老媼茶話 群居解頤曰(嶺南の茄子の大樹)
群居解頤曰
嶺南は、地、暖(あたたか)にして、草菜(さうさい)、冬をへても、おとろへす。かるか故に、蔬圃(ソホ)のうちに、茄子をうゆるもの、ふる根、二、三年のものは、漸々(やうやう)にして枝幹(シカン)を長(ちよう)して、大樹となる。なつ、秋、熟しぬるとき、樹にかけはしして、是を、つむ。三年にして後(のち)、樹も、としよりて、子、まれなり。則(すなはち)、伐去(きりさり)て、別にわかきをうゆる、といへり。
[やぶちゃん注:「群居解頤」(ぐんきょかいい)は宋の高懌(こうえき)撰の随筆。当該項は「嶺南風俗」の冒頭にある一番目の以下の前半。
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嶺南地暖、草萊經冬不衰。故蔬圃之中栽種茄子者、宿根二三年者漸長枝幹、乃成大樹。每夏秋熟時、梯樹摘之、三年後樹老子稀、卽伐去別栽嫩者。又其俗入冬好食餛飩、往往稍暄、食須用扇、至十月旦、率以扇一柄相遺、書中以吃餛飩爲題、故俗云、踏梯摘茄子、把扇吃餛飩。
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「嶺南」既注であるが、再掲しておく。中国南部の「五嶺」(越城嶺・都龐(とほう)嶺(掲陽嶺とも称す)・萌渚(ほうしょ)嶺・騎田嶺・大庾(だいゆ)嶺の五つの山脈)よりも南の地方を指す。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当し、部分的には華南とも重なっている。更に、かつて中国がベトナムの北部一帯を支配して紅河(ソンコイ河)三角州に交趾郡を置くなどしていた時期にはベトナム北部も嶺南に含まれていた。
「かるか故に」「かかるが故に」に同じい。
「蔬圃(ソホ)」野菜畑。
「茄子」ナス目ナス科ナス属ナス Solanum melongena はウィキの「ナス」によれば、『原産地はインドの東部が有力で』、『その後、ビルマを経由して中国へ渡ったと考えられている。中国では茄もしくは茄子の名で広く栽培され、日本でも』千年『以上に渡』って『栽培されている。温帯では一年生植物であるが、熱帯では多年生植物となる』とあるから、古「根、二、三年のもの」というのも納得出来るが、大樹となってその木に足場を組んで実を採取するというのは何ともブッ飛んだ話で、そういえば、この「群居解頤」、平凡社の「中国古典文学大系」では「歴代笑話選」(第五十九巻)に所収されているのも、これまた納得であった。]