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2017/10/01

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ作「散文詩」神西清訳 しきい――夢――


Sikii

  しきい

     ――夢――

 

とても大きな建物が見える。

正面の壁には、せまい戸があけはなしになっている。戸口のなかは――陰気な霧だ。たかい敷居(しきい)の前に、娘がひとり立っている。……ロシア娘である。

一寸さきも見えぬその霧は、しんしんと冷気をいぶいている。こおりつくような気流にまじって、建物の奥からは、ゆっくりと、うつろな声がひびいてくる。

「おお、おまえは、その敷居をまたごうというのか、――何がおまえを待ち受けているか、おまえは知っているのか?」

「知っています」と、娘がこたえる。

「寒さ、飢え、憎しみ、あざ笑い、さげすみ、恥かしめ、牢屋、病気、やがては死、いいか?」

「知っています。」

「だれにも会えぬ、まったくの孤独、いいか?」

「知っています。……覚悟のまえです。どんな苦痛、どんな鞭うちも、しのびます。」

「それも、敵からだけではないぞ。――肉身の征矢(そや)、親友のつぶて、いいのか?」

「はい……それも承知です。」

「よし。おまえは犠牲(ぎせい)になる覚悟だな?」

「はい。」

「名もない犠牲にか?――お前が身をほろぼしても、だれひとり……だれひとり、何者の記念をあがめたらいいか、知りはしないのだぞ!……」

「感謝も同情も、ほしくはありません。名前もいりません。」

「犯罪もやる覚悟か?」

娘はうなだれた。……「犯罪も覚悟のまえです。」

声は、ややしばし、つぎの問いにつまった。

「わかっているか?」やがて声はつづけた。「現在のおまえの信念に、幻滅がくるかもしれないぞ? あれは迷いだった、あたら若い命を散らしてしまったと、さとる時がくるかもしれないぞ?」

「それも知っています。でもやっぱり、わたしははいりたいのです。」

「はいれ!」

娘が敷居をまたぐと、――重たい幕が、そのあとにおりた。

「あほう!」だれかがうしろで、歯ぎしりした。

「聖女だ!」どこかで、それに答える声がした。

               .1878

 

[やぶちゃん注:中山省三郎氏による「註」を引く。『この詩は多くの刊本に加へられなかつた。この詩には直接にはヴェーラ・ザスーリッチの訴訟事件、間接には一八七七年に起つたさまざまな政治犯事件に、女性がかなり活潑な役割を演じた事などがモチーフをなしてゐるのである。この詩は作者によつて一八八二年の夏、「ヨーロッパ報知」の編輯者たるスタシュレーヰッチに送られたが、後に作者の再三の要請によつて、省略されたのであつた。然るに、ツルゲーネフの死後いくばくもない一八八三年九月二十五日に急進黨たる「人民の意志」派によつて、宣言書と共に祕密に出版され、翌々二十八日、彼の埋葬の日に撒布された。やがて、ロシヤにおいて合法的に發表されたのは一九〇五年のことであつた』。底本の池田健太郎氏の注を総て引く。長いが、この詩の正しい理解にはどうしても必要不可欠であるからである。『この一編のモチーフとしては、直接にはいわゆる『ヴェーラ・ザスーリチ事件』(彼女は一八五一年生れの女革命家で、警視総監トレホフがある政治犯に笞刑を加えたのを憤って一八七八年一月、彼を射撃負傷せしめ、同三月の陪審裁判の結果、無罪となった――)、間接には七七年に起った種々の政治犯事件に女性の参加がすこぶる顕著であった事実などであろうと推定される。従ってこの一編が公に発表されるまでには長い曲折の歴史がある。一八八二年夏ツルゲーネフが、『ヨーロッパ報知』の編集者あてに発送した原稿の中には加わっていたのだが、そののち校正の際に彼は自発的に撤回しようとし、スタシュレーヴィチに向ってたびたび撤回方を要請した末、発表された五十編は、これを除き新たに『処生訓』を加えたものであった。越えて八三年九月、すなわち彼の死の直後に、当時の急進派であった『民衆の意志党』は、この詩に宣言書を付して秘密出版し、彼の埋葬の日にペテルブルグに撒布した。この詩がようやく合法的に日の目を見たのは一九〇五年である。なおこの一編は久しく一八八一年前半の所作と誤認されていたもので、在来の刊本はいずれもこれをのちの『祈り』の前においている。また上述の数奇な運命をへる間に、これは少なからぬヴァリアントを生じたが、アカデミア版の編者の言葉によれば、この訳のテキストとした形が、作者の最後の意志に適うものと思われる』とある。]

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