北越奇談 巻之五 怪談 其十(霊の訪れ その四)
其十
磯谷村(いそだにむら)百姓某(それがし)兄弟二人、過(すぎ)し秋、東武に行(ゆき)て奉公せしが、春に至り、農事を營む頃には、必(かならず)、國に歸るべしと同郷の友に約せり。
然(しか)るに、弟(おとゝ)なる者、病(やまひ)に臥して歸ること、能(あた)はず。
「愈(いゆ)るを待(まち)て、後(あと)より歸るべし。」
と知る人に看病を賴み置(おき)て、兄なる者は同郷の友一両人同道して歸りけるが、已に我家に着(つき)ぬべき日に至り、朝より赤き馬(むま)の荷も負(おは)ざるが、一丁(いつてう)ばかり先に立(たち)て行(ゆき)、或は見へ、或は見へず。是を追ひば、走りて去(さる)。終(つゐ)に家の前に至れば、かの馬、一走(ひとはしり)にして内へ飛び入ぬ。家人、皆、驚きて立騷(たちさは)ぐ。
其馬、又、行所(ゆくところ)を知らず。
兄も又、馬に續きて内に入しが、父母(ふぼ)、悦(よろこん)で、
「弟(おとゝ)は如何に。」
と問ふ。
即(すなはち)、告(つぐ)るに、病(やまひ)あるを以(もつて)東武に殘せしことを語る。
父母、大に嘆(なげき)て、
「赤馬(せきば)の怪、必、弟(おとゝ)、死せるならん。」
とて、急ぎ、人を東武に遣はして、其安否を問(とは)しむるに、弟(おとゝ)は、病(やまひ)、愈(いへ)て、其人と共に、歸り來れり。
又、奇なるかな。
凡(およそ)近世流行の戯作復讐者(げさくふくしゆうもの)數(す)百編、盡(ことごと)く、死㚑(しれう)の怪、なきはあらず。又、古(いにしへ)より、幽㚑の話は多くあることなれども、信じ難きことのみ多し。豈(あに)、陰鬼(いんき)、陽人(ようじん)に向(むかつ)て形を顯(あらは)し、能(よく)言語(げんぎよ)することを得んや。爰(こゝ)に於て、予是を採らず。只、目(ま)の當たり見聞(みきゝ)たる、生魂夢遊(せいこんむゆふ)の話(わ)のみを記(しる)せり。
[やぶちゃん注:生霊譚三連投。赤い馬に変じた生霊とは面白い(但し、やや中国の伝奇小説の中にありそうな話柄ではある)。しかもこれも明白なハッピー・エンドで、本邦の怪談としては至って珍しいものと思う。さらにここで最後に崑崙は自説を展開している。即ち、彼は陰の気のみから成り立っているはずの死者の霊(「陰鬼」)が、陽気によって現存在している人間に向かってこの世で人間と同じ時空間で姿を現わしたり、人間と全く同じ言語を操ることなど、到底、出来るはずはないと一刀両断するのである。そして、これらを敢えて事実あった怪奇談として殊更にチョイスしているのは、「生魂夢遊(せいこんむゆふ)」、即ち、生きた人間の魂(或いは心)は現実の肉体から離脱することが出来、それは本人が意識していることもあれば、全く意識していない場合(「其八」のケース)もある、生霊現象は真実である、ということを崑崙は胸を張って主張しているのである。
しかし、「では」と、私は続けて崑崙に反論したくなるのである。
「崑崙先生、あなたの信じておられる、人間の眼には見えない鬼神、死気から生じたとするその鬼神とは、どのような元素によって構成されているのか、どのようにして見えぬながらにこの世界に出現し、現実世界や我々が物理的に触れられる物質類と巧妙にアクセスすることが出来るのですか!? 「石鏃」のところであなたが言っておられる鬼神は、明らかにあなたが翌朝また立った場所に、数時間前にいたのであり、或いはその時も共時的にいたのであり、しかも新たな物質としての造りかけの石鏃やその破片を現に置いて行っているのですよね?」
と、である。
「磯谷村(いそだにむら)」不詳。
「戯作復讐者」戯作復讐物。死霊が生きた人間に怨念を持ってダイレクトに復讐し、死に至らしめるという展開を持った戯作類。]