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2017/10/10

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 羽蟲


Hamusi

   羽蟲

 

 窓を明けひろげた大きな部屋に、二十人ほどの人々と一緒にゐる夢を見た。

 婦人も子供も老人も雜つてゐる。私達はみな、何か大層有名なことを話題にして、がやがやと聞分けられぬ聲で喋つてゐる。

 すると不意に、がさりと音がして、長さの三寸もあらうと見える大きな羽蟲が、窓から飛び込んだ、羽根を擴げて一旋すると、壁にとまつた。

 それは蠅か地蜂に似てゐる。胴は泥色で、平たく硬さうな羽根も同じ色だ。頭はまるで蜻蛉のやうに角ばつて大きく、毛の生えた足を踏み開いてゐる。その頭も足も、血にまみれたやうに紅い。

 このふしぎな羽蟲は、頭を絶えず左右上下に𢌞轉して、足をうごかす。急に壁を離れるかと思ふと、部屋ぢゆうをぶんぶん飛び𢌞る。やがてまた壁にとまるとその儘じつとして、身體ぢゆうを憎々しげにうごめかす。

 私たちは皆一樣に、嫌惡と恐怖にとつつかれた。いや、むしろ凄氣をさヘ感じてゐた。そんな羽蟲は見たこともないので、みんな口々に叫んだ、「あの化物を追ひだせ。」 しかし誰一人、傍へ寄る勇氣はなく、ただ遠くの方からハンカチを振るばかりだつた。羽蟲がまた飛び立つと、一同は思はず後ずさりした。

 一座のうちで唯一人、蒼ざめた顏の靑年だけが、いかにも腑に落ちぬ面持で一同を眺めまはしてゐた。いつたい何が持ちあがつたのか、なぜ皆が騒ぐのか全くわからぬので、肩をすくめ薄笑ひを浮べた。彼の眼にはその羽蟲は見えず、不吉な羽根の唸りも聞えないのだ。

 ふと羽蟲は、じつと彼に眼をつけたと見る間に、いきなりその頭めがけて飛びかかつて、額のちやうど眼の上のあたりを一螫しした。靑年は微かな呻き聲を立てて、そのまま倒れて死んでしまつた。

 怖しい蠅はすぐ飛び去つた。その時になつてやつと、私たちはこのお客さんの正體に思ひあたつた。

             一八七八年五月

 

[やぶちゃん注:これは所謂、旧約聖書「列王紀」や新約聖書でイエスを批判する者たちが口にするところの悪魔 Beelzebub(ベルゼブブ)、ヘブライ語で「蠅の王」であろう。死を齎される者には実は死の使者は見えぬということか。挿絵は一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」では、中山に配されたそれが、有意な角度を以って斜めにして配されてあり、確かにその方が効果的と判断したので、中山訳で用いたものをその角度に傾けて添えた

「凄氣」(せいき)は、すさまじい気配、の意。

「一螫し」「ひとさし」。]

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