トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) われ行きぬ
われ行きぬ
われ行きぬ高嶺のあひを
谿のみち淸きながれを……
まながひに見ゆるものみな
ささやくはただ一つこと
人ありてこの身を戀ふと
そのほかはなべて忘れぬ
靑ぞらはかがやき滿ちて
葉のそよぎ小鳥のうたや
ゆきかひのしげきわた雲
ながれては行方しらじら……
澤(さは)なれやここのさひはひ
さはれうれなに羨まむ
わだつみの波もさながら
身は搖るる波のひろびろ
哀樂をとほく離(さ)かれる
しづもりに胸もはろばろ……
いつしかはわれ忘られて
おもへらくこの世の王(きみ)と
などとくに命たえせぬ
などふたり生(せい)をつなげる……
年かはり星にうつれど
あだめけるかの佳きときに
いやまさる幸(さち)もひかりも
消(け)ぬ雲と絶えてあるなく
一八七八年十一月
[やぶちゃん注:全体が一字下げであること、最後のクレジットの前が一行空いていることは底本のママである。文語定型詩としては美しいが、訳として達意であるかどうかは、やや疑問が残る。以下に、中山省三郎氏の達意の訳を掲げておく。
*
私は高い山々の間を行くのであつた
私は高い山々の間を、淸らかな河のほとりを
谷から谷へと行くのであつた……
瞳に映るありとあらゆるものは、
ただひとつのことを私に語る。
自分は愛されてゐた、愛されてゐた、この私は!
私はほかのことを忘れはててゐた!
空は高く光り、
葉はそよぎ、鳥は歌ふ……
雲は嬉々としていづくともなしに
つぎつぎに飛びわたり……
あたりのものは何もかもめぐみにあふれ、
しかも心はめぐみに不自由はしなかつたのだ。
波ははこぶ、私をはこぶ、
海の波のやうに寄せてくる波!
こころにはただ靜寂があつた、
喜びや悲しみを越えて……
やうやくにして心に思ふ、
この世はみな私のものであつた! と。
かかる時に私はどうして死ななかつたのか、
さうしてふたり何ゆゑに生きて來たのか、
歳月(としつき)は遠くうつる、……うつろふ月日(つきひ)
さうしてあの愚かしくめぐまれた日にもまして、
何ひとつとして甘美(うるは)しく明るい日を
與へてはくれなかつたのだ!
*]
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