和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 孑孓(ぼうふりむし)
ぼうふりむし 蛣蟩 蜎蠉
赤蟲 釘倒蟲
孑孓
【俗云棒振蟲】
三才圖會云夏秋間積水惡濁則生之其身既短好聳腰
而上群浮水際遇人暫下其行一曲一直獨以腰爲力若
人無臂故曰孑孓【孑人無右臂也孓人無左臂也】經日稍久則蛻而爲蚊
△按孑孓溝泥中濕熱相感生小蟲長二三分灰黑色微
似科斗形而常一曲一直如振棒狀故名之經日羽化
爲蚊
五雜俎云𧓡蠓之育於醯醋芝櫺之産於枯木蛣蟩之滋
於泥淤翠蘿之秀於松枝彼非四時所創匠也皆因物成
形自無而生有耳
*
ぼうふりむし 蛣蟩〔(きつけつ)〕 蜎蠉〔(けんけん)〕
赤蟲〔(あかむし)〕 釘倒蟲〔(ていたうちゆう)〕
孑孓
【俗に「棒振蟲」と云ふ。】
「三才圖會」に云はく、『夏・秋の間、積水、惡濁〔して〕、則ち、之れを生ず。其の身、既に短くして、好く腰を聳へて上り、群(むらが)り、水際(きは)に浮かぶ。人に遇へば、暫く下り、其の行くこと、一曲一直、獨り、腰を以つて力と爲す。人の臂〔(ひじ)〕の無きがごとし。故に「孑孓」と曰ふ【「孑」は人〔の〕右の臂無きなり。「孓」は人〔の〕左の臂無きなり。】日を經ること、稍〔(やや)〕久しきときは、則ち、蛻〔(もぬけ)〕して、蚊と爲る』〔と〕。
△按ずるに、孑孓は、溝泥の中、濕熱、相感して、小蟲を生〔ぜるもの〕。長さ、二、三分、灰黑色。微〔(かすか)に〕科斗(かいるのこ)の形に似て、常に一曲一直、棒を振る狀のごとし。故に之れを名づく。日を經て、羽化して蚊と爲る。
「五雜俎」に云はく、『𧓡蠓(まくなぎ)、醯-醋(す)に育(そだ)ち、芝櫺(れいし)の枯木に産(は)へ、蛣蟩(ぼうふりむし)の泥-淤(どろ)に滋(しげ)る。翠-蘿(つた)の松枝〔(まつがえ)〕に秀(ひい)づる。彼、四時の創匠する所に非ず。皆、物に因りて形を成し、無よりして有を生ずるのみ。
[やぶちゃん注:前項の双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目カ上科カ科
Culicidae に属する蚊類(亜科はオオカ亜科
Toxorhynchitinae・ナミカ亜科
Culicinae・ハマダラカ亜科
Anophelinae に分かれる)の水棲幼虫である「ボウフラ」。良安が、連続させるとは言え、全くの別項として立てるのは、今までも見て来た通り、彼がトンデモ化生説の熱烈な信望者だからである。則ち、彼はここで述べているように、「ぼうふら」は汚ない汚水の溜まった溝泥の中で湿気と熱気が相感応して忽然と生じた生物であり、それが日を経ると、また、忽然と羽化して「蚊」になると信じているからである。何故、成虫の蚊が水際や水面に産卵したものが、「ぼうふら」を経て、蛹(オニボウフラ)となって、成虫の蚊となる、という筋道を外の虫のように辿れないのかは判らぬ。或いは、良安は目が悪く、蚊の微小な卵を観察出来なかったからかも知れぬ。というより、彼の論理の系の中では基本的には完全変態の生活環を認めることに強い違和感があり続けたとするのが正しいのかも知れない。なお、ウィキの「カ」によれば、『蚊の幼虫のボウフラは水中の有機物を分解し、バクテリアを食す。バクテリアも有機物を分解するが、排泄物で水を汚すため、バクテリアが増えすぎると水中の酸素が少なくなり』、『生物が住めなくなってしまう場合がある。ボウフラはバクテリアを食べ、呼吸は空気中から行うことで、水環境を浄化する作用がある』とある。ここに出るボウフラの運動については、ミリ波氏のブログ「プロムナード」の「夏休みの自由研究-ボウフラ観察のススメ」がよい。それによれば、彼らはかなり巧緻な『重力センサーを体内に持っている』と思われ、その一見、『無駄な動きのように見える彼等のクネクネ運動』(本文の「一曲一直」)も、実は『意味のある』精緻な『運動情報として遺伝子上にプログラミングされ、代々に渡って伝承されているという』とある。まさに、たかがボウフラ、されどボウフラ、である。
「孑孓」「孑」は音「ケツ・ケチ・キチ・キツ・(慣用音)ゲツ」で、「孓」(音「ケツ・クワチ(カチ)・キヨウ(キョウ)・ク・クツ・クチ)は「孒」が正字と思われる。「廣漢和辭典」によれば、孰れも象形で、「孑」は『子の右ひじを欠き、いとけないひとりの意を表す』とし、「孒」は『子どもの左うでを切りとった形にかたどる』とする。ウィキシュナリーの「孑」には『奴隷階級の子供を逃さないように、腕を切り取ったものか』という驚くべき説が載る。
「赤蟲」これは刺さない蚊で、蚊柱を作ることで知られる、カ下目ユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae のユスリカ類の幼虫を指している。ウィキの「ユスリカ」によれば、『幼虫はその体色からアカムシまたはアカボウフラと呼ばれるが、カの幼虫である本来のボウフラとは形状が大幅に異なる。通常細長い円筒形で、本来の付属肢はない。頭は楕円形で、眼、触角、左右に開く大腮や、そのほか多くの付属器官があり、これらの微細な形態が幼虫の分類に使われる。口のすぐ後ろには前擬脚と呼ぶ』一『つの突起があり、その先端には多くの細かい爪があって付属肢の様に利用する。腹部末端にも』一『対の脚があり、やはり先端に爪があり体を固定したりするのに役に立っている。また通常、体の後端には数対の肛門鰓をもっており』、ユスリカ亜科ユスリカ属Chironomus『など一部のグループには腹部にも血鰓(けっさい:血管鰓とも言う)を有するものもある』とあり、また、『非常に種類が多く、世界で』約一万五千種、本邦では約二千種ほどが『記載されて』おり、これは『水生昆虫の中で』も一『科で擁する種数が最も多いものの一つである』とある。
「蛻〔(もぬけ)〕」脱皮。読みは先行の本文ルビに拠った。
「科斗(かいるのこ)」蝌蚪(おたまじゃくし)。しかし……あんまり似てるとは思わんがなぁ……
「𧓡蠓(まくなぎ)」小さな羽虫。現在のヌカカ(ユスリカ上科ヌカカ科 Ceratopogonidae:♀が激しく吸血する。私は山や海でさんざん刺された。後から異様に痒くなり、傷の治りも悪いのを特徴とする。次の次に独立項として出る)や、刺さない先に挙げたユスリカ及びガガンボダマシ(糸角(カ)亜目ガガンボダマシ科ガガンボダマシ属 Trichocera。「ダマシ」で判る通り、形状は似ているものの糸角(カ)亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae とは縁遠い。ガガンボは春から夏に見られるのに対し、ガガンボダマシは主に冬に出現する)の類に相当する。
「芝櫺(れいし)」ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ(茘枝)Litchi
chinensis か、或いはモクレン目バンレイシ科バンレイシ属バンレイシ(蕃茘枝)Annona
squamosa か。「櫺」の字は櫺窓(れんじまど:連子格子の窓)のそれで、そのゴッツさからは後者のように思われるものの、枯れ木に実るという意味がよく判らぬ。
「翠-蘿(つた)」 これは蔓性植物の蔦類ではなく、緑色で「松の枝に秀(ひい)」でるような形状ととるなら、「蘿(かげ)」という別称を持つ、広義のシダ植物(但し、巨大な苔のように見える)で、近くで見ると、松の花のようにも見える、ヒカゲノカズラ植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属ヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum ではなかろうか? ウィキの「ヒカゲノカズラ」の画像を参照されたい。
「彼」彼ら。
「四時の創匠する所に非ず」自然の運行たる四季の変化が創出した産物ではない。
「物に因りて形を成し、無よりして有を生ずるのみ」ある対象或いは現象が契機となってそれに感応して形状を成し、全くの無から忽然と有を生じたものに過ぎない。化生説である。]
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