北越奇談 巻之五 怪談 其十二(老狐の怪)
其十二
蒲原郡押付村(おしつけむら)に㚑驗著(いちゞ)るき稲荷明神あり。社地は、即(すなはち),西川堤(にしかはづゝみ)の下、百姓吉右ヱ門と云へる者の建立(こんりう)せる所也。社殿の下に住居(すみゐ)せる穴あり。常には小狐出て遊び、戯れ居(ゐ)ると雖も、人をも恐れず、犬なんども、さらに是を不ㇾ追(おはず)。尤(もつとも)祈願ある人は其社前に詣ふでゝ、小豆(あづき)の飯(めし)・油煮(あぶらに)の豆腐、如ㇾ例(れいのごとく)供物ニ供へて歸ることなり。扨、翌朝(よくてう)、疾(と)く行(ゆき)て、社頭を拜するに、祈願成就すべきには、必(かならず)、其供物を食(くら)ひ盡くし、不成(ふじやう)の願(ぐはん)には一ツも食(しよく)すること、なし。是、尤、一奇なり。別して盗賊のために失へる物を祈るに、十にして八、九は不ㇾ出(いでず)と云ふことなし。
此先祖、吉右ヱ門と云へるは、既に百二、三十年前(ぜん)のことなるべし、春の雪のむら消(ぎえ)なる頃、畑(はた)に出(いで)て蓑笠を傍(かたへ)に脱ぎ捨(すて)、獨り、畝作(うねづく)り、耕(たがや)しけるに、何處(いづく)より、來(きた)るともなく、尾と頭(かしら)と、半(なかば)白き老狐(らうこ)、身を潛(ひそ)めて走り來るあり。
吉右ヱ門、驚き、見返れば、大なる鷲一ツ、箭(や)を突くごとくに飛來(とびきた)る。
「あはや。」
と見るうち、かの老狐、吉右ヱ門が捨置(すておき)たる簑笠の下に身を隱せり。
かゝる折しも、田畑に群がり居(お)れる若き者共、三、四人、
「それ狐よ。」
とて、鍬・鋤なんど、振りかたげて、追ひ來(きた)るにぞ、かの鷲は狐をば見失ひぬ。其(その)人人の騷ぎにや驚きけん、遙(はるか)の天外に飛去(とびさり)たり。
扨、若者ども、集まりて、かの老狐を殺さんとす。
吉右ヱ門、深く是を憐み、酒一斤(きん)を約して、遂に四人を歸らしめ、即(すなはち)、かの老狐を蓑に包み、己(おのれ)が家に歸りて、食物(しよくもつ)など與へけるに、此老狐、吉右ヱ門が傍(かたはら)を離れず、種々(しゆじゆ)の奇をなして、衆人の目を驚かす。
一年(ひとゝせ)、吉ヱ門、家、貧にして、味噌の大豆(まめ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を煮ること、能(あた)はず。家内(かない)、以(もつて)、是を愁ふ。しかるに、翌朝(よくてう)、起出(おきいで)て見れば、味噌大豆(みそまめ)を煮て丸めたる「玉(たま)」と云へる物、家の中に滿ち滿ちたり。
吉右ヱ門、驚き、近隣に告(つげ)しむるに、村の寺にて煮たる味噌玉(みそだま)、悉(ことごと)く盜まれて、なし、と云ふ。
吉右ヱ門、大に怒り、
「是、必(かならず)、老狐の業(わざ)らん。」
とて、かの老狐に向ひ、
「早々、寺へ返すべし。」
と云へりければ、又、其夜(よ)のうちに盡(ことごと)く運び返しぬ。
其余(そのよ)、吉右ヱ門、訴訟の事ありて出入(でいり)に勝(かち)たる話(わ)、三國峠(みくにとふげ)にて盗賊に出合(であい)、非力(ひりき)の吉右ヱ門、自然に術(じゆつ)を得て、盗賊、四、五人を打伏(うちふ)せたる話(わ)、皆、老狐の利驗(りげん)なること、種々(しゆじゆ)奇談ありと雖も、事長(ことなが)きを以つて是を畧す。
其後(そのゝち)、稲荷大明神と祭奉(まつりたてまつ)りて、國人(くにうど)の尊信、又、少(すくな)からず。
[やぶちゃん注:「蒲原郡押付村(おしつけむら)」現在の新潟市西蒲区押付。ここ(グーグル・マップ・データ)。現在の同地区は西北が西川の右岸にごく近い。同地区内の西のはずれに「鎧八幡太神宮」を、その西北直近の矢島地区内に神明宮を見出せはする(上を拡大したグーグル・マップ・データ)が、これ等の何れかであるか、或いは合祀されているか、或いは消滅してしまったかは不明である。
「尤(もつとも)祈願ある人」この「尤」は「特に」の意。
「百二、三十年前(ぜん)」本書刊行は文化九(一八一二)年春であるから、延宝八(一六八〇)年前後から元禄三(一六九〇)年より前となろう。
「雪のむら消(ぎえ)」初春の頃、雪が斑(まだら)に消え残ること。
「振りかたげて」「傾けて持つ・傾けて構える」の意の「傾げる」、「肩に載せる・担(にな)う・担(かつ)ぐ」の意の「擔(担)げる」の意が考えられる。後者で採る。
「酒一斤(きん)」「斤」は重量単位で六百グラムであるから、酒はアルコール分が少ないので六百ミリリットルに換算してよい。一升瓶三分の一。
「利驗(りげん)」利益(りやく)に同じい。]