老媼茶話 潜確居類書曰(布団の下の阿房宮賦を詠ずる声)
潛確居類書曰
揚州の蘇陰といふ人、夜日、ふして聞(きく)は、我被(フスマ)の下にて數人有(ありて、ひとしく阿房宮の賦をとなうる聲、甚た急に、ほそし。被(フスマ)をひらいて是をみれは、化(け)の物、なし。只、蝨(シラミ)數拾(すうじふ)を得たり。其大(おほい)サ豆のことし。是を殺して、其後(そののち)に聲を、きかす。
[やぶちゃん注:この話、私は一読、怪異ではなく、偏愛する絵巻「病草紙」の、精神病の一種か、熱性マラリアによる幻覚かと思われる〈小法師の幻覚を見る男〉を思い出した。同図の添書きを示す(句読点を附した)。
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なかごろ、持病もちたるおとこ、ありけり。やまひ、おこらむとては、たけ四、五寸ばかりある法師の、かみきぬきたる、あまたつれだちて、まくらにあり、と、みえけり。
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この蘇陰なる人物もそうした病者ではなかったか? 「夜」だけでなく、昼間も寝ていることがあるという意味かと思われる「日夜」にそれを強く感じた。
「潜確居類書」「潛確類書」とも。明代の学者陳仁錫(ちんじんしゃく 一五八一年~一六三六年)が編纂した類書(百科事典)。但し、中文サイトで多様な検索を試みたが、同書内には当該文を見出せなかった。しかし、「中國哲學書電子化計劃」で「雲仙雜記」なる書の「卷七」中に、「淸異志」からの引用として、
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虱念阿房宮賦揚州蘇隱、夜臥、聞被下有數人齋念「阿房宮賦」、聲緊而小。急開被、視之無他物。惟得虱十餘、其大如豆、殺之卽止。
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を見出せた。「雲仙雜記」は唐の馮贄(ひょうし)撰。「淸異志」は不詳。唐から五代にかけての小説集で陶穀の撰になる「淸異錄」のことかと思ったが、違う。識者の御教授を乞う。
「夜日、ふして」「夜日」読み不詳。「やじつ」か「よるひる」と「日」に当て訓するか。「夜を日に継ぐ」の謂いで、昼夜の別なく、橫になると必ず、の謂いではあろう。
「被(フスマ)」「衾(ふすま)」。夜具。蒲団。ここは敷布団。
「阿房宮の賦」晩唐の名詩人杜牧(八〇三年~八五三年)の名作。原田俊介氏のサイトのこちらに原文及び阿房宮(始皇帝が建てようとした大宮殿で、咸陽の東南、渭河を越えた現在の陝西省西安市西方の阿房村に遺跡が残る。始皇帝の死後も工事が続いたが、秦の滅亡によって未完のままに終わった)の解説(ウィキの「阿房宮」への嵌め込みリンク。前の解説もそれを用いた)や現代語訳もある。
「甚た急に、ほそし」「甚だ急に(にして)細し」。非常に速い調子で詠み、しかも非常に小さな声である。]