北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート4 其三「鎌鼬」)
其三 「鎌鼬(かまいたち)」。一ニ「構太刀(かまひたち)」。時所(じしよ)に定(さだま)りなし。夛(おほ)くは社地を過(よぎ)る者、不慮に面部(めんぶ)手足(しゆそく)なんど、皮肉(ひにく)、割破(さけやぶ)れて白く爆(は)ぜ反(かへ)ることなり。疵(きづ)口の大小に變りあれど、さして血も不ㇾ出(いでず)、痛ミもなく、何のわざとも更に名付(なづけ)がたきものなり。或説に鬼神(きしん)の刄(やいば)に行き當たり、其觸(ふる)る所、此(この)奇をなす、故に「構太刀」と云ふと。此説、當れりと云ふべきか。凡(およそ)、鬼神(きしん)は北方陰分(ほつほうゐんぶん)の地に集まるものにして、卽(すなはち)、坤(うしとら)を鬼門となす。依ㇾ之(これによつて)か、北越は鬼神の奇(き)、甚だ夛し。然(しか)れども、天地の化(くは)長じ、人氣(じんき)滿てるに随(したがつ)て、自然と幽冥に歸するものと覺ゆ。此奇、北越三五十前年(ぜんねん)までは甚だ夛かりしが、今は稀に有事なり。伊夜日子(いやひこ)より國上(くかみ)山に驅け踰(こ)す所、黑坂(くろさか)と云ふあり。此所に誤つて躓倒(つまづきたを)るゝ者、必(かならず)、此奇を受く。如ㇾ此こと、所々(しよしよ)にあり。又、一説に、寒氣、皮膚の間に凝封(ぎようふう)せられて、暖(だん)を得る時は、皮肉、裂け、其(その)氣(き)、發(おこる)と云へり。是、医家(いか)の説なるべし。左あらば、甲信の二國、奥白河(おくしらかは)の邊は極(きはめ)て地高(ぢだか)なる所にして、寒氣、北越に倍す。しからば、此奇、却(かへつ)て甚しかるべし。又、其治方(ぢほう)に、古き暦紙(れきし)を燒(やき)て貼れば、卽(すなはち)、効(しるし)あり。是(これ)、邪(じや)を去(さる)ルの故か。只(たゞ)し、構ひたる刃(やいば)ニ觸(ふる)るとにはあらず。是も鬼神の氣に觸るゝなるべし。今は他邦(たほう)も此(この)奇、稀(まれ)にあると云へり。
[やぶちゃん注:「鎌鼬」については、私の目撃例(但し、不可抗力の人為の疑惑の深い例)も含め、さんざん注で書いてきたのでここでは繰り返さない。
最近のものでは孰れも「北越奇談」のこの条も引いている、
の本文及び私の詳細な注を参照されたい。
「構太刀(かまひたち)」後に出る「構ひたる刃(やいば)」、鬼神が見えない太刀の抜き身を「構」えたなどという意味ではあるまい。この「構」は以下の叙述から、鬼神がその瞬間に自分のテリトリーとしている場所(神域・禁足地。後の多く発生する場所としての「社地」と一致する)に入ったり(「構う」には「禁制にする」の意がある)、気に入らない人間に対して懲らしめやからかい目的で意図的に「構う」(「構う」には別に「相手にしてふざける・からかう」の意がある)という呪的な意味を元にしているように思われるが、それは多分、後付けで「鎌鼬」の音が訛っただけであろう。
「時所(じしよ)に定(さだま)りなし」(一般には)時と場所を選ばず、突如、前触れなしに発生する。
「面部(めんぶ)」四十八年前に中学一年の私が面前で目撃したケースも、顔面、それも眼であった。
「爆(は)ぜ反(かへ)る」勢いよく裂け破れると同時に、その裂けた口が有意に外側に反り返る。
「さして血も不ㇾ出(いでず)」私の目撃例では多量に血が滴った。
「何のわざ」何ものが成す仕儀。崑崙は、ここでは意外にも、全く以って、自然現象としての分析解釈力を欠いている。巻之一の竜巻類での鋭い観察眼が、ここでは一向に発揮されないのは大いに不満である。前の「石鏃」で鬼神説をぶち上げてしまった関係上、この「鬼神(きしん)の刄(やいば)に行き當た」ったという怪しげな説に付和雷同してしまっている感が頗る強い。
「北方陰分(ほつほうゐんぶん)」陰陽道で北方の陰気の集結する時空間を指すか。
「坤(うしとら)」丑寅。東北。
「然(しか)れども、天地の化(くは)長じ、人氣(じんき)滿てるに随(したがつ)て、自然と幽冥に歸するものと覺ゆ」しかし、天地開闢以来、その永い時間経過し、人類が誕生して漸層的にその人口が増えて、地に満ちるほどになるに従って、自ずから、そうした鬼神の力は、本来の彼らのいるべき場所であると思われるより陰気に満ちた死後の世界の領分へと場所を変えてしまったものと思われる、というのである。これは以下の「此奇、北越三五十前年(ぜんねん)までは甚だ夛かりしが、今は稀に有事なり」の判ったような判らないような理由づけとなっているようである。
「伊夜日子(いやひこ)」既出既注の弥彦山。越後平野西部、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある弥彦山。標高六百三十四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「國上(くかみ)山」「國上(くかみ)山」新潟県燕市に位置する標高三一二・八メートルの国上山(くがみやま)。ここ(グーグル・マップ・データ)。弥彦山の南。俗に弥彦山脈と呼ばれる山並みの南端に位置する。
「黑坂(くろさか)」上記のグーグル・マップ・データで雰囲気は判るし、このルートの途中にはやはり既出既注の黒滝城跡もあるから、この坂の「黑」というのは、これまた、しっくりくる。
「如ㇾ此こと」「かくのごときこと」。
「奥白河(おくしらかは)」現在の福島県の白河市のずっと西方の新潟県境付近を指すか。現在の南会津郡や大沼郡辺りか。
「地高(ぢだか)」高地。
「治方(ぢほう)」治療法。処方。
「古き暦紙(れきし)を燒(やき)て貼れば、卽(すなはち)、効(しるし)あり。是(これ)、邪(じや)を去(さる)ルの故か」諸病の民間療法で、この処方はしばしば見られる。暦は農耕や神聖な行事を細かく限定し、それは単なる予兆だけではなく、過去現在未来の時空間を絶えることなくそれ自体が支配していると見做されることから、強力な呪力を持つものと考えられたことは想像に難くない。]
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