老媼茶話 聞奇錄(項から龍)
聞奇錄
もろこしの金州に水陸院といふ寺あり。文淨といふ僧あり。夏の頃雨ふりたるに、雨たれ、落(おち)て、文淨かうなしに、かゝる。其跡、終(つひ)にかさに成(なり)て、年經て、愈(いえ)す。漸々に、はれて、大なる桃のことし。文、五月に及(および)、雨、ふり、大雷(だいらい)なりて、はれたる處、俄(にはか)に穴に成て、甚(はなはだ)いたみ出(いで)たり。人にみせしむるに、その穴のうちに、一物あり。わたかまれる龍のかたち、陰々として動(うごき)、晝夜、甚、いためり。日を經て、また、雨ふり、雷鳴りて、庭中に落たり。黑雲、其室に入(いる)。項(ウナシ)の穴より、もの、あり、脱(ぬけ)いてゝ、雲にのり、そらへ、のほり去る。白龍のかたち、長さ弐丈斗(ばかり)に見へ、是より、文淨かうなし、いたみ、止(やむ)。穴も又、平ふくして痕(アト)なし。
[やぶちゃん注:「聞奇錄」于逖(うてき)撰になる唐代伝奇の一つ。一巻。以上は「太平廣記」の「雷二」に「聞奇錄」を出典として「僧文淨」で載る。
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唐金州水陸院僧文淨、因夏屋漏、滴於腦、遂作小瘡。經年、若一大桃。來歲五月後、因雷雨霆震、穴其贅。文淨睡中不覺、寤後唯贅痛。遣人視之、如刀割、有物隱處、乃蟠龍之狀也。
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「金州」複数ある古い地方名であるが、恐らくは現在の西安の南方近くの、陝西省安康市一帯と思われる。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「雨たれ」「雨だれ」。
「文淨かうなしに」「文淨が項(うなじ)に」。
「かさ」「瘡」。この場合は腫れ物。
「愈(いえ)す」「癒えず」。
「はれて」「脹れて」。
「五月に及(および)」とある年の五月のこと。
「はれたる處」その項の「脹れたる」ところが。
「俄(にはか)に穴に成て」急に陥没して穴が出来て。
「甚(はなはだ)いたみ出(いで)たり」今までに感じたことがない、激しい痛みが感じられた。
「わたかまれる」「蟠(わだかま)れる」。蜷局(とぐろ)を巻いた。
「陰々として」薄暗い中に妖しい感じで。
「弐丈斗(ばかり)」唐代の一丈は三・一一メートルであるから、二丈は六メートル二十二センチに相当する。
「平ふく」「平復」。平癒。]
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