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2017/09/14

演じてみたい役 追加

 

僕が今もベケットの「クラップ最後のテープ」を演じてみたいことは以前にも何度も書いたが、昨夜、寝しなにふと、
 
「あれなら――是非やりたい。急にやりたくなったのだ。」
 
と思った役があったのだ。
 
漱石の「こゝろ」の「ある役」だ。
 
「先生」では無論、ない。もう「先生」の年齢の倍近く生きてしまったからね(「先生」を爺さんだと思っている愚かな連中がいっぱいいるが、先生が自殺したのは満で35歳ぐらいだよ。私の論考を見給え)。だから「K」も「私」も無理だ。「私」の「父」も魅力ない。
 
もういないだろうって?
 
いや、僕の年でもやれる役がある。しかも頗る魅力的なのだ。
 
多分、誰も当たらない。台詞もないチョイ役だからだ。
 
でも無性にやりたいと思ったのだ。
 
僕の初出の電子化から引こう。例の雑司ヶ谷で「私」が「先生」に再会するシークエンスに登場する「彼」だ――
 
   *

 
  先生の遺書

 
      (五)
 
 私は墓地の手前にある苗畠(なへばたけ)の左側(ひだりかは)ら這入つて、兩方に楓を植ゑ付けた廣い道を奧の方へ進んで行つた。すると其(その)端(はづ)れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て來た。私は其人の眼鏡の縁が日に光る迄近く寄て行つた。さうして出拔(だしぬ)けに「先生」と大きな聲を掛けた。先生は突然立ち留(ど)まつて私の顏を見た。
 
 「何うして‥‥、何うして‥‥」
 
 先生は同じ言葉を二遍繰り返した。其言葉は森閑とした晝の中(うち)に異樣な調子をもつて繰り返された。私は急に何とも應へられなくなつた。
 
「私の後を跟(つ)けて來たのですか。何うして‥‥」
 
 先生の態度は寧ろ落付いてゐた。聲は寧ろ沈んでゐた。けれども其表情の中には判然(はつきり)云へない樣な一種の曇りがあつた。
 
 私は私が何うして此處へ來たかを先生に話した。
 
 「誰の墓へ參りに行つたか、妻が其人の名を云ひましたか」
 
 「いゝえ、其んな事は何も仰しやいません」
 
 「さうですか。――さう、夫は云ふ筈がありませんね、始めて會つた貴方に。いふ必要がないんだから」
 
 先生は漸く得心したらしい樣子であつた。然し私には其意味が丸で解らなかつた。
 
 先生と私は通(とほり)へ出やうとして墓の間を拔けた。依撒伯拉(いさべら)何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのといふ傍(かたはら)に、一切衆生悉有佛生(いつさいしゆじやうしつうふつしやう)と書いた塔婆などが建てゝあつた。全權公使何々といふのもあつた。私は安得烈(あんどれ)と彫(ほ)り付けた小さい墓の前で、「是は何と讀むんでせう」と先生に聞いた。「アンドレとでも讀ませる積でせうね」と云つて先生は苦笑した。
 
 先生は是等の墓標が現す人(ひと)種々(さまざま)の樣式に對して、私程に滑稽もアイロニーも認めてないらしかつた。私が丸い墓石だの細長い御影(みかげ)の碑だのを指して、しきりに彼是云ひたがるのを、始めのうちは默つて聞いてゐたが、仕舞に「貴方は死といふ事實をまだ眞面目に考へた事がありませんね」と云つた。私は默つた。先生もそれぎり何とも云はなくなつた。
 
 墓地の區切(くき)り目に、大きな銀杏(いてう)が一本空を隱すやうに立つてゐた。其下へ來た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。此木がすつかり黄葉して、こゝいらの地面は金色(きんいろ)の落葉(おとば)で埋まるやうになります」と云つた。先生は月に一度づゝは必ず此木の下を通るのであつた。
 
 向ふの方で凸凹の地面をならして新墓地を作つてゐる男が、鍬の手を休めて私達を見てゐた。私達は其處から左へ切れてすぐ街道へ出た。
 
 是から何處へ行くといふ目的(あて)のない私は、たゞ先生の歩く方へ歩いて行つたた。先生は何時もより口數を利かなかつた。それでも私は左程の窮窟を感じなかつたので、ぶら/\一所に歩いて行つた。
 
 「すぐ御宅へ御歸りですか」
 
 「えゝ別に寄(よる)所もありませんから」
 
 二人は又默つて南の方へ坂を下(おり)た。
 
 「先生の御宅(おたく)の墓地はあすこにあるんですか」と私が又口を利き出した。
 
 「いゝえ」
 
 「何方の御墓があるんですか。―御親類の御墓ですか」
 
 「いゝえ」
 
 先生は是以外に何も答へなかつた。私も其話しはそれぎりにして切り上げた。すると一町程歩いた後で、先生が不意に其處へ戻つて來た。
 
 「あすこには私の友達(ともたち)の墓があるんです」
 
 「御友達(ともたち)の御墓へ毎月御參りをなさるんですか」
 
 「さうです」
 
 先生は其日是以外を語らなかつた。
 
   *
 
そうだ。
 

雑司ヶ谷の墓地の中で「凸凹の地面をならして新墓地を作つてゐる男」だ。「鍬の手を休めて」「私」と「先生」を凝っと見つめている男だ。
 
あれを演じたい。

何故かって? 僕はね、やっぱり彼は「Kの亡靈」だと思うからだよ(それは確信犯で僕のフェイク小説「こゝろ佚文」にも登場させたんだからね)、「Kの亡靈」なら、六十の爺でいいんだ、いや、寧ろ、六十の爺の方がいいんだよ…………

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