老媼茶話 述異記(山魈)
述異記
もろこしに王宇窮といふもの、川のなかれに蟹の落(おつ)るをとらん爲、簗(ヤナ)をつくりて、をく。あしたに行みるに材頭(サイトウ/サイモクキリカブ)壱ッ長(たけ)弐尺はかり、是(これ)かために、簗(ヤナ)やふれて、蟹(カニ)、皆、いづ。則(すなはち)、簗をつくろひ、材頭をかたはらに捨て歸ル。あくるあした、往(ゆき)て見る。材頭、又、簗のうちにありて、やふるゝ事、前のことし。又、修治(ツクロイ)して、次のあした、行みるに、初めのことし。
王宇窮、是を疑ふ。
「此(この)材頑は、何樣(いかさま)、妖(ハケ)物也。」
とおもひ、蟹のかごにとり納め、家へかへる。
「まさに割(わり)て火にやくへし。」
と。
家ちかくに成(なり)て、籠のうち、動轉して、しつ(窣)しつの聲あり。是を見るに材頭、變して一物となる。人のおもて、猿の身也。手壱ッ、足壱ッあり。
宇窮に語て曰、
「我、うまれて蟹をこのむ。まことに水中に入り、簗を損する罪ありといへとも、今、是をゆるし、籠をひらき、我をいたさは、相むくふて、蟹を多くとらしめん。我は是(これ)、山の神なり。」
といふ。
宇窮か曰、
「汝、山の神にてあらはあれ、前後已ニ犯す所、壱度にあらす。つみゆるすへからす。」
此もの、ねんころに、
「放していだすへし。」
とわびるといへとも、王宇窮、ゆるさす。
其(その)性名をとへとも、宇窮、答へすして、家、いよいよ近つく。
其物いはく、
「既に我をゆるさす、其性名をとへとも答へす。われ、はかり事なし。只、死につくのみ。」
宇窮、則、家にかへりて、燒火(たきび)を以て是をやくに、寂(セキ)として、こよなる事なし。
王宇窮、すへき樣(やう)なく、ゆるしてかへらしむといへり。
土俗の曰、
「是、山魈(さんせう)と名つく。人の性名をしれは、能く是にあたりて、人をそこのふ。またよく蟹を喰。」
といへり。
[やぶちゃん注:これは「太平廣記」が「述異記」から引くとする、「鬼八」の中の以下の「富陽人」である。
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宋元嘉初、富陽人姓王、于窮瀆中作蟹籪。旦往視、見一材頭、長二尺許、在籪裂開、蟹出都盡、乃修治籪、出材岸上。明往看之、見材復在籪中、敗如前。王又治籪、再往視、所見如初。王疑此材妖異、乃取納蟹籠中、繫擔頭歸、云。至家當破燃之。未之家三里。聞中倅倅動。轉顧、見向材頭變成一物、人面猴身、一手一足、語王曰。我性嗜蟹。此寔入水破若蟹籪。相負已多、望君見恕。開籠出我、我是山神、當相佑助。使全籪大得蟹。王曰。汝犯暴人、前後非一、罪自應死。此物轉頓、請乞放、又頻問君姓名爲何、王囘顧不應答。去家轉近、物曰。既不放我、又不告我姓名、當復何計、但應就死耳。王至家、熾火焚之、後寂無復異。土俗謂之山魈、云、知人姓名、則能中傷人、所以勤問、正欲害人自免。
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であるが、三坂は読み違えて、姓名として「王于窮」としてしまっているが、「于」は場所を示す助字であり、「窮」は単字ではなく「窮瀆」(キュウトク)であって、川の小さな浅瀬の意であるから、主人公は、ただ「王」である。「蟹籪」(カイダン)は蟹を獲るための竹製の籠のこと。なお、「太平廣記」には別に「妖怪二」に「搜神記」からの引用として殆んど変わらない話を「富陽王氏」として載せている。但し、現在の「搜神記」にはこの話は載らない。なお、岡本綺堂が本話を「中国怪奇小説集」の中で「山𤢖」(さんそう)の題で訳している。「青空文庫」のこちらで読める。
「簗(ヤナ)」本邦では狭義には、川の瀬に杭などを八の字形に並べて打ち込んでおいて、水を堰き止めて一ヶ所だけを開けておき、そこに簀棚(すだな:簀子(すのこ)で出来た高くした棚)を設けて、流れてくる魚をそこで受けて捕獲する仕掛けを指すが、簀棚の代わりに竹製の筌(うけ:外側が網状になっており、漏斗状に形作った口から入ってきた魚介類を閉じこめて捕獲する漁具)を用いた筌簗(うけやな)もあり(或いは筌のみを単独でも用いる)、ここは、それ。
「材頭(サイトウ/サイモクキリカブ)」「サイトウ」が原典の右ルビ、「サイモクキリカブ」が左ルビ。以下、同じなのでこの注は略す。
「弐尺はかり」「はかり」は「許(ばか)り」。「述異記」は南朝梁の任昉(じんぼう)の撰とされる志怪小説集であるから、当時(東晋期)の一尺は二十四・二五センチメートルしかないので、四十八・五センチメートルであるから、約五十センチメートル弱。
「やふれて」「破れて」。
「しつ(窣)」「窣」は原典の「しつ」への振漢字(前と同様に以下ではこの注は略す)で、:「窣」(音「ソツ・ソチ」)は、軽いものや薄いものが触れ合う時に出る小さな音で「カサカサ・ガサガサ・サラサラ・ゴソゴソ・カサコソ」等のオノマトペイア。ここは籠が大きく転び動くのであるから、「ガザゴソ」がよかろう。
「人のおもて、猿の身也」人面にして、猿の身体(からだ)である。
「手壱ッ、足壱ッあり」手も足も一本しかないことを言う。
「我をいたさは」「我れを致さば」。この「致す」は補助動詞の丁寧語の用法か。私を(そのように許して)呉れましたならば。
「山の神にてあらはあれ」「あらはあれ」は「あらばあれ」。「山の神だろうが、何だろうが、な、この野郎!」といった怒り心頭の喝破である。
「壱度にあらす」「一度にあらず」。
「ねんころに」「懇ろに」。心を籠めて(いるよう)に丁寧に。
「放していだすへし」どうか許してお解き放ち下され。
「其(その)性名をとへとも」「その姓名を問へども」
「はかり事なし」どうしようもない。
「寂(セキ)として、こよなる事なし」「王宇窮、すへき樣(やう)なく、ゆるしてかへらしむ」「こよなる」は底本のママで、底本では「よ」の横に「と」と編者が訂正注する。「異なる事なし」である。ここは全体が三坂のトンデモ誤読であると私は思う。「太平廣記」の原典を見ると「後寂無復異」であって、これは「後、寂として復た、異(い)無し」で、岡本綺堂などは「寂(せき)としてなんの声もなかった」と同時空間的エンディングとするのであるが、どうもシークエンスのキマリ文句としては尻が落ち着かぬ。これは寧ろ、志怪小説によくある、「その後は、簗の破れることもなくなり、すっかり奇異なことは起こらなくなった」と読むべきであろう。事実、明治書院の「中国古典小説選2」(二〇〇六年刊)の訳もそのようになっている。何より、「王宇窮、すへき樣(やう)なく、ゆるしてかへらしむ」というシーンは原話にもなく、三坂自身も、どうにも据わりの悪いラスト・シーン(の誤訳)に窮して、敷衍して蛇足したものと私には読めるのである。
「山魈(さんせう)」現代仮名遣では「さんしょう」。中国古代の山中に棲む一本足の妖怪の名。綺堂の訳の「山𤢖」(さんそう)とは恐らくは元は異なるのではないかと私は思うが、ウィキの「山わろ」によれば、中国の古書「神異経」には、『西方の深い山の中に住んでおり、身長は約』一『丈余り、エビやカニを捕らえて焼いて食べ、爆竹などの大きな音を嫌うとある。また、これを害した者は病気にかかるという。食習慣や、殺めた人間が病気になるといった特徴は、同じく中国の山精(さんせい)にも見られる』とあり、そのウィキの「山精」を見ると、『中国河北省に伝わる妖怪』『山鬼(さんき)とも』称し、「和漢三才図会』」では『中国の文献が引用した解説が載っている。それによると、安国県(現在の中国の安国市)に山精はおり、身長は』一尺或いは三~四尺で、一本だけ『生えている足は』、『かかとの向きが前後逆についており』(本書の次条「廣異記」を参照)、『山で働く人々から塩を盗んだり、カニやカエルをよく食べたりする。夜に現れて人を犯すが、「魃」(ばつ)の名を呼ぶと彼らは人を犯すことが出来なくなるという』(本話の最後に語られる内容を逆手にとった人間の方から先に「言上げ」することによる絶対的な神怪の退治法)。また、『人の方が山精を犯すと、その人は病気になったり、家が火事に遭ったりするという。また』、「和漢三才図会」に於いては『「山精」という字には「片足のやまおに」という訓がつけられている』とし、再び、ウィキの「山わろ」に戻ると、やはり「和漢三才図会」には『山𤢖(さんそう)に対して「やまわろ」の訓が当てられている。「やまわろ」という日本語は「山の子供」という意味で「山童」(やまわろ)と同じ意味であり、同一の存在であると見られていた』とある。その辺りは、どうぞ、私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の「山𤢖(やまわろ)」及び「山精(かたあしのやまおに)」等をじっくりとお読み戴きたいし、本邦の「やまわろ」や「山男」についても、本「怪奇談集」の「想山著聞奇集 卷の貮 山𤢖が事」等々で散々っぱら電子化注してきたので、これくらいにしておく。因みに、現代中国語の「山魈」は実在する生物種、かの哺乳綱獣亜綱霊長目直鼻猿亜目狭鼻下目オナガザル上科オナガザル科オナガザル亜科マンドリル属マンドリル Mandrillus sphinx の漢名である。
「人の性名をしれは、能く是(ここ)にあたりて、人をそこのふ」「是(ここ)にあたりて」とは「人の姓名を知ることによって、ある強いパワーを現実の対象物にぶつけ当てて」の謂いで、その結果として「人をそこのふ」、「損なう」、傷つけるのである。相手の姓名を名指すこと(言上げすること)によってその相手を支配したり、征服したり、傷つけ、果ては殺すことが出来るというのは、まさに中国に於いて真正な本名に纏わる、というよりも、言霊(ことだま)に関わる汎世界的な呪術の最たるものである。]
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