老媼茶話巻之三 會津諏訪の朱の盤
會津諏訪(すは)の朱(しゆ)の盤(ばん)
奧州會津諏訪の宮(みや)、「首(しゆ)の盤(ばん)」といふ、おそろしき化物、有ける。
或夕暮、年の頃、廿五、六成る(なる)若侍、壱人、諏訪の前を通りけるに、常々、化物有(ある)よし聞及(ききおよ)び、心すごく思ひける折(をり)、又、廿六、七成る若侍、來(きた)る。『能(よき)つれ』と思ひ、ともないて、道すがら、語りけるは、
「此處には朱の盤とて、隱れなき化物有る由。其方も聞及び給ふか。」
と尋ぬれば、跡より來ル若侍、
「其化物は加樣(かやう)のものか。」
と俄(にはか)に、おもて、替り、眼(まなこ)は皿の如くにて、額に角壱ツ付(つき)、顏は朱(しゆ)のごとく、頭の髮は針のごとく、口、耳の脇迄きれ、齒たゝきをしける音、いかづちのごとく、侍、是を見て、氣を失ひ、半時(はんとき)斗(ばかり)息絶(たえ)けるが、暫(しばし)有(あり)て、氣付(きづき)てあたりをみれば、諏訪の前也。
夫(それ)より漸(やうやう)步みて、ある家に入(いり)、水を一口、所望しければ、女房、立出(たちいで)、
「何にて、水を乞(こひ)玉ふぞ。」
と聞(きき)ければ、侍、朱の盤に逢(あひ)たる物語をしければ、女房、聞(きき)て、
「扨々(さてさて)、おそろしき事に逢ひ給ふもの哉(かな)。朱の盤とは、かやうのものか。」
といふをみれば、又、右のごとく成る顏となりて見せければ、かれ、又、氣を失ひけるが、漸(やうやう)氣付(きづき)、其後(そののち)、百日めに相果(あひはて)けるとなり。
[やぶちゃん注:三坂が前話「下長姥」末尾で誤ったのはこちらで、本書に先行すること六十五年前の「諸國百物語」(延宝五(一六七七)年四月刊。前話冒頭注参照)の「諸國百物語卷之一 十九 會津須波の宮首番と云ふばけ物の事」をほぼ完全に引いたもの。表記字の相違を除けば、形容など細部まで一致する。有意に相違する箇所は最後で、本篇では主人公が怪異に遇って三日で頓死しているのに対し、本話では「百日め」とする点のみであると言ってよかろう。言わずもがな乍ら、この「脅し」のコンセプトは小泉八雲の「怪談」の「むじな」(現在、八雲は明治二七(一八九四)年刊の御山苔松談・町田宗七編「百物語」の「第三十三席」を元としたと考えられている)の展開と酷似している(原話では化かしたのは獺(かわうそ)であることや、本篇は結末で主人公が死ぬというネガティヴさで大いに異なる)。この手の反復して脅かされる妖怪譚は他の「一つ目小僧」などにも多く見られるパターンであるが、このルーツは恐らく、晋の干宝の怪異譚集「搜神記」の「卷十六」に載る「琵琶鬼」辺りまで遡れる。リンク先の私の注で「琵琶鬼」を引いておいたので参照されたい。前話の脇役妖怪が主役となる変わった連関で書かれてある。なお、私の『柴田宵曲 妖異博物館 「再度の怪」』も参照されたい。そこでは八雲が素材とした上記の話も電子化してある。
「首の番」後で「朱盤」と書き換えている。様態から判る通り、「盤」が「器のように丸いもの」の謂いで、「頭の形」や「皿のような眼」の謂いと思われ、そうすると、真っ赤な円盤状の顏ということになし、口と耳は描写されてあるものの、二つの眼と言っていないことから、眼は一つか、或いは、全くないのかもしれない。前者なら、一つ目小僧の「口裂け女」真っ赤版とも言えよう。なお、前の「舌長姥」の「諏訪の朱(しゆ)の盤坊(ばんばう)」の注も参照されたい。
「會津須波(あいづすは)の宮(みや)」現在の福島県会津若松市本町にある会津大鎮守六社の一つである諏方(すわ)神社であろう。鶴ヶ城の西北一キロ弱の位置にあり、創建は永仁二(一二九四)年、祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「ともないて」ママ。「伴ひて」。
「齒たゝきをしけるをとは」「齒叩きをしける音は」。上下の歯を嚙み鳴らす、その音は。
「半時(はんとき)」現在の一時間相当。なお、「諸國百物語」では「はんじ」と読んでいる。]