北越奇談 卷之五 怪談 其十四(大樹) /北越奇談 卷之五~了
其十四
河内谷(かはちだに)、里の宮社内(しやない)、樫の大老樹(たいぼく)あり。一木、兩俣に分(わか)れ、高さ(たかさ)十余丈【一股(いつこう)朽ちて無し。】。過(すぎ)し年、大風(たいふう)ありて、其一股を折る。内朽(くち)て空(うつぼ)也。故に是を材木の商人(あきびと)に見せて賣(うら)んことを欲す。然(しか)れども、數(す)十百人、是を見て、價(あたひ)を定むること、不ㇾ能(あたはず)。皆、默して去ル。爰に予が隣家の某(それがし)たるもの、其(その)折(おれ)たる一股の枝を買ふ。價、十三金を以つてす。其枝、切口、經(わたり)一丈九尺五寸、空(うつぼ)の所、經九尺、杣(そま)・木挽(こびき)等(ら)、總て十余人、皆、其空穴(くうけつ)に住居(すまゐ)して、以つて數日(すじつ)、是を引分(ひきわく)るに、其よろしき所、六間の大差物(さしもの)數十挺(すじつてう)、其中(ちう)なる所、板巾(いたはゞ)五、六尺にして、數(す)百枚、其(その)下(げ)なる所、大舂(うす)百七十二あり。誠に未曾有(みぞう)の大樹(たいぼく)と云ふべし。
柏崎鵜川(うかは)明神の社(やしろ)の木、又、是に次ぐ。囘(めぐ)り六丈二尺五寸。
高田瀧寺(たきでら)溫泉の上【大同元年開基。毘沙門堂あり。】、大樫樹(おほかしのき)三根(こん)あり、又、これに次ぐ。
只シ、大樹(たいぼく)・古根(ふるね)の跡(あと)、大なるもの、桂ケ関【貝付挾川渡の下。】桂川古根、經六間余。河内谷天狗杉、根の經二間三尺。靑籠(あをかご)の観音【新發田眞野西。】杉の古根、また、これに次ぐ。
北越奇談卷之五終
[やぶちゃん注:「河内谷」既出既注。新潟県五泉市川内。この附近(グーグル・マップ・データ)と私は推定する。
「里の宮」不詳。
「十余丈」三十メートル超。
「一股(いつこう)朽ちて無し」本文とこの割注がダブるのは不審。
「切口、經(わたり)一丈九尺五寸」空洞部を含めた全体の直径が五メートル七十七センチメートル。洞(ほら)の部分の最大直径は「九尺」、二メートル七十三センチメートル弱と、とんでもない太さであるが、まあ、それぐらいないと、中に人が十余人も入って数日間そこで生活し続けて、同時に作業を行うなどということは到底出来まい。しかし、これが一股なのであるから、この樫の大木の総体は驚くべきものであることになる。残念ながら、諸データを見ても、現存はしない模様である。
「六間」十メートル九十一センチメートル弱。
「大差物(さしもの)」通常、「差物」(指物)は、板を差し合わせて作くられた家具や器具を指す語であるが、ここはどうも、最大長で有意な幅を持つ大型の材木(角材)を指しているようである。それが「數十挺(すじつてう)」(本)採れたというのある。
「五、六尺」一メートル五十二センチから一メートル八十二センチメートル弱。中程度でこれだとすると、前の「大差物」は二メートルを有に越える想像絶する幅を持った材木であるということになる。
「大舂(うす)」大臼。通常なら五升餅を搗ける二尺臼であろう。直径六十一センチメートルほどか。
「柏崎鵜川(うかは)明神」野島出版脚注に『鵜川神社。祭神 鵜甘部首。姓氏録云、鵜甘部首武内宿祢男己西男柄宿祢之後也。刈羽郡鵜川荘琵琶島に在り、今所祭八特大神、(中略)社地に周囲三丈余と、二丈余の槻の大樹あり云々(越後野志)』とある。現在の新潟県柏崎市新道(しんどう)にある。ここ(グーグル・マップ・データ)。サイト「にいがた観光ナビ」の「鵜川神社の大ケヤキ」によれば、全国第八位の大きさを誇る欅で、樹齢は約千年と推定され、根周り約十四メートル、目通り(目の高さに相当する部分の木の幹の見かけ上の平均的太さ)約十一・五メートル、樹高約二十メートルで、現在は地上約三メートル付近で大きな四本の枝に分かれている。嘗ては『直立した主幹の上の部分があ』っ『たが、現在は枯れて腐食し、なくなってい』るとある。リンク先に画像がある。
「六丈二尺五寸」十九・四八メートル。現在のそれよりデカ過ぎる。
「高田瀧寺(たきでら)温泉の上【大同元年開基。毘沙門堂あり。】」現在の新潟県上越市滝寺地区の東にある滝寺毘沙門堂のことと思われる。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「桂ケ関【貝付挾川渡の下。】」野島出版版は「貝付」を「目付」とするが誤判読である。これは新潟県村上市貝附附近であろう(ここ(グーグル・マップ・データ))。そこを流れる荒川の東(上流)に「桂の関温泉」という施設名を現認出来るからである。
「河内谷天狗杉」先の河内谷から南西へ五キロ弱の位置の五泉市蛭野にある慈光寺に県指定天然記念物の杉並木があり、こちらによれば、その中の二本立ちのそれは幹周が十・九メートルあり、樹高は四十メートルもあったというから、これは「天狗杉」の名に相応しい気はする(二〇〇五年に二本ともに伐採)。気がするだけで、これに同定しているわけではない。しかし、ここに出る以下の数値より遙かにデカい。
「二間三尺」四メートル五十五センチメートル弱。
「靑籠(あをかご)の観音【新發田眞野西。】」幾つかの地名と語句から推して、現在の新潟県北蒲原郡聖籠町(せいろうまち)諏訪山にある真言宗宝積院のことである。同寺の本尊は十一面観世音菩薩で通称「観音寺」とも呼ばれているようであるぽんぽこ氏のブログ「新潟県北部の史跡巡り」のこちらでは、はっきりと真言宗智山派観音寺宝積院と記されてあるからであり、しかも現在、この寺の東直近には「聖籠観音の湯
ざぶーん」という施設も現認出来るからである。]