トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 祈り
祈り
人間の祈りは、所詮奇蹟を祈る心だ。どんな祈りも、一句に歸する。「神よ、二二が四なること勿らしめ給へ。」
この樣な祈りだけこそ、人間が人間にする本當の祈りなのだ。萬有の精神に祈り、至上者に祈り、カントの、ヘーゲルの、純粹にして形なき神に祈ることは、できもせず考へられもしない。
だが現身の、生ける、形ある神にせよ、果して二二が四なること勿らしめ得るだらうか。
いやしくも信者ならば、できると答へる外はなからう。しかも、自らさう信じるの外はなからう。
だが若し彼の理性が、こんな譫言に叛旗を飜したとしら?
そこで、シェークスピヤが助けに來る、――「この世には色んなことがあるものだ、なあホレーショ」云々。
もしもまた、眞理の名に於いて抗議が出たら、例の有名な質問を繰反すがよい、――「眞理とはなんぞや。」
されば飮み且つ歌ひ、さて祈らうではないか。
一八八一年六月
[やぶちゃん注:訳者註。
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「この世には」云々 これは『ハムレット』 の中にある有名な文句。 There
are more things in heaven and earth, Horatio……(Hamlet, , Act I,
Sc. V, 166)
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中山版の本挿絵は左が擦れてしまっているので、今回、新たに一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版の綺麗なものを読み込んで示した。]
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