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2017/09/16

火野葦平「河童曼荼羅」敘   佐藤春夫

 

Orikutisinobukappa

 

[やぶちゃん注:標題頁左下に配された折口信夫の河童の絵。池田彌三郎蔵品。後書」を参照されたい。]

 

 火野葦平は才情を兼ね備へて多藝多能な文人である。その人重厚にして放膽、朴訥にして任俠の風あり襟度の大なる僕の最も欽慕するところ。檀一雄が彼の爲人を稱して戲れに九州の大統領と呼ぶも亦故なきに非ず。

[やぶちゃん注:「襟度」(きんど)とは、立場や考えなどが異なる人を受け入れるだけの心の広さのこと。「度量」と同義。

「欽慕」(きんぼ)とは、敬い慕うこと。「敬慕」に同じい。

「爲人」老婆心乍ら、「ひととなり」と訓ずる。]

 彼の奔放不羈超凡の詩想は世上低俗の人情風俗を爲すを以って足れりとせず、假るに河童のローマン的生態を以つてして人生を寓し、また胸中の磊塊を遣る。

[やぶちゃん注:最初の「以って」の拗音はママ。

「奔放不羈」(ほんぱうふき(ほんぽうふき))の「羈」は「馬を繫ぐ」の意で、「不羈」は、そこから転じて、束縛を受けずに自由なことを指すから、常識や規範にとらわれずに、自分の思うままに振る舞うことを指す。

「磊塊」は「らいかい」と読み、「磊嵬」「磊磈」等とも表記する。見て通り、「多くの石が積み重なっていること」の意で、転じて、胸中に積み重なった不平を指す。]

 芥川龍之介のカッパはその知性によって成る人間生活の諷刺であったが、火野の河童はひとり知性のみの産物ではなく、その情意を傾けて成る。その人の相違は自ら文の差となって現はれ、火野の河童の生態が芥川が白眼を以って見たるものと異るは言を俟たぬ當然であるが、僕が芥川の白眼に見たるカッパを喜ばず寧ろ火野が靑眼を以つて河童を見るを愛好するのは、僕が火野とともに南國の田舍者として、その性情の芥川に遠く火野に近いものがあるためか。その故は自らも未だつまびらかにしないが、火野川の河童の芥川のそれに優るとも劣らぬ詩美のあるは疑はぬところである。

[やぶちゃん注:「僕が」「南國の田舍者」佐藤春夫は和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)生まれである。]

 僕、一昨年筑後野に櫨紅葉を探つて一日、火野らの導くがままに博多の旅亭の水炊きに名を得たる水樓に赴くに、席上、火野が描くところの水墨河童合戰圖の衝立があつた。傍人の私語によれば、火野の初戀びとが現にこの樓に來り働いてゐるため、火野はしげしげと足をここに運んで酒を呼び、杯を重ねて興の到る每に河童の軍勢を少しつつ描き添へ寫し加へて終にこの兩軍雲霞の大兵の混戰となると、蓋し敗戰昔時の鬱懷を屁のカツパとここにこの戲畫を成したのであらう。宴酣に及んで火野は僕をしてこの圖に贊をせしめた。僕も醉餘の惡筆を捧つて卽興の戲詩を題するを辭しなかつた。

[やぶちゃん注:「櫨紅葉」「はぜもみぢ」と読む。ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum の葉は秋美しく紅葉する。

「水樓」湖水や河川に臨んで立つ楼閣。後書」にあるように、鶏の水炊きで知られる「新三浦」。現在の福岡県福岡市博多区石城町の御笠川川畔にある。

「酣」老婆心乍ら、「たけなは(たけなわ)」と読む。]

 今また彼の河童曼荼羅の成らんとするに當つて敍文を僕に徴するも亦、先年、河童合戰衝立に惡詩を題せしめた因緣のつづきであらうと、禿筆を一呵してここに不文を敢て辭退せぬ所以である。

 

   昭和丙申秋はじめ

                  信州北佐久山中延壽城にて

                          佐藤春夫話す

 

[やぶちゃん注:「禿筆」(とくひつ)は穂先の擦り切れた(ちびた)筆で、転じて、自分の文章や筆力を謙遜していう語。

「昭和丙申」丙申(かのえさる)は昭和三一(一九五六)年。本書刊行は翌年五月。

 以下、「目錄」が続くが省略する。但し、その標題左下に配された宇野浩二の河童図を最後に示しておく。]

 

Unokoujinopkappa

 

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