トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) わたしの樹
わたしの樹
大學時代の友達から、領地に遊びに來いと言つて來た。この男は貴族で、また富裕な地主でもあつた。
その彼が久しい前からの病氣で、盲らになつた上、中風で步行もできないことは、私も承知してゐた。私は會ひに行つた。
行つて見ると彼は、廣大な庭の中の並木路にゐた。夏の盛りなのに毛皮の外套を着こみ、瘦せこけた身體を手押車に乘せて、立派な仕著せを着た二尺の從僕に押させてゐた。
「ようこそ來て下さつた」と、彼は墓の底から吹いてくるやうな聲で言つた、
「わたしの先祖代々の土地に、わたしの千年の樹の下に。」
彼の頭の上には、本當に千年もたつたかと見える檞の大樹が、うつさうと枝をひろげてゐる。
私は心のなかでつぶやいた、「聞いたか、千古の巨人。死にかけた蛆蟲が、お前の根元を這ひ𢌞つて、お前を自分の樹と呼ぶのを。」
そのとき風が渡つて、大樹の葉並がさらさらと鳴るつた。その音はなんとなく、檞の老樹が私の考や病人の自讃にこたへた穩やかな返事、あるひは寛大な笑聲のやうな氣がした。
一八八一一年十一月
[やぶちゃん注:本詩篇を以って底本の「散文詩」本文は終わっている。
「檞」本字は通常「かしわ」と訓読し、「柏」と同義で用いる。その場合、本邦産の双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属カシワQuercus
dentata、英名Daimyo Oakを指す。原文は“дуб”(ドゥープ)で、これは英語のオーク“ork”、樫(かし)や楢(なら)の類を広く言う語である。以下、興味深い記述が現われるので以下にウィキの「オーク」の一部を引用する。『オーク(英:Oak)はブナ科コナラ属 (学名:Quercus)の総称。模式種のヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク、イングリッシュオーク、コモンオーク Common Oak、学名:Quercus
robur)が代表的。なお』、『アカガシ亜属 Quercus (Cyclobalanopsis)は別属とすることがあるが、オークには含まれる』。『広葉樹で、その多くが落葉樹だが、常緑樹もあり、あわせて数百種以上ある。日本語では落葉樹の種群はナラ(楢)、常緑樹の種群はカシ(樫)と呼ばれる。亜熱帯から亜寒帯まで、北半球に広く分布する。西欧でいうオークには日本ならナラとなる落葉樹が多いが、そのようなものでも』、『しばしば翻訳家が日本語訳で「樫」の訳語を一律に当てていることがあるので、注意を要する。常緑のオークはライヴオーク(live oak)と呼ばれる』とある。実は、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版の当該詩「わたしの木(こ)だち」では、まさに『かしの木』と訳されてある。ちなみに、ロシア語口語ではこれは「でくのぼう・とんま・まぬけ」の意味でも用いられるのは、偶然か。
最後に、中山版でにはないが、一九五八年岩波文庫「散文詩」版にある、本文の終りの後に配された挿絵を附しておいた。ロシア語で「КОНЕЦ」(カニェーツ:「終り」の意)の文字が見てとれる。]
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