老媼茶話巻之三 酸川野幽靈
酸川野(すかはの)幽靈
いつの頃にや有りけん。猪苗代御城代何某と云(いふ)人、酸川野河原(すかはのがはら)江なぐさみに出(いで)けるに、畑中に、いかにも年ふりたる燈籠有(あり)。畑打(はたうつ)老人に尋(たづね)ければ、
「いつの世に誰(たれ)か立置(たておき)し燈籠に候やらん、知りたる人もなく候。此燈籠取捨候得(とりすてさふらえ)ば、其人に祟ると申(まうす)ならはし候儘(まま)、畑中に御座候得ば、じやまに成(あり)候得共、無是非(ぜひなく)置(おき)候。爰(ここ)は昔、寺院に候と申傳へ候」と語る。何某、聞(きき)て、
「怨靈の祟りといふは、夫(それ)、人のいゝなしなるべし。何にもせよ苔(コケ)むしたる燈籠にて庭に立(たてて)然るべし。」
とて、下人に持(もた)せ歸り、則(すなはち)、築山(つきやま)の植込(うえこみ)に立置(たておき)たり。
其夜、更(ふけ)て、御城の御門、けはしくたゝき、
「我は堀貫村の彦兵衞と云(いふ)者なり。爰、明けよ。」
と云。
門番、戸扉の透(すき)より見れば、髮を、はらにて、たばね、上につゞれを着、繩帶をしたる、いかにも賤敷(いやしき)土民也。此故(このゆゑ)に門番、門をひらかず。やゝ暫ク有(あり)て、彦兵衞、
「何とて、門をひらかざるぞ。」
とて、門を飛越(とびこえ)、内へ入(いる)。
門番、すかさず、彦兵衞と引組(ひきくみ)、夜明(よあく)るまで捻合(ねぢあひ)て、曉、彦兵衞、行衞なく成(なり)たり。
門番の足輕、氣を失ひ、死入(しにいり)けるを、人、見付(みつけ)、水を吞ませ、氣付(きつけ)をくれ、漸(やうやう)人心地付(つき)たり。
其明(あく)る夜、亦、來り。
いつものごとく、門をたゝき、
「爰、明(あけ)よ、爰、明よ。」
といふ。
別の足輕、番を勤(つとめ)いたりしが、有無(うむ)に答へず。
彦兵衞、腹を立(たて)、門をおどり越(こえ)、御城代何某の伏居(ふしゐ)たる枕に彳(たたずみ)て、大きにいかりたるけしきにて、
「其方、何故に、纔(わづか)、形斗(ばかり)殘りたる我(わが)なきあとの印(しるし)の燈籠を奪取(うばひとり)たる。急ぎ、元の所へ返すべし。返さば、其通り、返さずは、恨(うらみ)をなさん。」
と云。
何某は夢覺(ゆめさめ)、枕元の刀、引拔(ひきぬき)、切付(きりつけ)たるに、彦兵衞は、影なく、消失(きえうせ)けり。
曉、みれば、庭に建(たて)たる件(くだん)の燈籠の笠石に、刀の疵跡、有(あり)。
燈篭を元の所へ返しければ、何の怪敷(あやしき)事もなかりし、となり。
[やぶちゃん注:本話は「柴田宵曲 妖異博物館 斬られた石」に、次の「飯寺村の靑五輪」とともに紹介されている。
「酸川野河原(すかはのがはら)」現在の福島県耶麻郡猪苗代町若宮地区大字酸川野(すかわの)。この中央付近と思われる(グーグル・マップ・データ)。藩政時代の宿場町。
「なぐさみ」気晴らし。
「じやま」「邪魔」。
「いゝなし」ママ。「言ひ做(な)し」。事実とは違うことを事実らしく言うこと。
「堀貫村」不詳。
「はらにて、たばね」「藁にて、束ね」。底本の編者添漢字に拠る。
「つゞれ」「綴れ」。破れた部分を継ぎ接(は)ぎした襤褸(ぼろ)の衣服。
「いかにも賤敷(いやしき)土民也」灯籠とそぐわぬが、或いはこの「彦兵衞」なる者、遠い昔、富裕な農民であった者が没落したものか。
「有無(うむ)に」副詞。全く。
「其通り」我、何事もなさず、平静たらん。
「燈篭」「篭」は底本の用字をそのままとした(「燈」は底本は前も総て「灯」)。底本で、ここまで総て「籠」であったものが、ここのみ「篭」であるからである。]