和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蝗(おほねむし)
おほねむし
【和名於保
祢無之】
蝗【音黃】
ハアン
本綱蝗亦螽類大而方首首有王字沴氣所生蔽天飛性
畏金聲一生八十一子其子未有翅者名蝮蜪一名蝝【音延】
不因牝牡腹中陶冶而自生故曰蝮蜪
爾雅集註云蝗怱名也食苗心曰螟食葉曰𧊇【當作蟘字蟘𧈩並同】
[やぶちゃん字注:「蟘」は原典では「虫」を「貝」上に上げ、「代」と並べた字体。後も同じ。]
食節曰蠈食根曰蝥【當作𧐙字蟊亦同】
[やぶちゃん注:「𧐙」は原典では「虫」の上に「務」。]
三才圖會云枉法令卽多螟乎言其姦冥冥難知也吏乞
貸則生蟘言假貸無厭也吏抵冒取民財則生蟊蠈形似
桃李中蠹赤頭身長而細
唐書云太宗貞觀二年有蝗害田帝捕蝗曰天若罪我汝
能害我黎民何罪祝畢呑之蝗果不害
五雜組云江南無蝗過江卽有之此理之不可暁者當其
盛時飛蔽天日雖所至禾黍無復孑遺然間有留一二頃
獨不食者
△按蝗之屬甚多而首有王字者甚希也蓋蝗害苗者未
有之如爲害則災也但六七月霖雨不晴雖霽冷則生
蟲大如蚇蠼綿蟲屬而微黒食苗心所謂螟者是乎
*
おほねむし
【和名、「於保祢無之」。】
蝗【音、黃。】
ハアン
「本綱」、蝗も亦、螽(しう)の類。大にして、方なる首。首に「王」の字、有り。沴氣〔(れいき)〕生〔ずる〕所、天を蔽ひて飛ぶ。性、金聲〔(きんせい)〕を畏〔(おそ)〕る。一たび、八十一の子を生む。其の子、未だ翅有らざる者、「蝮蜪〔(ふうたう)〕」と名づく。一名、「蝝」【音、延。】。牝牡〔(めすおす)〕に因らず、腹中にて陶冶して、自〔(おのづか)〕ら生〔(しやう)〕ず。故に「蝮蜪〔(ふくたう)〕」と曰ふ。
「爾雅集註」に云く、『蝗は怱名なり。苗の心を食ふを「螟〔(めい)〕」と曰ひ、葉を食へるを「𧊇(とく)」と曰ふ【當に「蟘〔(たい)〕」の字に作るべし。「蟘」〔と〕「𧈩」〔とは〕並びに同じ。】。節(ふし)を食ふを「蠈〔(そく)〕」と曰ひ、根を食ふを「蝥〔(ぼう)〕」と曰ふ【當に「𧐙」の字作るべし。「蟊〔(ぼう)〕」も亦、同じ。】。』〔と〕。
[やぶちゃん字注:「蟘」は原典では「虫」を「貝」上に上げ、「代」と並べた字体。後も同じ。「𧐙」は原典では「虫」の上に「務」。]
「三才圖會」に云く、『法令を枉(ま)ぐるときは、卽ち、「螟〔(めい)〕」多し。言ふこころは、其の姦(かたま)しきこと、冥冥として知り難き〔なれば〕なり。吏、貸〔(たい)〕を乞へば、則ち、「蟘」を生ず。言ふこころは、貸を假〔(か)〕りて厭はず〔なれば〕なり。吏、抵冒〔(ていばう)〕して民の財を取るときは、則ち、「蟊」を生ず。「蠈」は、形、桃李の中の蠹〔(きくひむし)〕に似て、赤頭、身、長くして細し。』〔と〕。
「唐書」に云く、『太宗の貞觀二年、蝗〔(こう)〕、有りて、田を害す。帝、蝗を捕へて曰く、「天、若〔(も)〕し、我れを罪〔(つみ)〕せば、汝、能く我を害せよ。黎民〔(れいみん)〕、何の罪かある。」〔と〕。祝し畢〔(おは)〕りて、之れを呑む。蝗、果して害をせず。』〔と〕。
「五雜組」に云く、『江南には、蝗、無く、江を過ぐれば、卽ち、之れ有り。此の理〔(ことわり)〕をして、之れ、暁(さと)すべからざる者なり。其の盛んなる時に當りて飛び、天日を蔽ふ。至る所の禾黍〔(かしよ)〕、復た孑遺(のこす)こと無しと。然〔りと〕雖も、間(まゝ)、一、二頃〔(けい)〕、留〔(とど)〕めて、獨り、食はざる者、有り。』〔と〕。
△按ずるに、蝗〔(おほねむし)〕の屬、甚だ多し。而〔れども〕、首に「王」の字有る者、甚だ希〔(まれ)〕なり。蓋し、蝗の、苗を害〔せる〕者、未だ之れ有らず。如〔(も)〕しし、害を爲すは、則ち、災〔ひ〕なり。但し、六、七月、霖雨、晴れず、霽〔(は)〕るゝと雖も、冷〔(ひゆ)〕れば、則ち、蟲を生ず。大いさ、蚇蠼(しやくとり〔むし〕)・綿の蟲の屬のごとくにして、微〔(かすかに)〕黒く、苗の心を食ふ。所謂、「螟」といふ者、是れか。
[やぶちゃん注:この「蝗(おほねむし)」「螽」(しゅう)の仲間というのは、逆転の繰り返しとなるが、今度は、前項の「𧒂螽」(本邦の直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目イナゴ科 Catantopidae(イナゴ亜科 Oxyinae・ツチイナゴ亜科 Cyrtacanthacridinae・フキバッタ亜科 Melanoplinae)に属するイナゴ類)ではなく、
中国やアフリカで大群で穀類を襲う「飛蝗(ひこう)」として恐れられる、ワタリバッタ類(雑弁亜目バッタ下目バッタ上科バッタ科
Acrididae のバッタ類の内、サバクトビバッタ(バッタ科 Schistocerca属サバクトビバッタ Schistocerca gregaria:アフリカ大陸呼び中東、アジア大陸に棲息するが、本邦にはいない)やトノサマバッタ(バッタ科トノサマバッタ属トノサマバッタ Locusta migratoria:無論、本邦に普通に棲息するそれであるが、群体相を示すことはまずない)のように、大量発生などによって相変異を起こして群生相となったもの
を指す。これら、一部のワタリバッタ類の群体相が大群を成して集団移動する現象を「飛蝗」、これによる穀類の、時に壊滅的ともなる草体部の食害を「蝗害」と呼ぶのである。
従って、良安が引く中国の書の記載は、中国での「飛蝗」、本邦にいないか種或いは個体、或いは、いても群体相化しないそれらバッタ類を指しており、しかも古い記載である上に非生物学的であり、沢に出てくる虫偏の類は同定すること自体、少なくとも本邦では(或いは私のこの電子テクストに於いては)、労多くして益なきものであることは言を俟たない(私が中国の博物学史家や昆虫類の研究者であるのならば、それをする意義は大いにあるとは言える)。されば、それらの注は附さない。良安の評言が、今一、何時ものようにパンチがないが、彼もこの虫偏の漢字やそこに記載された生態・習性等に、正直、困った感じを抱いているからだろうと私は踏んでいるのである。
「大にして、方なる首」これで褐色を呈すれば、まさにワタリバッタ類の群体相の形態にそっくりである。
『首に「王」の字、有り』挿絵にもはっきり描かれてある。ワタリバッタ類のラテン語学名で画像を見てみたが、何せ、生態写真の殆んどは、側面からのものばかりで、背部が明白に写されてあるものが、実は少ないため、「王」の字を見出だすことは出来なかった。ヨーロッパ・ロシア地域で頻繁に目撃されたUFO(未確認飛行物体)の船底に「王」の字を刻んだ円盤のあったことは、よう、知っとるんやけど、なあ……
「沴氣〔(れいき)〕生〔ずる〕」中国語の文語(古語)表現で「沴」には「悪しき気・不健康な空気」、動詞で「損なう・傷つける」の意がある。東洋文庫訳では『自然の気が乱れる』とある。腑に落ちる。
「金聲〔(きんせい)〕」東洋文庫訳では『金属の音声』とする。そういえば、古えの中国の飛蝗襲来の際に盛んに鉦(かね)を叩くというシーンを何かの伝奇の中で読んだ記憶がある気がする。
「一たび、八十一の子を生む」例えば「飛蝗」のチャンピオン、サバクトビバッタでは♀成虫は四日間隔で卵を産むが、砂の中に尻尾を差し込むようにして一度に五十から百個ほどを纏めて産卵するとあるから、この数値は平均値として見るならば非科学的ではない。ただ、群体(群生)相では卵の数は孤独相の時よりも少なく、その代わりに大きな卵を産むと専門研究者前野ウルド浩太郎氏についての記載の中にあった(National
Geographic のこちらの記事内(複数ページに及ぶ)。
「牝牡〔(めすおす)〕に因らず、腹中にて陶冶して」「陶冶」に東洋文庫訳は『そだてて』とする。♂も卵を体内で形成するというのは、無論、あり得ない。
「爾雅集註」中国最古の類語辞典・語釈辞典である「爾雅」(著者不詳・紀元前 二〇〇年頃成立)を南北朝の梁(五〇二年~五五七年)の沈璇(しんせん)が注した「爾雅沈璇集注」。
「怱名」(そうめい)は総称のこと。
「心」芯。茎の蕊(ずい)の部分。
「螟〔(めい)〕」誤り。これは昆虫綱 Panorpida上目チョウ目 Glossata 亜目 Heteroneura 下目メイガ上科メイガ科 Pyralidae に属するニカメイガ(二化螟蛾)Chilo
suppressalis の幼虫など、水稲などの茎や芯葉に食入して食害する害虫を指す(食害されると枯死したり、不稔になったり、米が小さくなったりする)。和名は年二回発生(二化)することに由来する。本邦のイナゴ類の幼虫も同様の寄生をして食害することはあるが、ニカメイガの比ではないと私は思う。この辺りから、稲の茎を食害する多種の幼虫を「蝗」類とする誤りが展開し、その摂餌対象が苗の蕊か葉か、成長したものの節か根かで分類して漢名をつけて別種として分類してしまうという中国本草学のトンデモ分類学にまで至ってしまうのである。何をか注せんや、という感じである。
「三才圖會」王圻(おうき)とその次男思義によって編纂された絵を主体とした中国の類書(百科事典)。明の一六〇七年に完成し、二年後に出版された。全百六巻。「三才」とは「天・地・人」を指し、「万物」を意味する。世界の様々な事物を天文・地理・人物・時令・宮室・器用・身体・衣服・人事・儀制・珍宝・文史・鳥獣・草木の大項目十四部門に分けて説明しており、各項目に図が入る。本「和漢三才図会」は本書に触発されて編著されたものではあるが、ここまでお付き合い下さると判る通り、本草部(動植物類)のパートは殆んどの主記載が李時珍の「本草綱目」に拠っている。
「法令を枉(ま)ぐるときは、卽ち、「螟〔(めい)〕」多し」載道的な自然現象解読。儒教的道徳律でそれらを説明しようとしている。
「其の姦(かたま)しきこと、冥冥として知り難き〔なれば〕なり」そうした邪悪で非道な行為が、民や国王・皇帝に分らぬように竊かに暗々裏(「冥冥」)に遂行されるために、人の目につき難いからである。その悪しき気を天が察して「螟」を多量に発生させるのだと言うのである。
「貸〔(たい)〕」東洋文庫訳では、この字に『(金品の用立て)』と割注する。無辜の人民から役人がプライベートに必要なものを税金としてではなく、全く以って不当に吸い上げ、それを提出させることを無理強いすることといった感じであろう。但し、それは表向きはあくまで合法的に「借りる」(貸借の字は互換性がある)のであって、後の略奪とは異なる(結果は略奪なのだが)。
「貸を假〔(か)〕りて厭はず〔なれば〕なり」東洋文庫訳では、『貸を仮(か)りて厭(いと)わないという意味あいである』という半可通な訳になっている。前注の私の謂いを参照。
「吏、抵冒〔(ていばう)〕して民の財を取るときは」東洋文庫訳では『役人が民の財を侵奪すれば』と訳す。実務レベルで実行支配する民の物は俺たちの物的発想の確信犯という意味であろう。
「唐書」「新唐書」北宋の欧陽脩らの奉勅撰になる唐代に関わる正史書。全二百二十五巻。一〇六〇年成立。五代の後晋の劉昫(りゅうく)の手になる「旧唐書」(くとうじょ)と区別するために「新唐書」と呼ぶが、単に「唐書」とも呼ぶ。「旧唐書」は唐末五代の頃の戦乱の影響によって、武宗以後の皇帝の実録部分に欠落があるなど、史料不足による不備が大きかったことから、宋代になって新出の豊富な史料に拠ってその欠を補った書である。以下は同書の「五行志第二十六 五行三」に載る。
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貞觀二年六月、京畿旱、蝗。太宗在苑中掇蝗祝之曰、「人以穀爲命、百姓有過、在予一人、但當蝕我、無害百姓。」。將吞之、侍臣懼帝致疾、遽以爲諫。帝曰、「所冀移災朕躬、何疾之避。」。遂吞之。是歳、蝗不爲災。
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「太宗の貞觀二年」ユリウス暦六二八年。太宗は第二代皇帝李世民(六二六年~六四九年)のこと。無論、ここで「蝗」を飲み下したのも彼である。
「黎民〔(れいみん)〕」「黎」は「諸々・多い」の意で人民・庶民の意。
「祝し」咒(まじない)をして。
「五雜組」既注であるが、再掲しておく。明の謝肇淛(しゃちょうせい)の十六巻からなる随筆集であるが、殆んど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸で撚(よ)った組紐のこと。以下は同書の「卷九」に、
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江南無蝗、過江卽有之、此理之不可曉者。當其盛時、飛蔽天日、雖所至禾黍無復孑遺、然間有留一二頃、獨不食者、界畔截然、若有神焉。然北人愚而惰、故不肯捕之。此蟲赴火如歸、若積薪燎原、且焚且瘞、百里之内、可以立盡。江南人收成後、多用火焚一番、不惟去穢草、亦防此等種類也。
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の前半部。
「此の理〔(ことわり)〕をして、之れ、暁(さと)すべからざる者なり」東洋文庫訳では『この理由をあきらかにすることができない』とある。
「禾黍〔(かしよ)〕」食用とする稲と黍(きび)。
「孑遺(のこす)」「孑遺」は音「げつい」で「僅かに残るもの」の意。
「獨り」は限定の意。
「一、二頃〔(けい)〕」これは田の面積の単位で一頃(けい)は百畝で九千九百十七平方メートル弱であるから、一万から一万九千八百三十平方メートルに相当する。野球のグラウンドで一つか二つ分に相当する。
「食はざる者、有り」「者」は「物」で敷地を指す。
「害を爲すは、則ち、災〔ひ〕なり」良安はそのような大規模な本邦産のイナゴの食害を見たことがないから、それは想像を絶した虫害である、と言っているのである。
「六、七月、霖雨」梅雨及び秋雨の長雨。
「蚇蠼(しやくとり〔むし〕)」既注であるが、狭義には鱗翅目シャクガ(尺蛾)科 Geometridae に属するガの幼虫の通称「尺取虫」類等を指す。「蝗」とは全く無縁。
・「蝥〔(ねきりむし)〕」同じく既注であるが、「根切り虫」は鱗翅目ヤガ科モンヤガ亜科 Agrotis 属カブラヤガ Agrotis
segetum・同属タマナヤガ Agrotis ipsilon など、茎を食害するヤガ(夜蛾:ヤガ科 Noctuidae)の幼虫の総称で、一見すると、根を切られたように見えることから、かく呼ばれているようである。同じく「蝗」とは全く無縁。
「綿の蟲」半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科コナカイガラムシ科 Pseudococcidae のことか。しかし黒いとあり「苗の心を食ふ」というのは本種とは思われない。別種か? コナカイガラムシだとして、やはり「蝗」とは全く無縁。
「所謂、「螟」といふ者、是れか」だからね、良安先生、それはニカメイガだっつうの!]