トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) そのひと
そのひと
あなたのみぶりは優しい。そなたの足おとはかるい。淚も知らねば、笑(え)みせず、そなたは生(いのち)のみちを行く。何を見ようがそしらぬ顏で。つんと澄ました憎らしさ。
そなたの心はさとい。氣だてもなかなか親切だ。さりながら、男なんぞはどこ吹く風と、お高くとまつて見向きもしない。
見れば見るほど、なんとそなたの美しさ。……きれう自慢か、じまんでないか、心の裏は誰にも見せぬ。生れついての薄情もので、他所(よそ)樣の情けなどにはすがりは申さぬ。
行きずりに、投げるひとみは影深けれど、想ひのふかい眼ではない、よく澄んだ底を覗けば空つぽだ。
かくて行く、シャンゼリゼェの大通り。グルックの不粹な樂のしらべにつれて、よろこびもなく悔いもなく、やさしい影が過ぎてゆく。
一八七九年十一月
[やぶちゃん注:これには新改訳があり、前半が大きく改訳されている。そちらの私の注も参照されたい。]
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