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2017/09/06

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蠜螽(ねぎ/しょうりょうばった)


Syouryoubatta

ねぎ   春黍

     【和名以祢豆岐

        古萬呂】

蠜螽

      【俗云祢宜】

 

△按蠜螽似螽斯而小長一寸許青色尖首兩眼間廣但

 螽斯兩眼間狹以之爲異耳其首似社人着立烏帽子

 狀故俗呼曰祢宜小兒捕兩足則伸身俯仰首似舂稻

 狀故和名曰稻春【古萬呂者螽類和訓總名】其翅

 下有淡紫色

 

ねぎ   春黍〔(しゆんしよ)〕

     【和名、「以祢豆岐古萬呂〔(いねつきこまろ)〕。」】

蠜螽

      【俗に、「祢宜〔(ねぎ)〕」と云ふ。】

 

△按ずるに、蠜螽、螽斯(はたをり)に似て、小さく、長さ一寸許り。青色、尖りたる首、兩眼の間、廣(ひろ)し。但し、螽斯は兩眼の間、狹〔(せば)〕し。之れを以つて、異と爲〔(す)〕るのみ。其の首、社人、立烏帽子〔(たてえぼし)〕を着たる狀〔(かたち)〕に似たる故、俗、呼びて「祢宜〔(ねぎ)〕」と曰ふ。小兒、兩足を捕ふれば、則〔ち〕、身を伸(のば)して、首を俯(うつむ)き仰(あをむ)け、稻を舂〔つ〕く狀に似たり。故に、和名、「稻春(いねつき)」と曰ふ【「古萬呂」は螽〔(しゆう)〕類の和訓の總名。】其の翅の下、淡(うす)紫色有り。

 

[やぶちゃん注:有翅昆虫亜綱直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目バッタ下目バッタ上科バッタ科ショウリョウバッタ亜科 Acridini 族ショウリョウバッタ属ショウリョウバッタ Acrida cinerea

バッタ下目 Acrididea・バッタ上科 Acridoidea のタクソンの学名で既に使用される属名「アクリダ」は荒俣宏氏によれば、ギリシャ語でバッタ・イナゴ・コオロギの『類を指す akris に由来』するとあり(荒俣宏「世界大博物図鑑 1 蟲類」の「バッタ」)、これはまさに良安が「古萬呂(こまろ)」は螽(しゅう)類(この「螽」は中国では第一義としては「蝗(いなご)」(但し、これは狭義のイナゴ類を指すのを一般とするも、これ自体がバッタ類の総称とする説もある)、第二義で「螽斯(きりぎりす)」を指す)の「和訓の總名」とするのと偶然にも一致すること、それよりなにより、実は本種が属するショウリョウバッタ属 Acrida 自体が現代の生物学上でもバッタ科 Acrididae のタイプ属である点など、博物学的認識に於けるバッタ類の汎世界性が窺われて面白いではないかウィキの「ショウリョウバッタによれば、和名を(丸括弧内の補説は私のオリジナル)、

「ショウリョウバッタ(精霊蝗虫)」(「蝗」の字が当てられている点に着目されたい)

「ショウジョウバッタ」(名の由来は後述。但し、私はそれとは別な認識を持っている

「キチキチバッタ」(限定的には鳴かないことから)

「コメツキバッタ」(主に

「ハタオリバッタ」(主に以上の二者をウィキがと限定するのは、以下に示すように本種が強い性的二型を示し、有意にが大きく、その運動性能が目立つ(機織(はたお)り・米搗きの動作との疑似性)は、よりに相応しいからであろう)

とする。『日本に分布するバッタの中では最大種で、斜め上に尖った頭部が特徴である』。『オスの成虫は体長』五センチメートル』『前後で細身だが』、の成虫は体長が八~九センチメートルにも及び、『全長(触角の先端から伸ばした後脚の先端まで)は』実に十四~十八センチメートルほどにも達して、よりも『体つきががっしりしている』。は『日本に分布するバッタでは最大で』、性的二型を呈すること、即ち、の『大きさが極端に違うのも特徴である』。『頭部が円錐形で斜め上に尖り、その尖った先端に細い紡錘形の触角が』二『本つく。他のバッタに比べると』、『前後に細長いスマートな体型をしている。体色は周囲の環境に擬態した緑色が多いが、茶褐色の個体も見られる。また』、の『成虫には目立った模様がないが』、の『成虫は体側を貫くように黒白の縦帯模様が入ることが多い』『幼虫は成虫とよく似るが、幼虫には翅がない』(バッタ類は不完全変態の代表例である)。『ユーラシア大陸の熱帯から温帯に分布し、日本でも全国で見られる。ただし北海道に分布するようになったのは』二十『世紀後半頃からと考えられている』。『成虫が発生するのは梅雨明け頃から晩秋にかけてで、おもに背の低いイネ科植物が生えた明るい草原に生息する。都市部の公園や芝生、河川敷などにも適応し、日本のバッタ類の中でも比較的よく見られる種類である。食性は植物食で、主に』イネ科植物(単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae)の葉を食べる(単子葉植物綱ツユクサ目ミズアオイ科ホテイアオイ属ホテイアオイ Eichhornia crassipes)も摂餌する)。棲息地に踏み入ると、の『成虫が「キチキチキチッ」と鳴きながら飛行する。これは飛行する際に前後の翅を打ち合わせて発音することによる』。は大きな割りには『殆ど飛ばないが、昼間の高温時に希に飛翔することもある。幼虫は飛行せず、後脚でピョンピョンと跳躍して逃げる』。羽化後、『間もない若い成虫は灯火に来ることもある』。『成虫は秋に産卵すると死んでしまい、卵で越冬する。卵は翌年』五~六月『頃に孵化し、幼虫はイネ科植物の葉や双子葉植物の花を食べて急速に成長』、六『月中旬から』七『月の梅雨明けにかけて羽化し』、十一月頃まで棲息を続けている。

 以下、「名前の由来」の項。俗説で、八月の『旧盆(精霊祭)の時季になると姿を見せ、精霊流しの精霊船に似ることから、この名がついたと言われる(同様の命名にショウリョウトンボ』(概ね、蜻蛉(トンボ)目 Epiprocta 亜目 Anisoptera 下目トンボ上科トンボ科ハネビロトンボ亜科ハネビロトンボ族ウスバキトンボ属ウスバキトンボ Pantala flavescens を指すことが多く、本種の異名ともされる)がいる)。また、性差が非常に激しいため、『別の名前が付くくらい違って見える』『「天と地ほども違う」という意味の「霄壤」』(しょうじょう:「霄」は「天・空」(訓で「そら」とも読む)、「壤」は「地」の意味で、これで比較にならないほどに違い過ぎることを指す。「雲泥の差」の雲泥(うんでい)と同義)『から、ショウジョウバッタ(霄壤バッタ)と呼ばれる』(私はこの説にやや違和感を覚える。まず、恐らくは「しょうじょう」は「精霊(しょうりょう)」の音転訛とも考えられること、しかし、寧ろ、私は、これは「猩々」であって、しばしば見られる茶褐色個体に依る命名のように感じられるのである)。は『飛ぶときに「チキチキチ……」と音を出すことから「チキチキバッタ」とも呼ばれる。特に』『は捕らえやすく、後脚を揃えて持った際』、『身体を縦に振る動作をすることから「コメツキバッタ」(米搗バッタ)もしくは「ハタオリバッタ」(機織バッタ)という別名もある』。『「精霊飛蝗」とも表記される』が、本来、「飛蝗」とは、相(そう)変異して攻撃的で、体色や形態さえも変化した『群生相となったサバクトビバッタ』(バッタ科 Schistocerca 属サバクトビバッタ Schistocerca gregaria)やトノサマバッタ(バッタ科トノサマバッタ属トノサマバッタ Locusta migratoria)を『指し、このバッタに似つかわしくない名前である。日本でいうところのバッタは「蝗」一文字である(中国語では蝗蟲)。日本では一般に「蝗」はイナゴ(稲蝗)を意味するが』、『イナゴとバッタを区別しない地域もあり』、『統一的ではない』。「精霊飛蝗」も『単に「盆になると出現するよく飛ぶバッタ」として作られた当て字の可能性もあり』、それを以って和名として』不適切であるとは云い難いと言える。なお、漢名で「長頭蝗」と書けば、『ショウリョウバッタ属 Acrida を指す』。なお、荒俣宏氏は前掲書で「精霊」の別説として『精霊祭で使う竹灯の形に似ているいるからともいう』とある。また、台湾では広く『バッタは死んだ人の化した姿だといい伝えられ』ており、『誰かが死んだ家のまわりにこの虫がいると』、『死んだ人が家恋しさに戻ってきたのだと言い』、『殺すことを忌む』(出典は国分直一「台湾の民俗」)と記しておられる。。私はここで荒俣氏の言っておられるショウリョウバッタに似た「竹灯」というものを想起出来ないでいるが、寧ろ、私はお盆にある種の地方で用いられる「がらがら」「御膳」と呼ばれる器具と似ているように感じている。個人ブログ「かまがや散歩」の千葉県白井市平塚で目にしたもので画像が見られる。

 『ショウリョウバッタと同様に頭が前方に尖るバッタにはオンブバッタ』(バッタ下目 Pyrgomorphoidea 上科オンブバッタ科オンブバッタ亜科 Atractomorphini 族オンブバッタ属オンブバッタ Atractomorpha lata:『ショウリョウバッタよりずっと小型で、おもに草丈の高い畑やクズ群落などに』棲息し、『成虫に翅はある』ものの、飛ばない)『とショウリョウバッタモドキ』(バッタ下目バッタ上科バッタ科ヒナバッタ亜科 Gonista 属ショウリョウバッタモドキ Gonista bicolor:『姿や分布・出現時期がショウリョウバッタに似るが、小型であること、頭部が斜め上でなくまっすぐ前に尖ること、背中が褐色であること、後脚が短いこと、草丈の高い湿った草原を好むことなどで区別できる』)『がいるが、生息環境や体の大きさが異なる』(私は、例えば、本種も古くから大きな「ショウリョウバッタ」群の中に認識され、その褐色から前に私が主張したように、これらを「猩々(ショウジョウ)バッタ」として呼称していたのではなかったかと思うのである。幼少期、褐色のショウリョウバッタは特別なもの(或いは強いと誤認)と、私を含めた多くの子ども達が思っていたことを忘れないのである)。『食べることができ、エビに似た味がする。食用に適さない羽や後足を取り除いた上で焼くなどして調理する』ともある。私は残念なことに食したことがない。

 

「蠜螽」「蠜」(音「ハン・ヘン)は蝗類や稲を食害するとされる稲虫の総称。「螽」も同様。

「祢宜〔(ねぎ)〕」後で良安が解説するように神官の禰宜(ねぎ)の立烏帽子(たてえぼし)を冠した姿に比喩した謂い。

「螽斯(はたをり)」狭義には本邦では、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属ニシキリギリス Gampsocleis buergeri(本州西部(近畿・中国)及び四国・九州に分布)とヒガシキリギリス Gampsocleis mikado(青森県から岡山県(淡路島を含む)に分布し、近畿地方ではニシキリギリスを取り巻くように分布)の二種を指す。螽斯を参照。

「螽斯は兩眼の間、狹〔(せば)〕し。之れを以つて、異と爲〔(す)〕るのみ」これは承服し難い不審である。ショウリョウバッタの眼は左右体側に分かれてあり、キリギリスのずんぐりした頭部と接近した眼球とは大きく異なるばかりでなく、頭部は突出して尖っており、体全体の形状もキリギリスとは全く異なるからである。緑色をしたバッタ類に対する、個別形状認識が江戸時代の人間には欠落していたものか?]

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