老媼茶話 佛祖統記(放生(ほうじょう)の功徳)
佛祖統記
もろこしの天寶年中、當塗(とうと)の漁人劉成(リウセイ)・李曄(リキ)といふもの、魚をとつて船にのせ、丹陽に行(ゆく)。船をとゝめて、一夜、あかせり。
李は行かす、劉成壱人、行り。
夜更(よふけ)て、船の上を見る。
ひとつの大魚、ひれをふるひ、首(かうべ)をうこかし、
「阿彌陀佛。」
をとなふ。劉成、驚き是をみるに、萬魚ともに、をとりおとつて、念佛を申す聲、天地をうこかす。
劉、大に恐れて、ことことく、取(とり)たる魚を江(かう)にはなつ。
李に、此よしを、語る。
李曄、聞(きき)て、まこととせす、劉成、やむ事を得すして、おのかたからを以て、是を、つくのひけり。
明る日、劉、荻(ヲキ)のうちにて、錢萬五千を【拾五貫。】得たり。
題(タイシテ)曰、「還カヘス二汝ニ魚ノ直一」(汝に魚の直(あたひ)を還(かへ)す)とありし、といへり。
[やぶちゃん注:「佛祖統記」南宋の天台宗の僧志磐(しばん 生没年不詳)が一二五八年から一二六九年の十一年を費やして撰した仏教史書。全五十四巻。天台宗を仏教の正統に据える立場から編纂されている。紀伝体(以上はウィキの「仏祖統記」に拠った)。以上の話は同「巻第二十八」の「浄土立教志第十二之三」の「往生禽魚傳」の中の一条「劉成魚」。
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劉成魚 唐天寶中當塗漁人劉成李暉。載魚往丹陽泊舟浦中。李他往。劉遽見舡上大魚振鬣搖首稱阿彌陀佛。劉驚奔於岸。俄聞萬魚俱跳躍念佛。聲動天地。劉大恐盡投魚於江。李至不信。劉卽用己財償之。明日於荻中得錢萬五千【十五貫也。】題云還汝魚直。
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「天寶」既注。唐の玄宗の治世の後半七四二年から七五六年まで。唐王朝の危機の時期。
「當塗(とうと)」現在の安徽省馬鞍山(まあさん)市当塗県。南京の南西、長江右岸。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「李曄(リキ)」この読みは「リエフ」(現代仮名遣「リヨウ」)でなくてはおかしい。
「丹陽」江蘇省鎮江市丹陽市。南京の東、長江右岸のやや内陸。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「李は行かす」李は夜遊びに出ず、舟に残って寝たことをいう。
「夜更(よふけ)て」劉成が夜更けに舟に戻ったのである。
「ひれをふるひ」「鰭を振るひ」。
「うこかし」「動かし」。
「をとりおとつて」「躍り踊つて」。
「おのかたから」「己(おの)が寶」。
「つくのひけり」「償(つぐの)ひけり」。
「拾五貫」一貫は銭千文であるから、「錢萬五千」で一万五千文。「唐とアッバース朝の財政規模」というページに拠れば、この天宝年間の租税の内の「調」の絹と棉の一人当たりの納税既定量が絹二丈に綿三両とし、これは貨幣換算額で七百五十文相当(絹分が百文で
棉分が六百五十文)とある。また、同様に「祖」の粟・米は二石で貨幣換算額で七百五十文である。さらにその注には『宮崎市定「唐代賦役制度新考」』『によると、租・調・徭は、徭役の日数換算することができ、租=力役』十五日=雑徭三十日=『絹+棉=麻・布と解析している。更に史料から力役一日』五十『文と算出できるため』、十五×五十=七百五十文=二石『という計算が成り立つ』とあるから、過酷な苦役(クーリー)十五日分の二十倍、雑役一ヶ月の一年十ヶ月に相当する大金である。
『題(タイシテ)曰、「還カヘス二汝ニ魚ノ直一」(汝に魚の直(あたひ)を還(かへ)す)にとありし』河原の荻原の中から拾った一万五千文の金包の上に「還汝魚直」と墨書きされてあったというのである。]
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