北越奇談 巻之五 怪談 其五(すっぽん怪)
其五
[やぶちゃん注:北斎描く鼈(べつ)怪。キャプションは「龜六 泥龜の怪を見て 僧となる」。但し、北斎は爺(じじい)の龜六だけが襲われるのでは面白くないと思ったのであろう、話柄と異なり、女房の婆(ばば)も襲われている。ちと、サービス過剰。右手の取り込んだ灯籠看板には「千客萬來」と「すつぽん」の文字が書かれ、主人の背後の転倒した屏風には大津絵で最も人気のある、私も好きな「鬼の寒念仏」が張られてある。その横は誰かから贈答された揮毫らしいが、縁起物の「鶴龜」を逆に洒落た「龜鶴」だろう。]
新泻に泥龜(どろがめ)を料理家業となす龜(かめ)六と云へる者あり。凡(およそ)諸江河より買集(かひあつ)めて是を切(きる)事、日々、數(す)百なり。龜六、今、已に五十才に到りて、氣力、正に衰ひたるに及び、一夜(いちや)、忽(たちまち)、身、重く、寒(さむき)事、水に入(いり)たるごとく、戰慄して聲を出すこと能(あた)はず。漸(やうや)く手を以つて邊(あた)りを探り見れば、數百の泥龜(すつぽん)、夜着(よぎ)の上に重なり、頸の下(もと)に集まり寄る。驚きて、
「アッ。」
ト叫ぶ。
女房、起上(おきあ)がり、
「何ごとぞ。」
と問(とふ)。
龜六、目を開き、これを見れば、一物(いちもつ)もなし。
それより、夜々(よよ)、如ㇾ此(かくのごとし)。
少し、眠(ねふら)んとすれば、即(すなはち)、泥龜(すつぽん)、身邊(しんへん)に集まり來(きた)る。
爰(こゝ)に其罪を悔(くひ)て僧となりぬ。
[やぶちゃん注:「泥龜(どろがめ)」鼈(すっぽん)。爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポン Pelodiscus sinensis。ウィキの「スッポン」によれば、『古代中国の書『周礼』によれば、周代にはすっぽんを調理する鼈人という官職があり、宮廷で古くからすっぽん料理が食されて』おり、本邦では、『滋賀県に所在する栗津湖底遺跡において縄文時代中期のスッポンが出土しているが、縄文時代にカメ類を含む爬虫類の利用は哺乳類・鳥類に比べて少ない』。『弥生時代にはスッポンの出土事例が増加する』。スッポンは『主に西日本の食文化であったが』、『近世には関東地方へももたらされ、東京都葛飾区青戸の葛西城跡では中世末期から近世初頭の多数の』スッポン『が出土している』とある。なお、越後新潟は食文化では関西・関東両様の影響下にあるが、西廻り海運(北前船)の影響などを考えると、江戸よりも早い時期にスッポン食は入ってきたのではないかと私は推測する(挿絵は北斎画であるが、滋賀の大津絵が張られているのは関西圏を暗示させる)。]
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