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2017/09/23

老媼茶話 廣異記(山魈その2)

 

     廣異記

 

 山魈(サンセウ)は嶺南にあり。獨足(どくそく)にして、踵(キビス)、うしろに向ふ。手足ともに三ッゆひなり。天寶年中、北地の商人、嶺南に至り、山中にて、忽ち、牝(ヲンナ)山魈に逢ふ。再拜して脂粉(シフン/ベニヲシロイ)をあたふ。山魈、甚(はなはだ)よろこんて曰、

「此樹下に安寢(あんしん)せよ。われ、よく、まもらん。」

といふ。

 中夜(ちうや)に、ふたつの虎、來れり。山魈、乃(イマ)し、手を以て、虎の頭を撫(なで)て曰、

「斑子(ハンシ)去。わが客、います。」

と。ふたつの虎、耳をすへて去

 夜明けて、辭謝してわかれされり、といへり。

 山魈、其牝(ヒン/ヲンナ)は脂粉(ベニヲシロイ)を好み、其牡(ヲ)は金錢を求むといふ。

 

[やぶちゃん注:これは「廣異記」の「八」にある一塊りの「山魈」譚からの抜粋である。

   *

山魈者、嶺南所在有之。獨足反踵、手足三歧、其牝好傅脂粉。於大樹空中作窠、有木屏風帳幔、食物甚備。南人山行者、多持黃脂鈆粉及錢等以自隨。雄者謂之「山公」、必求金錢、遇雌者謂之「山姑」、必求脂粉。與者能相護。

唐天寶中、北客有嶺南山行者、多夜懼虎、欲上樹宿、忽遇雌山魈。其人素有輕齎、因下樹再拜、呼「山姑」。樹中遙問、「有何貨物。」。人以脂粉與之。甚喜、謂其人曰、「安臥無慮也。」。人宿樹下、中夜、有二虎欲至其所。山魈下樹、以手撫虎頭曰、「斑子、我客在、宜速去也。」。二虎遂去。明日辭別、謝客甚謹。其難曉者、每中與人營田、人出田及種、餘耕地種植、並是山魈。穀熟則來喚人平分、性質直、與人分、不取其多。人亦不敢取多、取多者遇天疫病。

天寶末、劉薦者爲嶺南判官。山行、忽遇山魈、呼爲「妖鬼」。山魈怒曰、「劉判官、我自遊戲、何累於君、乃爾罵我。」。遂於下樹枝上立、呼、「班子。」。有頃、虎至、令取劉判官。薦大懼、策馬而走、須臾爲虎所攫、坐下。魈乃笑曰、「劉判官、更罵我否。」。左右再拜乞命。徐曰、「可去。」。虎方捨薦。薦怖懼幾絶、扶歸、病數日方愈。薦每向人其事。

   *

「嶺南」中国南部の「五嶺」(越城嶺・都龐(とほう)嶺(掲陽嶺とも称す)・萌渚(ほうしょ)嶺・騎田嶺・大庾(だいゆ)嶺の五つの山脈)よりも南の地方を指す。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当し、部分的には華南とも重なっている。更に、かつて中国がベトナムの北部一帯を支配して紅河(ソンコイ河)三角州に交趾郡を置くなどしていた時期にはベトナム北部も嶺南に含まれていた。

「獨足(どくそく)」一本足。本書の「山魈」の注を参照されたい。

「踵(キビス)、うしろに向ふ」これおかしくね? 踵は後ろに向いているよ、三坂殿。ここは「踵(キビス)、前に向ふ」でしょ?

「三ッゆひ」「三つ指」。前肢(と言っても足は一本だから三肢)の指がそれぞれ三本しかないことを謂う。

「天寶」唐の玄宗の治世の後半七四二年から七五六年まで。先に出た「開元の治」の反対で、唐王朝の危機の時期。元年には玄宗お気に入りの安禄山が平盧節度使となり、三年には安禄山は范陽節度使を兼任、楊太真が玄宗の後宮に入って(因みに、この年から唐王朝は年次表記を「年」から「載」に改めている)、翌年、彼女は貴妃の位を賜って楊貴妃となっている。同十四載に安史の乱が勃発し、洛陽から玄宗以下が蒙塵し、安禄山に占拠されてしまう。翌十五載の六月に玄宗の子の粛宗が即位して、至徳と改元されている(以上はウィキの「天宝に拠った)。

「北地」華北。

「牝(ヲンナ)山魈」「ヲンナ」は「牝」の左ルビ。

「中夜(ちうや)」夜半。

「乃(イマ)し」丁度、その時、すかさず。

「「斑子(ハンシ)」虎の異名。ここは愛称のように聴こえて、何だか、すこぶる納得。

「耳をすへて」「据えて」。獣類の大人しくするさま。]

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