老媼茶話 宣室志(ありがたい声明(しょうみょう)……実は……)
宣室志
太原の商人に石憲といふ者あり。長慶二年の夏の頃、雁門關に行くに、暑(しよ)、盛(さかん)なるにつかれて、大木のもとに、ふしたり。
夢に一僧あり。
石憲にいわく、
「我(わが)庵の南に冷水あり。玄浴地となつく。檀越(だんをつ)、われに偕(トモナフ)てあそふへし。」
憲、僧とともに行(ゆく)に、窮林積水(キウリンセキスイ)あり。
群僧(グンソウ)、水中に、あり。
憲、是を見て、深く怪しむ。
僧の曰、
「檀越、梵音(ぼんいん)を聞(きか)んと欲するか。」
憲、是を、
「然り。」
とす。
群僧、水中に有つて、同音に聲を合(あはせ)て噪(ハツカ)し。
一僧あり、憲か手を取(とり)て、ともに浴す。
其(その)冷ル事、甚し。
驚(おどろき)て寤(サム)るとき、衣、ことことく、しめる。
明日(みやうじつ)、行(ゆき)つから、道に池有りて、蛙、鳴(なく)事、甚たし。夜ル夢にみし處に、たかわす。池に群蛙(ぐんあ)あり。儼(ゲン)として、きのふの僧のことし。
[やぶちゃん注:この話、確かに「宣室志」の第一巻に「石憲」として見出せるが、三坂の訳は肝心要の凄惨なコーダを略してしまった結果、珍しく、台無しの尻切れトンボの失敗作になってしまっている。
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有石憲者、其籍編太原、以商為業、常行貨於代北。
長慶二年夏中於鴈門關行道中、時暑方盛、因偃於大木下。忽夢一僧、蜂目、被褐衲、其狀甚異、來憲前謂曰、「我廬於五臺山之南、有窮林積水、出塵俗甚遠、實群僧清暑之地。檀越幸偕我而遊乎。卽不能、吾見檀越病熱且死、得無悔於心耶。」。憲以時暑方盛、僧且以禍福語相動、因謂僧曰、「願與師偕往。」。於是、其僧引憲西去。且數里、果有窮林積水。見群僧在水中。憲怪而問之、僧曰、「此玄陰池。故我徒浴於中、且以蕩炎燠。」。於是引憲環池行。憲獨怪群僧在水中、又其狀貌無一異者。已而天暮、有一僧曰、「檀越可聽吾徒之梵音也。」。於是憲立池旁、群僧即於水中合聲而噪。僅食頃、有一僧挈手曰、「檀越與吾偕浴於玄陰池、慎無懼。」。憲卽隨僧入池中、忽覺一身盡冷、噤而戰。由是驚悟。見己臥於大木下、衣盡濕、而寒慄且甚。時已日暮、卽抵村舍中。
至明日、病稍愈。因行於道。聞道中忽有蛙鳴、甚類群僧之梵音、於是逕往尋之。行數里、見窮林積水、有蛙甚多。其水果名玄陰池者、其僧乃群蛙爾。憲曰、「此蛙能幻形以惑於人、豈非怪之尤者乎。」。於是盡殺之。
*
主人公はただの一介の商人である。やはり、原作通り、あまりの気味悪さから、「此れ、蛙、能く形を幻じて、以つて人を惑はすは、豈に怪の尤もなる者に非ずや!」と叫んで、「是に於いて、之れを殺し盡す」と終わらねば、本当の唐代伝奇とは言えないと私は思う。
「太原」現在の山西省の省都太原市。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「長慶二年」「長慶」は唐代穆宗(ぼくそう)の治世の年号。同二年は西暦八二二年。
「雁門關」別名「西陘関(さいけいかん)」とも称し、山西省北部の代県の西北にある雁門山(別名「勾注山(けいちゅうざん)」)の中にある古えからの関所。北方異民族の侵入に対抗するための防衛拠点で、数多くの戦いが繰り広げられてきた場所として知られる。太原の北約百四十八キロメートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「なつく」「名づく」。
「檀越(だんをつ)」梵語で「施主」の意の「ダナパティ」の漢訳。寺や僧に布施をする信者。檀那。檀家。読みは「だんおち」「だんえつ」等があるが、私は響きの好悪から習慣的に「だんおつ」で詠むことにしている。
「偕(トモナフ)て」「伴ふて」。
「窮林積水(キウリンセキスイ)」「窮林」は「深い林」の意、「積水」は「満々と湛えられた水」で高原の大きな湖である。
「梵音(ぼんいん)」一般には現在は「ぼんおん」「ぼんのん」と読まれる。単に読経のことも指すが、ここは声明(しょうみょう)の一種で、清浄な音声で仏法僧の徳を讃える偈頌(げじゅ)。四箇(しか)法要(仏教儀式の部分名で、「唄(ばい)」・「散華(さんげ)」・「梵音」・「錫杖(しゃくじょう)」の四種の声明から成る。宗派を越えて広くいろいろな法会に用られる)で二番目に唱えられる、それと採る。
を聞(きか)んと欲するか。」
「噪(ハツカ)し」この漢字では「騷(さは)がし」で「人が喧しく騒ぎ立てる」の意であるが、「はつかし」の読みの方だと、これは「恥づかし」で、「こちらが気恥ずかしくなるほどに相手が立派だ、優れている」の謂いとなるように私は思う。前の「梵音」を音楽的に優れた声明(しょうみょう)のそれと採るなら、意味は後者で採るべきであり、原話で石憲が騙されたと憤慨して蛙を皆殺しにするのは、ここで有り難い天人の声を聴いた(実際には蛙(ぎゃわず)のけたたましい鳴き声)ように感じたからに他ならないと私は読む。原典もこの漢字を用いているから、原作者は真相の伏線として騒ぐ声としたものを、或いは三坂はルビでそれと逆の効果を出そうしたものかも知れぬ。大方の御叱正を俟つものではある。
「冷ル事」「ひゆること」。その冷たさに「驚(おどろき)て」目覚める(寤(サム)る)のである。展開としては上手い手法である。なお、この目覚めた時、後の謂い(「夜ル夢にみし處に」)から、既に夜になっていたのである。
「ことことく」「悉く」。
「しめる」「濕る」。暑い盛りであるというのに、衣服はずぶずぶに水に濡れていた。
「行(ゆき)つから」「つ」は助動詞「つ」が変化した接続助詞で、活用語の連用形につく動作の従属性を示すそれであろうが、ここは「行き」を名詞化する働きがあるように思われる。さすれば「から」は恐らくは通過する地点を示す体言につく格助詞であろう。「行く途中に於いて」の意である。「行く道すがら」の「がら」と採ってもよいか。
「たかわす」「違(たが)はず」。
「儼(ゲン)として」「厳かな感じで」であるが、どうも訳がおかしいし、ここで立ち切れては意味が判らぬ。原話を見ると、歩いて行くうちに、夢の中で聴いたのと同じ、有り難い厳かな「梵音」のようなものが聴こえて来たので、それを目安に道を辿って、尋ねて行ったところが……あらマッちゃん、出ベソの宙返り! それは僧の声明なんかなじゃあなかった! 忌まわしい蛙(ぎゃわず)の鳴き声だったではないか! と続いてこそ! である。]
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