トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) めぐりあひ
散文詩拾遺
めぐりあひ
私はこんな夢を見た。暗い空が低く垂れさがつてゐる。私は、大きた角だつた石ころが一面に散らぱつてゐる、ひろびろとした荒野を辿つてゆく。
小徑は石のあひだを紆つてゐる。何をしに、何處へとも知らず、私はその道をたどつてゆく。
ふと私の眼の前の、その細い道のうへに、何かしらうつすらと小さな雲のやうなものがあらはれた。……見つめてゐるうちに、その雲はやがて、身の丈のすらりと高い女になつた。まつ白なきものに淡色の帶を締めてゐる。……その女は急ぎ足で、私から遠ざかつてゆく。薄い紗に蔽はれてゐるのでその顏は見えない。髮の毛さへも見えないけれど。私の心は、ひたすらにその女のあとを追ひ慕つた。私にはその女が、美しい懷しい愛らしい人のやうに思はれた。……
どうしても追附いて、ひと目なりとその顏をうち眺め、その眸(め)に見入りたいと思つた。ひと目でもその眼が見たかつた。いや、見なければならないと思つた。
ところか、私が急げば急ぐほど、女の方もますます足を早めるので、どうしても追附けないのである。
するとそのとき、小徑に筋かひに、平たい大きな石があらはれた。女は行手をふさがれて、石の手前で立止つた。私は喜びと期侍とに身をふるはせ、内心は怖れを感じながら、急ぎ足で馳せ寄つた。
私が何も言ひ掛けないのに、女は靜かに振返つた。……けれど矢張(やつぱ)り、女の眸(ひとみ)は見られなかつた。
眼は閉ぢてゐた。
その顏はすきとほるやうに白かつた。着ている白衣のやうに白かつた。露はな兩腕は、脇に垂れさがつたまま動かない。
さながら女は石に化したやう。そのからだも顏立ちも、悉く大珊石の像を思はせた。
女は手も足も曲げないで、ゆつくりと身をうしろに倒れると、その平らな板石のうへに沈むやうに身を橫へた。ふと氣がつくと私も何時の間にか、間じ石の上に、女と並んで橫はつてゐる。幕石の面に刻まれた彫像もさながら仰向きに身を伸ばし、兩手は祈りの形に胸の上に組んで、さて私もやはり石に化してゆくやうな氣がした。
幾瞬かがながれた。ふと女は起き上つて、再び遠のいて行つた。
私はそのあとを追はうとした。しかし私は身動きも、組みあはせた兩手を解きほぐすこともできず、なんとも言ひやうのない悲しみを抱いて、空しくその後姿を見送るばかりだつた。
すると、女はふとこちらを振返つた。そのときはもう、生き生きと表情に富んだ顏も、冴え冴えときらめく瞳もはつきりと見えた。女はじつに私に眼を注いで、音も無い笑ひに口もとを綻ばせた。――「起きあがつて、こちらへお出でなさい。」 女はさう言つた。
私はやはり身じろぎもできない。
すると女は再び笑みを浮べて、みるみるうちに遠ざかつて行つた。そのとき不意に色の燃え出でた薔薇の冠を、たのしげに頭のうへに揺りながら。
私は身動きもならず口も利けずに、墓石のうへに取り殘された。
一八七八年二月
[やぶちゃん注:訳者註。
*
『めぐりあひ』 この詩ははじめ『女』と題された。なほ手稿には「小説」に用いると傍記されてゐる。これに依つて見ると、トゥルゲーネフは『散文詩』のうち少くも或るものは、小説のための素材として書きとめて置いたものと見られる。
*
「紆つて」「めぐつて」。]
« トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) ロシヤ語 | トップページ | 佐藤春夫「女誡扇綺譚」校正終了 »