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2017/10/10

柴田宵曲 續妖異博物館 「獺」

 

 

 

 雨の頻りに降る夕暮れ、丁初といふ男が堤の道を步いて來ると、靑い着物で靑い傘をさした婦人がうしろから呼び止めた。この雨の降る中を女が平氣で步くのは怪しい、人間ではないかも知れぬと思つたので、足を早めたところ、女の迫つて來る速度も早くなる。一散走りに駈け出して振り向いたら、女は堤の上からどぶんと水に飛び込んでしまつた。正體は大きな獺(かはうそ)で、著物や傘と見えたのは蓮の葉であつたと「搜神記」にある。「甄異志」に出て來る一女子も、衣裳はそれほど綺麗ではなかつたが、容貌は美しかつた。手の指が甚だ短いのを見て、妖であるかと疑つた時、その者早くも察知して戸を飛び出し、獺となつて水中に沒し去つた。

[やぶちゃん注:「獺」哺乳綱食肉(ネコ)目イタチ科カワウソ亜科 Lutrinae のカワウソ類。以上は中国のそれであるから、カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ Lutra lutra。後続は本邦のそれであるから、絶滅したカワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon となる。「搜神記」のそれは第十八巻の以下。

   *

呉郡無錫有上湖大陂、陂吏丁初天、每大雨、輒循隄防。春盛雨、初出行塘、日暮囘顧、有一婦人、上下靑衣、戴靑傘、追後呼、「初掾待我。」。初時悵然、意欲留俟之。復疑本不見此、今忽有婦人、冒陰雨行、恐必鬼物。初便疾走。顧視婦人、追之亦急。初因急行、走之轉遠、顧視婦人、乃自投陂中、氾然作聲、衣蓋飛散。視之、是大蒼獺、衣傘皆荷葉也。此獺化爲人形、數媚年少者也。

   *

これを見ると、「丁初」は酔狂で雨の堤を歩いていたのではなく、堤の決壊などを監視するための下級官吏であったことが判る。

「甄異志」「しんいし」と読んでおくが、不詳。以上は「太平廣記」の「水族五 水族為人」に「甄異志」を出典ととして「楊醜奴」として載る。

   *

河南楊醜奴常詣章安湖拔蒲、將暝、見一女子、衣裳不甚鮮潔、而容貌美。乘船載蓴。前就醜奴。家湖側、逼暮不得返。便便字原空闕。據明鈔本補。停舟寄住。借食器以食。盤中有乾魚生菜。食畢、因戲笑、醜奴歌嘲之、女答曰、「家在西湖側、日暮陽光。託蔭遇良主、不覺寬中懷。」。俄滅火共寢、覺有臊氣、又手指甚短、乃疑是魅。此物知人意、遽出戸、變爲獺、徑走入水。

   *]

 

 獺の化して女になる話は日本にもある。獺の行動は河童と紛らはしい點もあるが、嬋娟(せんけん)たる美女に化する一事は、到底河童のよくするところではあるまい。綠の荷葉をかづき、水中に姿を沒するあたりは、慥かに兩者共通のものである。

[やぶちゃん注:「嬋娟」「嬋妍」とも書く。容姿の艶(あで)やかで美しいさま。]

 

「裏見寒話」などを見ると、笛吹川の獺も人を取る。或人が川を渡つた時、忽ち波が起つて獺が追つて來た。岸の上に逃げてもまだ追つて來るので、鐡砲で打ち留めたが、その大きさは犢(こうし)ほどあつたといふ。獺にしては少し大き過ぎるやうである。倂し同じ書物に獺は人を取るものでない、人を取るのは川太郎卽ち河童であるなどとあつて、兩者の境界が頗る明瞭でない。

[やぶちゃん注:以上は国立国会図書館デジタルコレクションのここの画像で視認出来る(左端)。]

 

 獺の妖をなす苗は「太平廣記」だけでも相當あるが、割合に變化に乏しく、列擧する興味がない。「子不語」の「獺異」の中にある、案上に酒肴を備へて置いて、獺の飮食に任せたところ、遂に醉つ拂つて足許が危くなり、地にころぶこと三囘、怪遂に絶ゆなどといふ話は、格別面白いこともないけれど、先づ變つた方に屬するであらう。

[やぶちゃん注:以上のまさに獺祭の失敗譚は「續子不語」の第七巻の「獺異」の中の以下の一条。

   *

今年二月初二日、郷塾師沈昭遠來説獺祟、衣上遺毛可數、向予告急、欲辭館去、勸之誦「穢跡咒」、又猝不能成誦、但偶憶「本草」、有「熊食鹽而死、獺飮酒而斃」之語、舊聞丁未進士徐景芳嘗用以除館中獺妖、令沈姑試之。是晚、置雙鯽樽酒於案上、二更獺至、沈已迷不能聲、但見獺超案飮酒、樽欹、就案餂遺酒有聲、食魚亦盡。既跳下、欲登沈牀、則前足甫起、而後足不隨、墮地者三、蓋獺醉矣。逃去、今遂絶。

   *

「案上」机の上、或いは、神や上位者に物を捧げる際に用いた高台。]

 

 妖から一步離れる觀はあるが、均州の百姓で七十以上になつて、獺を十何頭も飼つてゐる男があつた。彼はこの獺を訓練し、これに魚を捕らせて生活してゐる。隔日にこの獺を放すのであるが、放す時には深い溝の出入り口を閉ぢ、逃げられぬ用心をする。日本の鵜飼ひと同じ事で、針も綸(いと)も網も用ゐずに利益を擧げてゐるのである。獺どもはこの老人に馴れて、彼が手を敲くとその膝許に集まつて來る。獺よりも老人の方が妖に近い感じがするが、これは實際にその状況を見た人の話として「酉陽雜俎」に出てゐる。

[やぶちゃん注:以上は「酉陽雜俎」の「巻五 詭習」に載る以下。

   *

元和末、均州鄖郷縣有百姓、年七十、養獺十餘頭。捕魚爲業、隔日一放。將放時、先閉於深溝斗門内令饑、然後放之、無綱舌之勞、而獲利相若。老人抵掌呼之、群獺皆至、緣袷藉膝、馴若守狗。部郎中李福親觀之。

   *

原文の「元和」は、ここでは唐の憲宗李純時代の元号。八〇六年か八二〇年。「均州勛郷縣」は現在の湖北省十堰(じゅうえん)市鄖(うん)陽区。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

 これと好個の對照をなすのが「夜譚隨錄」の「獺賄」で、涼州では獺が多いため、一頭百錢ぐらゐで賣買される。勿論肉を食ふためである。折蘭なる者は偉大な髓軀の持ち主で、食事は人の何人前も平らげるが、特に獺の肉を喜んで食べた。雍正年間、軍に從つて出征した時、山道で偶然十數頭の獺に出くはした。彼等は皆後足で人のやうに立ち、背を連ねて趨る。折が馬を下つて追駈けると、獺はひらりと身をひるがへし、折の前に跪いて泣き聲を出し、饒命饒命と云つた。命をお助け下さいといふのである。折は同行四人と共にこれを聞き、大いに驚いて遂につかまへることをやめた。その夜折等が野營してゐる幕の外に、何者か來た音がしたので出て見たら、多くの獺が各々草の葉につゝんだ棗(なつめ)の實を捧げ、折の足許に置いて去つた。全部で二斗餘りあつたさうである。かうなると、獺に魅せられるどころの話ではない。獺の上前をはねるわけだから、彼等から見れば折蘭は妖以上に恐るべき存在であつたらう。河童のお禮とか贈り物とか云へば、先づ魚類と相場がきまつてゐるやうだが、ここで獺が棗を齎(もたら)すのはいさゝか意外であつた。舞臺が山中で魚を捕る便宜がなかつたのかも知れぬ。昔の人といふうちにも殊に武人は單純である。折蘭はこの事あつて以來、獺を食ふことをしなかつた。時に人から勸められても、わしは獺から賄ひを受けた、同類を食ふわけに往かぬ、と云つて斷るのを常とした。意外なほど義理堅かつたものと見える。

[やぶちゃん注:以上は「夜譚隨錄」の巻二に「獺賄」として載る。

   *

涼州多獺、吐魯番醃而貨之、百錢一頭。味似南方果子狸、而肥大過之。武生折蘭者、膚施人。虯髯偉質、食兼數人、而尤喜啖獺。雍正間、從軍出塞、徑山丹道上、見獺十數頭、皆人立、連臂而趨。折下馬逐之、獺翻身返面、向折長跪、聲啾啾可辨、同聲曰、「饒命、饒命。」。折與同行四人共聞之、大以爲異、遂舍去。是夜、露宿於野、聞帳外有簌簌聲、出視、見群獺各挾草葉、裹沙棗、置榻畔而去、收之得二斗餘。折詈不複食獺。後有人勸之、折曰、「吾曾受獺賄、可複食同類乎。」。

   *

「涼州」現在の甘粛省の寧夏回族自治区一帯にかつて設置された州(現在では甘粛省全体の別称となっている)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「饒命饒命」「ぜうめいぜうめい(じょうめいじょうめい)」。「饒命」は「有り余るほどの豊かな命(を!)」の意であるが、恐らくは、獺の鳴き声に当漢字したオノマトペイアであろう。

「棗」クロウメモドキ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba

「二斗」「夜譚隨錄」は清の和邦額(一七三六年~?)の小説集であるから、当時の一斗は一〇リットル強であるから、凡そ三十一リットル。]

 

 その後「慶長見聞集」を讀んだら、「其上かはうそは老て河童と成て人を取ると古記にも見えたり」とあるのが目に付いた。河童の歷史はあまり古くないらしいが、こゝに古記といふのは何であらうか。河童と獺との類似性を考へる場合、獺が老いて河童になるといふ記載は、一應參照する必要がありさうである。

[やぶちゃん注:「慶長見聞集」(けいちょうけんもんしゅう)は近世初期の随筆書。単に「見聞集」とも称する。全十巻。著者は後北条氏の遺臣三浦五郎左衛門茂正(浄心)で、慶長一九(一六一四)年)の成立とされるが、後人の仮託とする説もあり、寛永期(一六二四年~一六四四年)の内容も含まれていることから、確証は得られない。徳川家康入国から草創期にかけての江戸の町の形成と、住民の生活・人情、世相と風俗などが多く記載されている(小学館「日本大百科全書」に拠る)。私は所持しないので示せないが、国立国会図書館デジタルコレクション早稲田大学古典籍総合データベースにあるので(リンク先は当該書トップ)、お探しあれ。私は、疲れた。]

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