河童音頭 火野葦平
[やぶちゃん注:底本「河童曼荼羅」の本文掉尾。十二番まである。太字は底本では傍点「ヽ」。]
小雨(こさめ)降る宵春の雨
なかなしむや川太郎
ひとり音〆(ねじめ)の爪(つま)びきに
ふるへて靑し絲柳
[やぶちゃん注:「音〆(ねじめ)」は本来は三味線・琴などの弦を締めて、音調を整えることを指すが、ここはそこから派生したもので、三味線の音(ね)の冴えや音色を謂う。]
ここの館(やかた)に棲むものは
世の常ならぬ川太郎
色とりどりの酒の味
空靑きを戀ふるなれ
びいどろびんのレッテルに
とぢこめられてこの月日
胡瓜(きうり)ひときれ口にやせぬ
レッテル悲し空戀し
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「口にやせぬ」は「口にゃせぬ」と唄う。]
しよせんしがない河童ゆゑ
逢うてうれしいひとときも
岩の衾(しとね)が身につまり
苔の靑さに吐息つく
口のへらずが怪我のもと
八方眼(はつぽうまなこ)も盲とさ
耳の敏(さとい)も聾なら
見まい聞くまい語るまい
蓮の行燈(あんど)の水あぶら
筆のはこびもよどみがち
百本千本つぶて文
書いて瘦せればしよんがいな
たかが河郎(かむろ)の分際で
繪をかき詩をかき歌うたひ
果ては女に惚れるとは
身のほど知らぬ橫道者(わうどもの)
浮かれ女の尻子玉(しりこだま)
拔いて食べての腹くだし
草津のお湯でもなほりやせぬ
醫者に見しようも恥かしい
かうといつたん決(き)めたらば
どうでも取らねば氣がすまぬ
沼に落ちたる月ひとつ
靑い目のよな月ひとつ
眼(まなこ)光らし腕ふつて
かたる言葉はみだるとも
酒と戀とが命なら
いつ果てるぞやこの宴(うたげ)
手に手に葦の太刀(たち)かざし
ほむらに乘れる者の群(むれ)
數は百萬風のごと
ひようひようひようと鳴つてゆく
われもと雲の性(さが)なれば
かかる塵(ちり)の世なんであろ
いざ胸をはり風に乘り
空のかなたに去(い)なむかな
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