トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 私が死んで
私が死んで
私が死んで、この身が灰と四散するとき、私の唯一人の友、いとしい君よ、御身にはなほ生が續かう。けれど、私の塚穴は訪れたまふな、そこは御身になんの關りもない。
私の上を忘れたまふな。とは言へ、日々の營み、その哀樂のさなかには、私を思ひ出でたまふな。私は御身の生の障礙にならうと望まぬ。御身の安らかな生の流れを、搔亂さうとは思はぬ。
もし御身の獨り居に、ふと故しらぬ悲哀が、優しい心のうちに湧いたなら、過ぎし日のわれら愛讀の書を手に取上げて、その日ごろ二人の眼頭に、言はず語らず同じ思ひの淚を染ませた、あの頁あの行、更にあの言葉の行方を探ねたまへ。
讀み、眼(まなこ)閉ぢ、私の方(かた)へ手を伸べたまへ。姿ない御身の友に、手を伸べたまへ。
私の手はもう、御身の手を握る力もなく、ぢつと塚穴に埋れてゐようが、そのとき御身の手のほとりに、流れ寄る微かな風がありはしまいか。それを思ヘば心は樂しい。
そのとき、御身の前に私の形は立ち、淚は御身の閉ぢた瞼を越えよう。その日頃二人して美神の前に流したあの淚が。……私の唯一の友、いとしきに堪へぬ御身よ。
一八七八年十二月
[やぶちゃん注:第二段落の「あの頁」は底本では「あの夏」となっているが、「夏」では意味が挫かれてしまう。原文を見ると、ここはロシア語で「ページ」である。後の中山省三郎訳及び一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳の「散文詩」の当該篇をもとに、誤植と断じ、特異的に訂した。
本詩は、前にリンクさせた中山氏の訳本の「解説」で引いている、一八七九年冬、ツルゲーネフが故郷スパッスコエに戻った際、親交のあった若い女優マリヤ・ガヴリーロヴナ・サーヴィナ(当時六十一歳であったツルゲーネフの恋人であった)一人を書斎に呼んで、ある一つの詩を朗読したというエピソードを想起させる(会話に現われるスタシュレーヴィチСтасюлевич
Михаил Матвеевич(M.M.Stasjulevich)は、「散文詩」の発表を促し、自身が編集していた雑誌“Вестник Европы”(Vestnik
Evropy:『ヨーロッパ報知』)に掲載させた人物である)。
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(前略)『これは散文詩です、私はもうこれをスタシュレーヰッチに送りました、ただ一つ永久に發表したくないものを除いて。』『散文詩つて何ですの?』とサヴィナは好奇心に駆られた。/『私はこれを讀んできかせたい、これはねもう散文なんかではないんですよ、……これはほんたうに詩で(彼女に)というふのです。』興奮した聲で彼はこの物哀しい詩を讀んだ(サヴィナは言つてゐる、『私は覺えてゐます。この詩にはそこはかとない愛情、一生涯の長い愛情をえがいてゐたことを。(あなたは私の花をすつかり摘みとり、あなたは私の墓には來ないでせう)と書いてありました。』)朗読が終わると、ツルゲーネフは暫く默りこんでゐた。『この詩はどうなるのでせう?』とサヴィナはいつた。『私は燒いてしまひませう、……發表するわけには行かない、さういふことをしたら非難されます。』(後略)
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中山氏は、この後に続く解説で、『サヴィナに對していつたやうに、發表すれば非難されるとの心づかひや何かのよつて永遠に消え去つたものもあるであらう。』と述べておられ、この「彼女に」という詩の消失の可能性を語っているようにも見えるのであるが、私はこのサーヴィナに詠んで聞かせた詩とは、この「私が死んで」であったのではないかと思っている。サーヴィナの以上の談話ノートの内容には後略した箇所でサーヴィナの大きな記憶違いが中山氏によって指摘されている(スパッスコエでの朗読エピソードは一八八一年に同定されるが、「散文詩」の原稿がスタシュレーヴィチの手に渡ったのは翌年一八八二年のことであり、サーヴィナがそのことを知るのはツルゲーネフとの談話では有り得ず、やはり解説中に記されている九月二十九日附書簡によってである)。更に中山氏はこのサーヴィナの談話ノートに対して、『「確かな話とはいひ難い」といはれる』という形容を附しておられるのである。そもそもサーヴィナの引用する「あなたは私の花をすつかり摘みとり、あなたは私の墓には來ないでせう」という詩句から「そこはかとない愛情、一生涯の長い愛情」は感じ取れるであろうか? 少なくともこれが、感動的な「そこはかとない愛情、一生涯の長い愛情」の詩を聴いて、その中でも長く印象に残る詩の一節だったとは、どうころんでも言い難いと私は思う。しかしここが「私が死んで、この身が灰と四散するとき、私の唯一人の友、いとしい君よ、御身にはなほ生が續かう。けれど、私の塚穴は訪れたまふな」であったとしたらどうであろう? いや、もしかすると「彼女に」とツルゲーネフが言ったこの表題は、「あなた、サヴィナに捧げる」という意味のツルゲーネフの示唆であったのかも知れぬし、サヴィナの思い込みによる記憶の変形が加えられたのかも知れぬ。いずれにせよ、私はこの幻の消失したと思われている詩「彼女に」こそ、この「私が死んで」であったのだと信じて疑わないのである。なお、本詩については、一九五八年岩波文庫版の神西清・池田健太郎訳「新散文詩」(但し、実は高校生向けに一部表現を恣意的に改竄しているので注意されたい)による訳を私の「アンソロジーの誘惑/奇形学の紋章」に引用しているので、比較されたい。
「私の上」私のこと。
「障礙」(しやうがい(しょうがい)は障碍・障害に同じい。]
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