トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) しきゐ
しきゐ
――夢
大きな家が見える。
正面の壁には、狹い扉口(とぐち)が開け放しになつてゐて、中には陰氣な霧が立ち罩めてゐる。高い敷居の前に、一人の娘が佇んでゐる。ロシヤ娘だ。
扉の内の、見透しもつかない霧は、しんしんとして冷氣を送る、氷のやうなその流れにまじつて、陰に籠つた聲が、奧の方から、悠然とひびいてくる。
「おお、お前はその敷居を越えようと言ふのか。その中に何が待つてゐるかを、お前は知つてゐるか。」
「知つてをります」と娘が答へる。
「寒さ、飢ゑ、慌しみ、嘲り、蔑すみ、汚辱、牢獄、病苦、そして死だぞ。」
「知つて居ります。」
「人からも世間からも離れて、たつた一人になるぞ。」
「それも、覺悟して居(を)ります。どんな苦しみ、どんな打擲も忍びます。」
「それも敵からばかりでは無いぞ。肉親の征矢(そや)、友の飛礫(つぶて)。」
「それも承知してをります。」
「よし。お前は犧牲なる覺悟だな。」
「はい。」
「名もない犧牲にか。お前は死ぬのだぞ。そして、假に崇めようにも何者の記念か、誰一人知る者はないのだぞ。」
「感謝も同情も、欲しくはありません。私には名前も要りません。」
「罪も犯す覺悟か。」
娘はうなだれた――「罪も覺悟してをります。」
問ふ聲はしばらくとだえた。
「承知してゐるか」と、やがてその聲がたづれた、「いまに、お前の今の信念に、幻滅の苦(にが)さが來るかも知れぬぞ。あれは迷ひだつた、徒らに己れの靑春を滅したと、悔むことになるかも知れぬぞ。」
「それも知つてをります。でも矢張(やつぱ)り、私ははいりたいのです。」
「はいれ」
娘は敷居をふみ超えた。すると重たげな幕(とばり)が、その後に下りた。
「阿房め」と、誰やらが後(うしろ)で齒切りをした。
「聖女だ」と、何處かでそれに答へる聲がした。
一八七八年五月
[やぶちゃん注:訳者註。
『しきゐ』 『この一篇のモチーフとしては、直接には所謂『ヴェーラ・ザスーリチ事件』(彼女は一八五一年生れの女革命家で、警視總監トレホフが或る政治犯に笞刑を加へたのを憤つて一八七八年一月彼を射擊負傷せしめ、同三月の陪審裁判の結果無罪となつた――)、間接には七七年に起つた種々の政治犯事件に女性の参加が頗る顕著であつた事實などであらうと推定される。從つてこの一篇が公に發表される迄には長い曲折の歷史がある。一八八二年夏トゥルゲーネフが、『ヨーロツパ報知』の編輯者宛に發送した原稿の中では加はつてゐたのだが、その後校正の際に彼は自發的に撤怪しようとし、スタシュレーヴイチに向つて再三撤囘方を要請した末、發表された五十篇は、これを除き新たに『処生訓』を加へたものであつた。越えて八三年九月、卽ち彼の死の直後に、當時の急進派であつた『民意黨』は、この詩に宣言書を附して祕密出版し、彼の埋葬の日にペテルブルグに撒布した。この詩が漸く合法的に日の目を見たのは一九〇五年のことに屬する。なほこの一篇は久しく一八八一年前半の所作と誤認されてゐたもので、在來の刊本は孰れもこれを末尾『祈り』の眞前に置いてゐる。また逢遇した數奇な運命の間に、これは尠からぬヴアリアントを有するに至つたが、アカデミヤ版の編者の言葉によれば、この譯のテキストとした形が、作者の最後の意志に適ふものと思はれる。
なお、本篇には新改訳版の「しきい――夢」がある。そちらも参照されたい。
「立ち罩めて」「たちこめて」。
「齒切り」「はぎしり」。]


