トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 岩
岩
あなたは海邊に年を經た灰色の岩を見たことがあるか。麗らかに晴れわたる日の滿ち潮につれて、四方から生き生きと波の寄そせる樣を。寄せては打ち、甘え戲れ、眞珠(あこや)なす水沫を千々に碎いて、苔蒸す岩頭(がしら)を洗ふのを。
岩はいつまでも、同じ岩の姿である。けれど、その暗灰色の岩膚には、きれいな彩目があらはれる。
それは遠い昔を物語るのだ。花崗質(みかげ)の熔岩がやつと固まりかけながら、まだ一團の炎と燃えてゐた頃のことを。
そのやうに私の老いた心にも、つい近頃まで、若い女性らの魂が打寄せては碎けた。その優しい愛撫のために、夙(とう)の昔に褪せ凋れて私の彩目も、搔き立てられて紅らんだ。然し所詮は、消えた炎の跡形にすぎない。
波げ退(ひ)く。けれど彩目は失せない。きびしい冬風に吹かれても・
一八七九年五月
[やぶちゃん注:第四段落の「夙(とう)の昔に褪せ凋れて私の彩目も」の「て」は「た」の誤植か? 「跡形」は痕跡の意味の「あとかた」。にしても、この第四段落は意味が採りにくく、正直、訳としてはよろしくない。本篇に後の新改訳があるのは、そうした事情があるものと推察する。新しいものでは、この段落は『それとおなじく、わたしの老いた心にも、このあいだ、若い女性のまごころが八方からおしよせた。その愛撫の波にふれて、わたしの心は紅らみかけた。それは、とうの昔にあせた色どり、すぎし日の炎の跡なのだ!』と訳されており、素直に腑に落ちるのである。
「水沫」「みなわ」(歴史的仮名遣でも「みなは」ではない)。新改訳にもそうルビが振られてある。]