北越奇談 巻之五 怪談 其六(縛り地蔵・不思議な石)
其六
池(いけ)の端(はたむら)に古き石地藏あり。
村の若(わかき)者ども、是を高くさし上(あげ)て、各(おのおの)その力を試し、終(つゐ)に誤まつて地(ち)に落し、地藏の頭(かしら)半分を打割(うちわ)りたり。村の老姥(ばゞ)ども集まりて是を嘆き、その頭の欠(かけ)たるを合(あは)せつくのへ、堂を建(たて)て祭る。一年(ひととせ)餘りにして、其欠、もとのごとく付(つけ)、今、猶、微(かす)かに痕(あと)あり。
此地藏、㚑驗(れいげん)、甚(はなは)だ著(いちじる)しく、若(もし)、人、有(あり)て、瘧(ぎやく)を病(やむ)時は、細繩五尺を持ちて、地藏の前に到り、繩にて、かの地藏を縛り、祝(しゆく)して曰(いはく)、
「地藏、能(よく)救二人病苦一(ひとのびやうくをすくふ)。願(ねがは)くは、瘧を截(きり)給へ。瘧、落つる時は、可ㇾ獻二供物一(くもつをけんずべし)。若(も)し、瘧、不落(おちざるときは)、則(すなはち)、此繩を不ㇾ解(とかず)。」
と。即(すなはち)、翌日、其瘧、影もなく落(おつ)るなり。
石の地藏、㚑ありて、人の願(ねがひ)を滿(みつ)るか、瘧の小鬼(しようき)、地藏の供物を貪(むさぼら)んとて去(さる)か。訝(いぶか)し。
信川の邊(ほと)り、裏與野村(うらよやむら)、社地の中(うち)に、石一ツ、あり。大サ尺計りならん。甚だ重く、漆黑(しつこく)なり。小児(しように)等(ら)、戯れに其石を以(もつて)堀の中(うち)に投ずれば、翌朝(よくてう)、即(すなはち)、元の所に上がる。幾度(たび)も又、かくのごとし。其堀、泥水(どろみづ)深くして、中々、一人の力にては取揚(とりあげ)がたき所也。最も怪しむべし。
[やぶちゃん注:「池(いけ)の端(はたむら)」複数回既出で既注。崑崙がかつて住んでいた場所で、現在の新潟県新発田市池ノ端(いけのはた)(ここ(グーグル・マップ・データ))。長く不明だったものが、つい二日ほど前、未知の方の御指摘によって明らかとなった。その詳細は「巻之一 鬪龍」に追加注してあるので、必ず参照されたい。なお、現在、同地区内に「池ノ端延命地蔵尊」があるが、これがその地蔵であるかは不明である。リンク先はグーグル・マップ・データの画像附き地図である。
「つくのへ」原典では「く」の右に点らしきものが見え、「ぐ」とも見えるが、一点で、ただの汚れかも知れぬ。「弁償する・罪や過ちの埋め合わせをする」の意の「つぐのふ」(償ふ)は室町頃までは清音ではあった。その場合、「つぐのひ」が正しいが、今までの崑崙の用法では、方言なのか、こうした語尾変化を示す表記が頗る多い。「つぐ」と採って割れた箇所を「接ぐ」の意ともとれぬこともないが、そうすると、後の「のふ」が宙に浮くので無理か。或いは「のふ」を「縫ふ」の音変化とすることも可能かも知れぬが、まず、対象が霊験あらたかな地蔵であるからして、罰当たりなことを「償ふ」で採るのが無難であろう。
「瘧(ぎやく)」数日の間隔を置いて周期的に悪寒や震戦、発熱などの症状を繰り返す熱病。本邦では古くから知られているが、平清盛を始めとして、その重い症例の多くはマラリアによるものと考えてよい。病原体は単細胞生物であるアピコンプレクサ門胞子虫綱コクシジウム目アルベオラータ系のマラリア原虫 Plasmodium sp. で、昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目カ上科カ科ハマダラカ亜科のハマダラカ Anopheles sp. 類が媒介する。ヒトに感染する病原体としては熱帯熱マラリア原虫 Plasmodium
falciparum・三日熱マラリア原虫 Plasmodium vivax・四日熱マラリア原虫 Plasmodium malariae・卵形マラリア原虫 Plasmodium ovaleの四種が知られる。私と同年で優れた社会科教師でもあった畏友永野広務は、二〇〇五年四月、草の根の識字運動の中、インドでマラリアに罹患し、斃れた(私のブログの追悼記事)。マラリアは今も、多くの地上の人々にとって脅威であることを、忘れてはならない。
「繩にて、かの地藏を縛り」祈願のために地蔵等の仏体を縛ったり、悪しきものを封じるために釘を打ったりする俗信は、意外なことに日本各地で見られる。例えば、東京都葛飾区東水元にある天台宗業平山(なりひらさん)南蔵院(山号にある通り、在原業平所縁の寺である)「しばられ地蔵」は著名である。同寺公式サイトのこちらを参照されたい。画像があるが、その縛られようはハンパない。また、河童封じのために背中に釘を打った「河童地蔵尊」が福岡県北九州市若松区修多羅の高塔山公園内に現存する。この由来は私の火野葦平の小説「石と釘」(ブログ・カテゴリ火野葦平「河童曼荼羅」内)及び私の注を参照されたい。
「祝(しゆく)して」言祝(ことほ)ぐ。言葉を述べて幸運を祈る。しかし、これは「祈る」というよりも、実態は地蔵を脅迫している。まあ、脅されても衆生を救う大慈大悲の大願を持って地獄に自ら赴いた地蔵ならでは、とも言えよう。
「石の地藏、㚑ありて、人の願(ねがひ)を滿(みつ)るか、瘧の小鬼(しようき)、地藏の供物を貪(むさぼら)んとて去(さる)か。訝(いぶか)し」崑崙は必ずしも仏教に親和的ではなく(禅宗は智的には好みであるらしくは見える)、彼がその存在を信ずるのは鬼神であるから、暗に後者が妥当と思っている節が私には感じられる。
「信川(しんせん)」信濃川。
「裏與野村(うらよやむら)」野島出版版は本文で『裏興野村』とし、ルビも『うらこうやむら』とする。原典に従ったが、これは野島出版版の誤りではなく、補正であって「裏興野村」が正しい。即ち、これは原典の誤りなのである。この地名は、現在、新潟県三条市興野というのがある。ここ(グーグル・マップ・データ)で、現在のその地区は信濃川の右岸近くにあるから、この附近と見てよいか。同地区内には稲荷神社を認めるが、そこかどうかは不詳。]