北越奇談 巻之五 怪談 其二(巨大井守)
其二
蒲原郡旭村より五泉の方(かた)へ越(こゆ)る所、山中に三五郎池と云ふあり。此池に長(たけ)四尺ばかりなる蛤蚧(いもり)ありて、夏日、晴天、靜(しづか)なる時は必(かならず)、水上に浮び出ツ。
又、論瀨村(ろんせむら)古阿賀(こあか)川に、五尺ばかりの蛤蚧あり。日中、田間(でんかん)、人無き頃、密(ひそか)に堤の陰に佇(たゝず)みて窺ひ見る時は、必ず、浮(うか)み出ツ。其背、鐵黑(てつこく)にして、頜(おとがゐ)の下、朱(しゆ)のごとし。里人(りじん)、はからず、是を見る時は、
「蝮蛇(うはばみ)なり。」
として驚き、病(やみ)ぬ。
又、長峰村に泥鰌地(どぢやういけ)と云へるあり。同諏門嶽(すもんだけ)の中に泥鰌池と云ふありて、其棲(す)める所、泥鰌、二、三尺ばかり、一尺ばかりなるは、甚だ夛(おほ)し。然(しか)れども、池中(ちちう)、泥深くして、人至れば、皆、隱(かく)るゝ故に、取得(とりう)ること能(あた)はずと云へり。可ㇾ惜(おしむべし)一把(いつは)の葱白(そうはく)に和(わ)して是を煮て、以、三杯(ばい)を傾(かたふ)けざる事を。
[やぶちゃん注:「蒲原郡旭村より五泉の方(かた)へ越(こゆ)る所、山中に三五郎池」「蒲原郡旭村」は恐らく現在の新潟県五泉市旭町地区内で、ここ(グーグル・マップ・データ))から、東北へ直線で二十キロメートル弱で五泉市街に至る。その間に北に延びる山地があり、そこには山越えのルートが複数認められ、その道筋には池や堤が現在も存在するからその中の一つと考えられる。
「四尺」一メートル二十一センチ。オオサンショウウオ(両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属オオサンショウウオ Andrias japonicus)並みであるが、同種は新潟には元来、自然棲息しないから違う。
「蛤蚧(いもり)」両生綱有尾目イモリ上科イモリ科Salamandridaeの総称であるが、本邦では通常はイモリと言えば、トウヨウイモリ属の日本固有種アカハライモリCynops
pyrrhogaster を指す。ここでも後の論瀬村のケースが顎の下を朱色とすることから、それに同定してよかろう。但し、同種は十センチメートル前後で、以下に出るような巨大個体は存在しない。
「論瀨村(ろんせむら)古阿賀(こあか)川」新潟県五泉市論瀬(ろんぜ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。現在の同地区の北端を阿賀野川が流れるから、この名称は阿賀野川の旧流路を指すか。
「五尺」一メートル五十一センチ強。
ばかりの蛤蚧あり。日中、田間(でんかん)、人無き頃、密(ひそか)に堤の陰に佇(たゝず)みて窺ひ見る時は、必ず、浮(うか)み出ツ。其背、鐵黑(てつこく)にして、頜(おとがゐ)の下、朱(しゆ)のごとし。里人(りじん)、はからず、是を見る時は、
「蝮蛇(うはばみ)なり。」
「長峰村に泥鰌地(どぢやういけ)と云へるあり。同諏門嶽(すもんだけ)の中に泥鰌池と云ふあり」これは「泥鰌池」が同地区に二つあるというのではなく、「長峰村」の「諏門嶽」の山中に「泥鰌池」があるということであろう。諏門嶽は既出既注で、現在の新潟県魚沼市・三条市・長岡市に跨る守門岳(すもんだけ:標高千五百三十七・二メートル)のことで、同ピークの西北西四キロ強の位置、長岡市栃堀に「長峰」というピークを確認出来る。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「葱白(そうはく)」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属ネギ Allium fistulosum。ここは特に東日本で好まれる、成長とともに土を盛上げて陽に当てないようにして育てた、風味が強くて太い根深葱(ねぶかねぎ:長葱・白葱)を指す。
「三杯(ばい)を傾(かたふ)けざる事を」崑崙は酒好きであったようだ。]