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2017/09/13

柴田宵曲 續妖異博物館 「狐の化け損ね」

 

 狐の化け損ね

 

 狐の化け損つた話で最も愛敬のあるのは、「寓意草」の中の一話であらう。鳥取の士坂川彦左衞門が雉子打ちに出た時、松原の中から現れたのを見ると、下僕の形をしながら顏は狐であつた。今日は御狩でございますか、私も暇でございますからお供を致しませう、といふので、鐡砲を持たせることにした。知人の門に來て、その狐に雉子を見張つて居れと命じ、自分は中に入り、今をかしなやつが來るが實はぬやうに、と注意して置いた。錢砲持ちの狐はやがてやつて來て、鳥はどこにも見えません、と云ふ。家の人も心得て笑はずに茶を出す。私は水をいたゞきたいと云ふので、その通り水を注いだ茶碗を差出したが、その水にうつる顏を一瞥するなり、狐はあわてふためいて逃げ出した。居合せた人はどつと笑ふ。坂川彦左衞門は翌日も雉子打ちに出たところ、草むらの中から彦左衞門の名を呼び、昨日はをかしうございました、と云つて笑ふ者がある。化け損ねの狐にきまつてゐるが、姿は遂に見せなかつた。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここ(左下段)から視認出来る。それを読むと、不審に思った「雉子を見張つて居れ」の箇所が合点した。原話では坂川は『いで奴雉子のありやなしやみをりてのこれ』(いで、奴(やつこ)、雉子(きじ)のありや、なしや、見居りて殘れ)で、「さあ、従者(ずさ)よ、獲物に出来る雉子がいるかいないか、ここに暫く残って探索しおれ。」と命じたのである。]

 

 筑前國福岡の城下を一里餘り離れた岡崎村といふところに、高橋彌左衞といふ馬乘りが住んで居り、夕方から用事で城下まで出かけたが、夜になると間もなく歸つて來た。妻女はいさゝか不審を懷き、どうして早くお歸りなされたかと尋ねると、いや、先方の家の近くまで行つたら、用事は濟んだといふ使ひの者に出逢つたので、直ぐ引返した、と云ふ。何しろ疲れたからと直ぐ臥所に入り、供に連れた下僕も食事を濟まして寢てしまつた。その時年久しく使はれてゐる老婆が妻女の袖を引いて、旦那樣のお眼が違つて居ります、とさゝやいた。高橋は片眼盲(めし)ひて居つたが、それは右眼であるのに、今歸つたのは左眼だといふのである。妻女も驚いたけれど、しかと見極めた上にしたいといふので、婆が急に腹痛を起しました、藥を飮ませて下さい、と云つて起した。こんなに疲れてゐるのに、とぶつぶつ云ひながら目をさましたのを見れば、成程左眼が潰れてゐる、最早妖怪に紛れもないと、雨戸をさし固め、脇差を咽喉に當て、老婆はうしろから續け樣に撲り付け、こんこんくわいくわいと鳴いたところを突き殺した。供に化けた狐は家來どもに殺された。――「新著聞集」にあるこの話は、主人に化けて家族をたぶらかすつもりだつたのであらうが、うつかり眼を取り違へた爲に一命を失つたのである。狐が化けるに當り眼を取り違へた話は、他にも例がないことはない。

[やぶちゃん注:「岡崎村」不詳。

「高橋彌左衞」以下に見る通り、「高橋彌左衞門」の誤り

「こんこんくわいくわい」底本では「くわい」の後半のみに踊り字「〱」があり、これでは「こんこんくわいくわいこんこんくわいくわい」となるが、以下の原典に従い、「くわい」のみを繰り返した。

 以上は「新著聞集」の「第十七 俗談篇」の冒頭に置かれた以下。吉川弘文館随筆大成版を参考に、例の仕儀で加工して示す。

   *

   ○鈍狐害をかふむる

筑前福岡の城下より、一里あまり過て、岡崎村に、馬乘の高橋彌左衞門といふ者あり。用事有て、入相のころより、城下に出ゆきしが、夜に入とひとしく歸りしかば、いかで早く歸りたまふと、妻のとひしに、されば、道今すこしになりて、かの方より、用も足れりとてとめ侍りし。餘りにつかれたるとて、閨に入り、供の僕は物くふて臥りぬ。此家に、年おひたる婆ありけるが、妻の袖をひき、主人、常は右の目、盲たまへるに、只今は、左の目、盲たるこそいぶかしと告げければ、妻おどろき、さらば、少し出し見んとて、姥が俄に腹痛しぬ。藥をあたへられよといひしかば、かく疲れていねたるにとつぶやき、漸くに出しをみれば、左の目盲たり。さては疑もなき妖ものなりしかば、妻かいがいしくも、最早婆も快く侍りしまゝ、いねさせよとて、ねやの戸をしめ、四方のかこみを、嚴しくたてこめ、脇指を、臥たる上より咽にあて、姥は後より、たゝみかけ打ければ、こんこんくわいくわいと鳴し所を、つき殺しける。又家來の老共は、供の狐をたゝき殺しけり。未熟の狐にや。妖け損じけるこそおかしかりし。

   *]

 

「文化祕筆」に出てゐるのだから、時代は大分後である。豐後國岡といふところの或人が、鐡砲を持つて山へ出かけ、狐を一疋打つて歸つた。然るに四五日ばかりして殿樣より使ひがあり、その方去る何日何山に於て狐を打つた由であるが、右の狐は殿樣御祕藏のものである。不屆の次第につき切腹仰せ付けられる、といふことであつた。君命は如何ともしがたい。畏りました、然らば家内の者に暇乞ひを致し、その用意を仕りまするから、暫時御猶豫下されい、と答へ、勝手に行つて母親に委細を話した。母親の云ふのには、狐を一疋殺したぐらゐの事で切腹仰せ付けられるのは、何分合點が往きかねる、一つ御使ひの樣子を見屆けよう、とあつて唐紙の隙から窺つて見た。使ひに來た大目付の何某は右の片眼である筈なのに、左の片眼であるのみならず、左に差すべき大小を右に差してゐる。心を落ち著けて見たらよからうと云はれ、自分も覗いて見ると正にその通りである。これは狐の仕業に相違ないと思つたから、刀を拔いて唐紙を押し開いた。狐は忽ち正體を現し、塀を飛び越して逃げるところを斬り付けたが、遂に取り逃したといふことになつてゐる。

[やぶちゃん注:「豐後國岡といふところの或人」同国直入(なおいり)郡竹田(現在の大分県竹田市)に藩庁をおいた外様藩岡藩の藩士であろう。

「文化祕筆」著者不詳。所持しないので提示出来ない。]

 

 その人の特徴である片眼を捉へて化けながら、左と右とを取り違へるなどは、やはり爭はれぬ獸の智慧で、狐の顏のまゝ鐡砲を持つて供をした鳥取の狐と兄たり難く弟たり難いものであらう。智慧の點では遙かに狐を上𢌞つてゐるつもりの人間にしても、凌雲院の名を騙つて松江侯の玄關に乘り込む芝居の河内山が、高頰の黑子といふ特徴を閑却してゐるやうなもので、由來化けるといふことは、かうした手落ちを伴ひ勝ちのものなのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「凌雲院の名を騙つて松江侯の玄關に乘り込む芝居の河内山」「天保六花撰」と称されたアウトローたちの生き様を描く歌舞伎の世話物の傑作「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」。河竹黙阿弥作で初演は明治一四(一八八一)年。私は歌舞伎が嫌いなので、の梗概をどうぞ。

「高頰」頬の高くなった部分。複数の諸解説を読むと、芝居では河内山宗俊が自分のトレード・マークである黒子を隠し忘れてしまい、凌雲院大僧正に化けて松江出雲守をうまく騙すのであるがが、最後の最後にその黒子でばれるという設定だそうである。]

 

「窓のすさみ」にある話は、延寶頃といふから、今まで擧げた中では一番古い。これは疱瘡の藥を作るために狐の生き肝(ぎも)を取るといふ一條があるので、狐の恨みを買ふ度合も強いわけであるが、その家第一の重臣である中川某が物頭の許(もと)に乘り込んで、一通の書付けを示した。その内容は狐などには關係なく、物頭が靑年時代より壯年に至る間に犯した過失を書き上げたものであつた。物頭は全部見了つて、これは血氣時代の仕損じでござる、只今の事でないからと申して、申し開きの致しやうはござらぬ、と答へるに、然らば切腹候へ、と申し渡された。「文化祕筆」と同じ成行きである。家族にその旨を告げ、家の中は俄かに滅入つてしまつたが、切腹に先立つて沐浴すべき湯を沸かしてゐた下僕が、ひよいと亭の庭を見たところ、塀の上に多くの狐が頭を竝べて覗いて居り、まだかまだかと云ふのに、供の士が手を振つて、まだと答へた。この事を主人にさゝやいたので、そんな事もあらうと思つた、この上は使者を斬り捨て、もし間違つたならば、その時こそ切腹して果てよう、と決心して亭へ出て來たら、早くもその氣を悟つたと見えて、狐は一疋もゐなくなつてしまつた。

[やぶちゃん注:「延寶」一六七三年から一六八一年まで。徳川家綱及び徳川綱吉の治世。

「物頭」「ものがしら」と読む。諸藩に於いては、歩兵である足軽や同心などから編成された槍(長柄(ながえ))組・弓組・鉄砲組などの頭たる「足軽大将」を指し、侍組(騎兵)の頭(侍大将)である番頭(ばんがしら)に次ぐ地位にあった。

「窓のすさみ」以前に述べた通り、所持しないので原典は示せない。]

 

 この話には左右の眼を取り違へるといふやうな破綻はない。重臣に化けた狐は、過去の失策を算へ立てた書付けを持參し、それに對し申開きは出來ないと云つたのだから、八九分通り成功したものと見てよからう。最後の一段に至つて失敗に導いたのは、塀の上に頭を竝べた腹心の狐どもである。同じ話を何遍も例に引くやうだが、最後に革袋に入つてアリ・ババの邸内に運ばれた三十七人の盜賊が、悉くモルギアナのために返り討ちに遭ふのも、袋の中から聲を出して、もう飛び出してもいゝかどうかを尋ねたからであつた。塀の上の狐はそれほどへまを演じたわけではないけれど、とにかく彼等の擧動によつて狐の一黨であることを看破され、主人は切腹すべき刀を以て使者を斬らうとする逆轉作用を見るに至つた。こゝまで破綻なしに詰め寄せながら、最後の一段に至つてやり損ふところに、化けることのむづかしさがあるわけであらう。

[やぶちゃん注:NHK「アリババと40人の盗賊」 アラビアンナイト(語り:戸川京子)の「scene06 三十七このかめ」でシークエンスが判る。盗賊の頭と女奴隷モルギアナを勘違いし、隠れていた手下が「おかしら、もうじかんですかい」と声を発してしまい、ばれるのある。]

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