北越奇談 巻之一 巻水一奇
巻水(けんすい)一奇
中(なか)ノ口川(くちがは)と云へるも、信川の分流にして、西川(にしがは)よりは、其幅、少し大なり。此流に付(つき)て、吉井村の畔(ほと)り、千野潟と云へる僅かなる溜湛(りうたん)あり。蓴菜・菱など多く生ず。其村に貧しき寡女(やもめ)在(あり)て、春・夏・秋は是を取(とり)て業(なりはひ)とす。
此日も小舟に悼さして水面(すいめん)に漂ひけるが、晴天、俄に一群(ひとむれ)の雲、かの村中(むらなか)より潟の上に掩(おほ)ひ下(くだ)りて、水を巻く事、晒せる布を引上ぐるがごとし。雲中(うんちう)に声ありて、舟の櫓を押(おす)に異(こと)ならず。家ごとに出(いで)てこれを見れば、雲裏(うんり)一條の白氣(はつき)、帋鳶(いか)の尾を曳(ひく)がごとく、村の畔(ほと)りより潟中(かたのうち)まで十餘丁に餘る所、長く引はへたり。
「すはや、菱を採る寡女(やもめ)、定(さだめ)て此龍(りやう)に捲かれ死せん。不憫さよ。」
と口口(くちぐち)に囁き呼ばはりけるほどに、忽(たちまち)、黑雲(こくうん)、東の方に引去りしが、此邊りは、風もなく、雨もなく、晴空(せいてん)、元のごとし。然るに五、六里なる山手、大雨(たいう)すと見へて、數(す)十里に連(つらな)りたる高山(かうざん)、一ツとして見ゆる所なく、ほどなく、かの寡女(やもめ)、舟さし寄せて歸り來りければ、人々、集まり、
「如何に。恐ろしからずや。」
「怪我せしことはなきか。」
など尋(たづぬ)るに、かの寡女、一事(いちじ)として知ることなし。
「水面(すいめん)、さらに波風さへ、あらず。」
と云へり。誠に龍(りやう)の神化(しんくわ)、その奇、はかりがたし。
[やぶちゃん注:再び竜巻実録物(但し、伝聞)。
「中(なか)ノ口川(くちがは)」西川の更に内陸で西川と同じく三条市尾崎で信濃川から一度分流して北へ流れ、新潟市西区善久で再び信濃川に合流する川。ウィキの「中ノ口川」によれば、上杉家家老『直江兼続が河道を整備したという伝説が残って』おり、『それによると、中ノ口川は直江兼続が信濃川の自然流路を改修し』て『治水工事を行い、かつて直江川(なおえがわ)とも呼ばれていたと伝えられている』とあるから、案外、この寡婦を救ったのは、あの「愛」字の立物で知られる直江兼続だったのかも知れぬ。因みにかの「愛」は下部に左右に尖った雲形(くもがた)の上に張り付けてある。それは無論、彼が寡婦をも愛する博愛主義者だったなどというわけではなく、当時のデザインで神仏の略称であることを普通に示すものであって、あの「愛」は一面三目六臂で赤色忿怒相を示す恐ろしい形相を持つ「愛染明王」の「愛」であることは御承知のこととは思う。私は「愛」ではなく、ウィキに載る伝説を読み、あの彼の立物の「愛」を支える「雲」形と、この雲湧き上がる話柄との連関を、思ったのである。
「吉井村の畔(ほと)り、千野潟と云へる僅かなる溜湛あり」溜湛(りゅうたん)は既注。水が流れずに溜まる箇所で、河川の蛇行によって取り残された三日月湖のような池沼であろう。「吉井」「千野」では現在の地名で残らず、位置は確定出来なかった。孰れにせよ、この中央に配した川のどこかである(グーグル・マップ・データ)。限出来る方は是非とも御教授あられたい。
「蓴菜」既出既注。スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ属ジュンサイ
Brasenia schreberi。
「菱」フトモモ目ミソハギ科ヒシ属ヒシ Trapa japonica。私は小学二年生の頃、母の郷里の大隅半島中央部の岩川の山間の池で菱を採った。無論、貯蔵したそれを食べたこともある(三十代の頃、タイのスコータイの道端で殻ごと黒く焼いたそれを見つけて激しく懐かしがったところ、通訳の誠実な娘チップチャン(「蝶々」の意)がポケット・マネーで私にプレゼントしてくれたのを思い出す)。菱の実は秋に熟してしまうと、本体から離れて水底に沈んで冬を越す。菱の実を食べたり、採ったりしたことのある人は、私と同年代では恐らく非常に少ないものと思う。
「雲中(うんちう)に声ありて、舟の櫓を押(おす)に異(こと)ならず」意味が今一つとりにくい。「声」は「こゑ」のルビであるが、音(おと)の意味でよいと思われ、その竜巻の中でする音が「ギイッツギイッツ」という櫓を漕ぐ音と似ていたというのであろう。或いは櫓臍の軋る「ギュルギュル」という音と言った方がよいかもしれない。
「雲裏(うんり)」雲の中。
「帋鳶(いか)」正月に揚げる凧、「いかのぼり」のこと。
「十餘丁」千七百メートル前後。
「長く引はへたり」「はへたり」は「生えたり」で、竜巻が地水に接して生えているように見えたのであろう。
「すはや」感動詞。「あっ!」「やっ!」など、突然の出来事に驚いて発する語。感動詞「すは」を強めた語で「や」は強調の間投助詞。
「此邊りは、風もなく、雨もなく、晴空(せいてん)、元のごとし」吉井村村内の景。この時の竜巻の発生が局所的で、影響も極めて限定的であったことが判る。
「五、六里なる山手」「數(す)十里に連(つらな)りたる高山(かうざん)」「山手」とあるから内陸の高地(実はここは西の海側にも山塊はある)。先のグーグル・マップ・データを航空写真に切り替えると、東方に有意な山塊が見え、偶然であろうが、その北端のピークは「高立山」(たかだてやま)、南方端にあるピークは「高山」(呼称は「たかやま」であろう)である。]