。河童の傳説に詳しい虎助は、河童がいたづら者の年面、すこぶる義理がたく、信義にあつい動物であることをよく知つてゐた。まして、村民たらの大勢見てゐる前で、河童と約束したのである。村人は虎助に同情するよりも、彼の田だけが潤つたことを嫉んでゐて、三人娘の一人くらゐは當然お禮として河童に進呈するのが人間の道だなどといふ始末だつた。虎助は絶對絶命である。やつと、河童に三日間の返事の猶豫(いうよ)をもらつた。無論、それは娘をやるやらぬの返事ではなく、三人のうち誰にするかを定めるためであつた。

 人ばかりよくて愚鈍な母トヨは、

「なんちゆう馬鹿な約束を、ガラッパなんかとしたもんぢやろか。阿呆たらしか。娘どもには三人とも、よか婿どんを見つけてやろて考へとつたとに、ガラッパの嫁にやるなんて、氣でも狂うたとか」

 と、泣きながら、やたらに恕つたり愚痴をいつたりするばかりで、なんの解決策も見いだすことは出來なかつた。虎助はほとほと當惑して、まづ姉の方から、口説いてみた。

「ウメ、お前、行つてくれるか?」

「お父ッあん、あたしは長女ばい。こン家を繼がにやならん責任がある。お父ッあんだつて、いつでもそぎやんいひよつたぢやなかか。あたしは養子ばもらはんならんけん、よそに嫁御に出ることはでけんたい」

「キク、お前は?」

「いやァなこと。ガラッパの嫁御なんて、考へただけでも身ぶるひがする。あぎやん化けもんの嫁になるくらゐなら、石の地藏さんと添うたがまし」

「さうか、お前たちにしちやア無理もあるまい。アヤメも同じ考へぢやろ。さう三人が三人ともいやがるなら、ガラッパに噓ば、ついたことになる。ガラッパはどぎやん仕返しをするか知れん。ガラッパの仕返しは恐しか。困つたなァ。そんなら、いつそ籤(くじ)にするか」

 それがよいと贊成する者はなかつた。籤の結果を考へると恐しいのである。すると、これまで默つてなにかを考へてゐた末娘のアヤメが、顏をあげて、

「お父ッあん、あたしがガラッパのところに、お嫁に行きませう」

 と、きつぱりした口調でいつた。

「ほんとかあァ」

 と、虎助はとびあがつた。母と二人の姉もびつくりして、末娘を見た。

 アヤメは落ちついてゐて、

「三人のうち誰かが行かんことにやア、お父ツあんが噓つきになる。姉さんがたは、どぎやんしてもいやといはすけん、あたしが行かにや仕樣ンなか。行きます。お父ッあん、枕川に行つて、三郎といふガラッパにそのことを傳へて下さい」

「お前、本氣ぢやろな?」

「本氣ですとも」

 虎助が改めて本氣かとたしかめたのは、アヤメが村の龍吉といふ靑年と戀仲になつてゐることを知つてゐたからである。そして、それを虎助も許してゐた。なぜなら、龍吉はちよつとした物持の息子で、氣立てもよく、働きもあり、男ぶりも十人前、つまり、虎助が娘たちの婿にと考へてゐた條件にぴつたり合つてゐたからだ。それなのに、河童のところに嫁入りすると斷乎として宣言したので、虎助は面くらつたのである。アヤメが行けば自分は大助かりだが、娘の眞意がわからず、娘の犧牲的精神が大きすぎて、虎助の理解をはみだしてゐたのだつた。これを知つたら、龍吉だつて默つてゐるはずはない。ガラッパと三角關係が生じて、どんな面倒がおこるかわからない。龍吉と河童と決鬪でもするやうなことになつたら大變だ。虎助は頭がこんぐらかつて、眩暈(めまひ)さへおぼえた。

「アヤメ、お前、ガラッパの嫁御になッとかァ」

 といつて、母はおいおい泣きだした。

しかし、ともかく、家族合議は終つたのである。そして、不思議なことに、一家の愁嘆のなかで、當ののアヤメだけがけろりとしてゐた。彼女は悲しむどころか、不敵な微笑さへたたへて、家族の者の眼を瞠(みは)らせた。その夜も、アヤメ一人が熟睡した。

 

          六

 

「おうい、ガラッパの三郎どうん」

 虎助は、枕川の岸に立つて大聲でどなりながら、一本の胡瓜を川に投げこんだ。

 そこには千年を經たかと思はれる大榎があつて、太い幹に張りめぐらされた七五三繩(しめなは)の御幣(ごへい)が秋風にゆらめいてゐた。小さな祠(ほこら)が樹の洞(ほらあな)に安置されてある。ここが河童との連絡場所になつてゐた。胡瓜はその合圖である。

 いつたん沈んだ胡瓜は浮きあがると、くるくると獨樂(こま)のやうに𢌞轉しはじめた。その渦のなかから、ぽつかりと三郎河童の姿があらはれ、胡瓜をつかみとると、岸へ上がつて來た。濡れた靑苔色の身體が雫をたらし、背の甲羅や、頭の皿がきらきらとガラスのやうに秋の太陽を反射してゐた。三尺にも滿たぬ體格でひどく子供つぽく、これが結婚適齡期の靑年かと疑はれるほどである。水かきのある足がびちやびちやと音を立てる。

「これは、虎助さん、ようお出で下さいました。お待ちして居りました」

「約束の返事ば、しに來たんぢや」

「で、どなたを私に下さいますか」

「末娘のアヤメをやる」

「それはありがたうございます。誰でなければならんといふ贅澤は申しません。それで、アヤメさんは、龍吉さんの方はよろしいのでせうな?」

 虎助はあきれた。河童がそんなことまで知つてゐようとは意外だつた。

「勿論、あんたにアヤメをやる以上は、龍吉の方とはいざこざがないやう、話はつけてある」

「それなら結構です。三角關係はいやですからね」

「それでは、祝言(しうげん)についての打らあはせば、しておかう。これが大切ぢや」

「河童方式でやりませうか。人間方式でやりませうか」

「アヤメば、川の底のあんたの家につれて行つてからは、河童方式でやつてもよかばつてん、川に入るまでは人間方式でやりたか」

「承知しました。妥當の案と思ひます。それでは、水面を境界にしまして、地上は人間方式、水中は河童方式と定めます。それでは、アヤメさんを花嫁として水中へ送つて下さるまでの人間方式を教へて下さい」

「こぎやん風にしたか。人間方式では、花嫁には嫁入道具がつきものぢやけん、まづ、その嫁入道具を先にあんたの方に屆ける」

「ありがたうございます」

「その嫁入道具があんたの川底の家に納まつてから、花嫁ば送りだす。あんたは、ちやんと、嫁入道具を受けとつて、家に納めたちゆう報告をしてくれにやいかん」

「仰せのとほりにします」

「嫁入道具は濡れんやうに、入れ物に入れて川に投げこむけん、川底へ引きこんでおくれ」

「わかりました」

「嫁入道具ば、ちやんと家に納めきらんやうな婿には、嫁はやられんことになつとるけん、それも承知しといてや」

「なにからなにまでの指示、感激のいたりです。それでは、アヤメさんを受けとつてからの河童方式について、ちよつと御説明申しあげておきませう。われわれ河童の習慣としまして、……」

「いや、よかよか。嫁にやつてから先のことは、なんもかんもガラッパどんだちに委せる。ええごとしてもろうて、よか。それぢやあ、明後日が大安吉日ぢやけん、その日の朝ンうらに、嫁入道具ば屆けることにする」

「お待ちして居ります」

 河童がよろこんで淚さへためてゐるのを殘して、虎助は、一散に、わが家へ歸つた。外交交渉はうまく行つたやうである。河童は人間とはくらべものにならぬはど信義にあつい動物だから、後日のための七面倒な約定書、調印などはしなくてよかつた。虎助は、しかし、なほ、結婚式當日の成果に若干の不安があつたので、まだ、心から笑つたりすることは出來なかつた。

 

          七

 

 川底では、祝ひの準備に忙殺されてゐた。三郎の思ひもかけぬ幸運を、大部分の河童たらは手放しで祝福した。これまでの河童の歷史に嘗てなかつた破天荒(はてんくわう)の痛快事といつてよい。いつぞやは美しい花嫁姿をやつかんで、花嫁の乘馬を川へ引きずりこみ、わづかに溜飮を下げたのであつたが、今度はその人間の花嫁が河童の三郎のところへ來るといふのだ。これをよろこばずして、なにをよろこぶことがあらうか。河童たらは三郎を羨むよりも、自分たち全體の光榮を感じて、みんなが心から三郎の祝典のために、努力を惜しまなかつた。河童方式による結婚式の準備は着々と整へられた。川底の淵にある三郎の家は、蓮の花、水中藻、ヒヤシンス等の花で飾られ、鮎、鮭、鮒、スッポン、鰻、泥鰌、岩魚、カマツカなどの珍味が大量に揃へられた。苔から精製した特級酒も飮みきれぬほど用意された。[やぶちゃん注:底本の行末で改頁最終行でもある「スッポン」の後には読点がないが、特異的に誤植と断じて補った。]

「祝言の日は、底拔け騷ぎをやらかすぞ」

「三郎はおれたちのホープだ」

「人間を征服した英雄だ。死んだら、胴像を建ててやらう」

「おいおい、めでたい日に死ぬことなんて、いふなよ」

「とにかく、河童界はじまつて以來の慶事だ。枕川河童族萬歳」

 もう河童たちはその日の來ぬうちから有頂天で、前景氣は盛んだつた。

 しかし、今度の結婚に多少の不安を感じる者がなくもなかつた。それは主として老人組で、まつたく異つた人間と河童との國際結婚がはたして破綻(はたん)なく續くものかどうか、自信は持てないもののやうだつた。河童は河童同志がよいのではないか。しかし、三郎自身が得意と歡喜の絶頂にあり、仲間たちもよろこんでゐるのだから、強ひて異は立てず、やはり式典の準備を手傳つた。

 ここに、一人だけ、この祝言を悲しんでゐる者があつた。トエといふ名の女河童だつた。彼女ははげしく三郎に思慕してゐたので、仲間といつしよに祝福する氣にはなれなかつた。といつても、三郎と契つてゐたわけではなく、片思ひだつたのだから、三郎を裏切者と呼ぶわけにも行かない。ひとり小さい胸がつぶれるほどに嘆いてみるだけだ。トニは悲しかつた。しかし、淚をおさへて、祝言の手傳ひはした。そして、三郎に花嫁が來たら、どこか遠くへ行かうとせつない流離の思ひにとざされてゐた。三郎がそはそはと落らつかず、ときどき、にやにやと思ひだし笑ひをしてゐるのがはがゆく、そのアヤメとかいふ人間の花嫁が二目と見られぬ醜女(しこめ)で、根性がわるく、夫婦になつても喧嘩ばかり、すぐに別れてしまふやうになればいい、などと、いつか考へてゐて、嫉妬は女のアクセケリーとはいひながら、そんなはしたない考へを抱く自分を恥ぢた。すなほに愛する三郎の幸福を祈らなければならぬと思つた。

 いよいよ、結婚式の當日がおとづれた。すがすがしい秋晴れの朝だつた。

 三郎は頭の皿を洗つて新しい水を滿たし、髮をきれいになでつけて、苔のポマードをつけた。背の甲羅も一枚づつ叮嚀に磨き、嘴もぴかぴかと光らせた。彼は、あの、眞白な綿帽子、魅惑的な角かくし、裾模樣の衣裳をつけた美しい花嫁姿が、もう眼にちらついて、心臟ははげしく高鳴りつづけだつた。虎助の三人娘のうちアヤメがもつとも器量よしであることも滿足の一つである。彼女が來たら、いたはつて幸福な家庭を作らうと思ふ。三郎はその夢の設計が樂しかつた。

 トポンと、水面で音がした。底から見ると、ガラスの天井のやうに明るい水面が波紋でくづれ、その中心に、黑い新月のやうなものが見えた。胡瓜であつた。

「合圖があつたぞ。まず嫁入道具を受けとりに行け」

 祝言實行委員長の河童が叫んだ。

「よし來た」

 河童たちは、いつせいに、水面に顏をあらはした。三郎もつづいて出た。岸に、十人ほどの人間が立つてゐる。その先登に虎助がゐた。

「ガラッパの三郎どん、さァ、嫁入道具ば渡すけん、受けとつてくれ」

 虎助のその言葉で、枕川のうへに、大きな荷物が投げこまれた。それは互大な七つの瓢簞を一つの網のなかに包んだもので、嫁入道具は濡れないやうに、それらの瓢簞の中に入れてあるらしかつた。水しぶきを立てて落ちた瓢簞はぷかぷかと波に浮いてただよつた。

「そら、引つぱりこめ」

掛け聲勇しく、河童たちは瓢簞の荷物に手をかけて、水中へ引き入れようとした。頭の皿に水さへあれば、馬でも、牛でも、トラックでも、機關車でも、戰車でも、水中へ引きこむほど強力である河童にとつては、そんな輕い七つの瓢簞など問題ではなかつた。いや問題ではないと、誰もが思つたのだ。ところが、大當てはづれだつた。容易に水中に沈まないのである。力まかせに引けば、水中へいくらか入りはするが、力をゆるめると、すぐに水面に浮きあがつてしまふ。七つの瓢簞を一つにした浮力は大きかつた。河童たらにはその原理がわからない。そこで群がりついて、なんとかして沈めようと懸命になつた。

「みんな、賴む。この嫁入道具を家まで運んでしまはなければ、花嫁は來ないんだ。もつと力を出してしつかり引つぱつてくれ」

 三部は躍起(やくき)になつて、全身の力をこめた。仲間も負けてはゐない。ありたけの力をふりしぼつた。けれども、なんとしても瓢簞は表面から十尺とは沈まなかつた。どうかしたはずみに沈んでも、また、もとへかへつてしまふ。おまけに河童の方は次第に疲れて來たが、浮力の方はすこしも衰へないので、もはや勝敗は決定したといつてよかつた。

 

          八

 

 三郎は全身が解體して行くやうな疲勞を感じながらも、なほ、瓢簞をつつんだ網から手を放さなかつた。これこそ自分の命であるといふ執念が、すでに力は拔けてしまつた腕を網にしばりつけ、機械的に、引き下げる動作をさせた。それでも、なは、彼はまだ人間から欺かれたといふことには氣づかなかつた。

「ようい。早よ嫁入道具ば持つて行かんかァ。花嫁御がつれて來られんぢやなかか。なにを愚圖々々やつとるんぢや」

 虎助は、岸から、嘲笑的に、しきりにどなつた。半信半疑であつたのに、娘アヤメの作戰どほりになつて、愉快でたまらなかつた。すべてはアヤメの智惠である。アヤメは自分が嫁に行かうといひだしたときに、この戰術が胸にあつたのだ。虎助はすべて娘に智惠を授けられて、枕川の三郎河童に緣談の打ちあはせに行つたのであつた。えらい娘だと舌を卷かずには居られなかつた。河童たちが瓢簞を引きこまうとして狼狽してゐるさまが、滑稽で仕方がなかつた。これでアヤメを河童にやらずにすんだわけである。

 虎助の背後に、龍吉がゐた。三郎はそれを見た。アヤメの戀人がアヤメの祝言の手傳ひに來てゐるのを見れば、なにかの祕密、なにかの陰謀があることに氣づかねばならないのに、正直一途の三郎にはそんな陰慘な第六感は働かなかつた。三郎はただ自分たちの非力を悟り、それを嘆いただけであつた。

「なにやつとるか。そん嫁入道具を引つこみきらんやうな者には、娘はやられんど」

 いよいよ圖に乘つて、虎助は叫んだ。

「みんな」と、遂に、三郎は、協力してくれてゐる仲間に向かつて、力弱い聲でいつた。「ありがたう。もういい。とても駄目だ。この嫁入道具は、絶對に、川底まで引いて歸ることは出來んことがわかつた。もう、あきらめる」

「さうか」

 仲間は三部を哀れに思つたが、局面を打開する方途を誰も知らなかつた。河童たちは科學に太刀打ちする力は持たない。枕川の水を遠い田へ流れこませるやうな神通力は持つてゐても、科學には齒が立たなかつた。もはや、かうなると退却のほかはない。

 瓢簞から手を放したとき、三郎は絶望とともに深い孤獨に沈んだ。眞白い綿帽子と角かくし、美しい人間の花嫁姿は、ただ幻想となつて殘つたにすぎない。七つの瓢簞は河童たちを嘲笑するやうに、さざなみのうへに、踊るやうに浮いてゐた。その黑い影は雲のやうに川底までも暗くした。土堤の人間たちは大笑かしながら、勝利の萬歳を唱へた。河童たちがすて去つた七つの瓢簞を引きよせ、また、これをかついで歸つてしまつた。

 その後に、ただ一人、龍吉だけがたたずんで、複雜な表情で枕川の水面を凝視してゐた。顏の表情がいろいろに變る。それは心内でなにかの格鬪がおこなはれてゐる證左だつた。龍吉は立ちあがつた。唇を嚙んで呟いた。

「アヤメは智惠がありすぎる。すばらしい作戰で、まんまと河童を騙くらかしてしもうた。恐しい女ぢや。あんな女と夫婦になつたら、いつ、どんな目に合はされるかもわからんど」

 獨白しながら、龍吉はなにかを決心したやうに、ゆつくりした足どりで、虎助たちとは反對の方角に步み去つた。

 川底での祝言の準備はむだにはならなかつた。人間との國際結婚を危ぶんでゐた長老は、かへつてこの破談をよろこび、トニと三郎とを夫婦にする仲人を率直に買つて出た。傷心の三郎はすぐには氣分轉換が出來なかつたが、長老の、やつぱり河童は河童同志といふ意見と、トニが長い間自分を思つてゐたといふことに動かされた。仲間たちも全部が贊成したので、急に、三郎とトニとの結婚式に肩代りをすることになつた。もはや人間方式をまつたく交へぬ純粹河童方式になつたのである。祝言と披露の宴は底拔け騷ぎになつた。

 三郎もすこしづつ座の雰圍氣に卷きこまれ、笑顏を見せるやうになつた。仲間が奇妙奇手烈な歌や踊りをやると、腹をかかへて笑つた。人間の瓢簞に敗北した鬱憤が大爆發をした。三郎も隱し藝をやりだした。川底はげらげらと雷鳴のやうな笑ひ聲で滿たされた。すると、傳説の掟の示すとほり、枕川の水面はざわめき渦卷き、急速に水量がふえはじめた。たちまち、水は土堤を越えた。

「やァ、田に水が入つたどう」

 百姓たちはよろこんだ。からからに乾いてゐ水田は水に潤された。しかし、よろこんでゐるうちに、水量はぐんぐんと增す一方で、遂に大洪水となつた。稻田の全部の穗は水面から見えなくなり、またたく間に濁流の底に沒してしまつた。

 

[やぶちゃん注:私はこのエンディングに快哉を叫ぶ。この話の基本は世界的には三人の姉妹の末の妹だけが二人の姉と異なった運命或いは試練を与えられるという「シンデレラ」型を示し、またその型の日本の典型例である「猿の聟入(むこい)り」型の異類婚姻譚を踏襲しながら、それを結末を原話類とは異なった形で美事に変形してインスパイアしてあるからである。因みに、御存じない方のために小学館の「日本大百科全書」から「猿婿入(さるむこい)り」の項を引いておくと、『爺(じじ)が、田に水を引いてくれた者に娘を嫁にやるという。猿がそれを聞き、田に水を引き、娘をもらいにくる。上の』二『人は断り、末娘が承知する。里帰りのとき、川の上に見える花を取ってくれと娘が頼む。猿は、花を取ろうとして川に落ち、おぼれて死に、娘は無事に帰る。全国的に数多く分布する昔話の一つである』(私はこの「花摘み」の前に、末妹が非常に重い「臼」と「杵」と「米」を「嫁入り道具」として指定し、それを担いだ猿が桜の花を手折ろうとして橋から川に落ちて溺れ死ぬという話として本話を知っている。所持する岩波文庫の関敬吾編の「日本の昔ばなし(Ⅰ)」によれば、爺さんが嫁にやると約束して猿が手伝うのは「牛蒡掘り」(フロイト的には面白い)であり、しかもそれはまさにこのロケーションと近い「熊本県阿蘇郡」の採話なのである)『不特定の人に、一定の条件を果たしたら娘を嫁にやろうと約束するという発端の形式は、婿を異類とする婚姻譚の特色で、「犬婿入り」「蛇(へび)婿入り」などにもみられる日本の信仰で』(中略。ここを省略するのは、その解説者のここでの解説に私は微妙に違和感を感じるからである)、『蛇は水の霊の姿であるが、猿を水の霊として描いた伝説も少なくない。『古事記』に猿田毘古(さるたひこ)が海水におぼれたとあるのもその一例である。「猿婿入り」の猿も、水の霊の姿であろう。「蛇婿入り」には、ひさごを持って嫁に行き、ひさごを沈めることができたら嫁になろうといって蛇を試す例もある。「猿婿入り」の臼は、「蛇婿入り」のひさごに相当する。ひさごを沈めることができるかどうかで、水の神の霊力を試す話は、すでに『日本書紀』仁徳(にんとく)紀に』二『例もみえている。「猿婿入り」は、田に水を引く水の霊を、人間がひさごの力で征服し、水田経営を無事に進めるという宗教的な物語が昔話化したものであろう』とある(下線は私が引いた)。この「猿」=「蛇」=「水神」という説は、零落した「水神」としての「河童」にこそ相応しいと言えよう。

 ともかくも、私はこの「猿の聟入り」を幼少の頃に読んだ時、実は激しい生理的嫌悪感を抱いたのである。何も悪いことをしていない猿があまりに可哀想だったからである。私は私に子があったら、絶対にこの話は読ませない。智恵を以って誠意を以って対処した相手を殺害するこんな忌まわしい話は読ませたくない。大人になってから、岩波文庫で読んでも、不快感は幼少期にも増して増幅した。

 私は「猿の聟入り」の末の妹が激しく嫌いである!

 言いようもなく、恐ろしい女ではないか?!

 龍吉の最後の態度と「アヤメは智惠がありすぎる。すばらしい作戰で、まんまと河童を騙くらかしてしもうた。恐しい女ぢや。あんな女と夫婦になつたら、いつ、どんな目に合はされるかもわからんど」という台詞、そしてその土地を去って行く後ろ姿にこそ、私は激しく共感する。

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