トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 勞働者と白い手の人――對話
勞働者と白い手の人
――對話
勞働者 なんだつて其處をうろうろするんだ。何か用かい、仲間でない奴にあ、出て行つて貰はう。
白い手の人 仲間だよ、兄弟。
勞働者 仲間だと? こりや大笑ひだ。まあ俺の手を拜んでみろ。ほれ、眞黑ぢやないか。肥(こえ)やタールの臭ひがするだらう。ところでお前のはどうだ。その生白い奴は、一體なんの臭ひがするんだ。
白い手の人(手を伸べる) 嗅いでみたまへ。
勞働者(嗅ぐ) こりや妙だぜ。鐡氣(かなけ)くせえや。
白い手の人 鐡の臭ひさ。まる六年、手錠を嵌めてゐたのだ。
勞働者 そりや又、どうして。
白い手の人 君たちのためを思へばこそさ。君たち無智な惨めな連中を、自由の身にして上げたいばかりに、君たちの壓制者に齒向つたのさ。謀叛をやつたのさ。それで投(ぶ)ち込まれた。
勞働者 ぶち込まれたのか。へん、餘計な眞似をするからよ。
二年後
同じ勞働者(もう一人に) おい、ペー公。一昨年(をととし)の夏、なんだか色の生白い奴が、俺たちと話をして行つたのを覺えてるかい。
第二の勞働者 覺えてるさ。それがどうした。
第一の勞働者 彼奴、いよいよ今日絞められるんだぜ。お布令が出た。
第二の勞働者 やつばり謀叛だな。
第一の勞働者 やつばり謀叛だ。
第二の勞働者 ふうん。……おい、ミー公。彼奴の絞められる繩のきれつ端が、なんとか手に這入らないかなあ。どえらい福の神が舞ひ込むつて話だぜ。
第一の勞働者 違ひねえ、ペー公。ひとつやつて見ようぜ。
一八七八年四月
[やぶちゃん注:「彼奴」「きやつ(きゃつ)」。
「お布令」「おふれ」と読んでいよう。お触れ。
「彼奴の絞められる繩のきれつ端が、なんとか手に這入らないかなあ。どえらい福の神が舞ひ込むつて話だぜ」これは西洋の古い民俗的な迷信を皮肉に用いたのであろう(それが呪力を持つというのはしばしば聴いた)。私はこの一篇を読むと自然、処刑される革命家の人肉饅頭を食べさせられる肺病病みの少年を描いた魯迅の凄絶な名篇「薬」が思い出されてならないのである。]
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