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2017/10/15

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 鳩


Hato

   

 

 わたしは、なだらかな丘の上に佇んでゐた。見渡すかぎり一面の麥の穰(みの)りは、金色のまた銀いろの海原をなして、なだらに擴つてゐる。

 しかしこの海には、波ひとつ立たない。大氣は蒸し暑く、そよりともしない。今にも大きな夕立が來さうな氣配。

 あたりはまだ暑い日ざしで、草いきれに煙つてゐる。が、麥畑の彼方遠からぬあたりに、鼠色の雨雲がむくむくと涌き出で、地平の半ばを蔽うてゐる。

 物みなは息を凝らしてゐる。物みな、凄じい落日の光に蒸されて、萎(な)え凋んでゐる。一鳥の姿もなく、聲もない。雀までが影をひそめた。ただ何處かすぐ間近に、大きな山牛蒡の葉が一枚、ばさばさと鳴りはためく。

 畠垣の苦蓬の香が、強く鼻をつく。わきおこる雨雲を眺めてゐると、なんとなく胸さわぎがしてくる。――「さあ急げ、急いでこい」とわたしは心のなかでつぶやく、「ひらめけ、金の蛇。鳴れよ、雷。まがつ雨雲は搖(ゆる)げ、飛べ、そそぎ降れ、そし斷て、のしかかるこの倦怠を。」

 けれど雨雲はじつとして動かない。ひつそりと鳴りをひそめた大地のうへに、相變らず重くのしかかつてゐる。思ひなしか僅かに膨らみ、やや黑みを增しただけである。

 そのとき、鼠一色の雲の面を、何かしら一片の雪とも、白いハンカチとも見まがうものが、ひらひらと掠めて過ぎた。それは、村の方から飛んで來た一羽の鳩だつた。

 みるみる一直線を引いて飛びかけり、森のなかに姿を消した。

 幾瞬かが流れた。矢張り同じ不氣味な靜寂が、あたりを領してゐる。けれど見よ、雪の面を今度は二枚のハンカチが、二片の雪が、もと來た道を引返す。それは先刻(さつき)の白鳩が二羽になつて塒(ねぐら)に急ぐ姿であつた。

 にはかに、嵐の幕は破れた。沛然として慈雨が來た。

 わたしは大急ぎで、やつと家に辿りつくことができた。――風は狂ひ吼え、雲は赤く低く、きれぎれに裂けて走る。物みな渦卷き入りみだれるなかを、篠つく雨の脚が大搖れに揺れながら地面を叩く。稻妻は靑くはためきわたり、雷鳴は、とだえてはまた轟く砲聲のやう。硫黃の匂ひもする。……

 ふと屋根庇のかげを見ると、二羽の白鳩が仲よく、明り窓の緣に並んでとまつてゐる。友を迎へに飛んで行つたのも、運れ戾されて恐らく命拾ひしたのも。

 二羽ともまん丸にふくれて、たがひの羽毛の觸れ合ふのを感じてゐる。

 樂しげな二羽の鳩よ。お前たちを眺めるわたしの心も樂しい。相も變らず孤獨なわたしだけれど。

             一八七九年五月

 

[やぶちゃん注:五段落目の最後には鍵括弧閉じるは、実は、ない。なくても問題はないとも言えなくもないが、矢張り落ち着かない。一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳の神西訳を元に池田氏が訳し直した「はと」によって特異的に補った。また、底本ではページ最終行であるため、クレジットが本文末の下二字上げインデントで入るが、改行した。

「山牛蒡」原文は“лопуха” で、これはキク亜綱キク目キク科ゴボウ属 Arctium を指すが、ここはユーラシア原産の我々の馴染みのゴボウ Arctium lappa でとってよいであろう。中山省三郎譯「散文詩」では「馬蕗」とあるものの、これは牛蒡の葉が、同じキク科のフキ Petasites japonicus に似ており、馬が好んで食べた事に由来するゴボウの別名である。

「苦蓬」キク目キク科キク亜科ヨモギ属ニガヨモギ Artemisia absinthium。ウィキの「ニガヨモギ」によれば、草高は四〇センチメートルから一メートルほどで、『全体を細かな白毛が覆っていて、独特の臭いがある。葉は』十五センチメートル『ほどの羽状複葉で互生する。葉の表面は緑白色、裏面は白色。花期は』七~九月で、『多数の黄色い小さな花を円錐状につける』。『原産地はヨーロッパ』であるが、『北アメリカ、中央アジアから東アジア、北アフリカにも分布している。日本には江戸時代末期に渡来した』。学名は「聖なる草」を『意味するエルブ・アブサントに由来する。英名』(worm wood:「ワーム」は蛇)『はエデンの園から追放された蛇の這った後に生えたという伝説に由来するとも、防虫剤に使ったからともいわれる』。『北欧のバイキングの間では死の象徴とされていた』。『葉、枝を健胃薬、駆虫薬としてもちいる。干したものを袋に詰め衣類の防虫剤として使う』。『清涼飲料水、リキュール、ハーブ酒などに香り付けなどの目的でつかわれる。食品添加物として認可されており、狭義ではカフェインと同じく苦味料に分類される。ニガヨモギを用いたリキュールでは、「緑の魔酒」ともいわれるアブサンが有名だが、白ワインを主にニガヨモギなどのハーブを浸けた、チンザノなどのベルモットの方が一般的である』。『一度にたくさん摂取すると含まれるツヨン』(thujone:「ツジョン」とも。モノテルペン。ケトン)『により嘔吐、神経麻痺などの症状が起こる。また、習慣性が強いので連用は危険である』とある。また、「新約聖書」の預言書とされる「ヨハネの黙示録」の第八章(一〇と一一)には、「第三のみ使いがラッパを吹き鳴らした。するとたいまつのように燃えている大きな星が落ちた。それは川の三分の一と水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言い、川の三分の一が苦よもぎのように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んでしまった」と書かれてあるが(引用は私の所持するフランシスコ会聖書研究所訳注版(昭和四七(一九七二)年中央出版社刊を用いた)、『これは正確にはニガヨモギではなく』、同属の別種『Artemisia judaica だとする説が有力であ』り、また、私は他でも何度か述べたが、チェルノブイリ原発事故直後から、この「黙示録」の一節と事故を重ね合わせ、『しばしば「ウクライナ語(あるいはロシア語)でニガヨモギはチェルノブイリ」などと言われることがあるが』『(ウクライナ語ではチョルノブイリ)』、『これは実は『正確ではな』く(私も教師時代にしばしばこの話をしたものだったが)、『ウクライナ語の「チョルノブイリ」(чорнобиль / chornobilʹ)』はニガヨモギの近縁種であるオウシュウヨモギ Artemisia vulgaris であって、種としてのニガヨモギを指すものではない。『チョルヌイ(chornyj)は「黒い」、ブイリヤ(bylija)は「草」の意味で、直訳すれば』、『「黒い草」となる。一方、ニガヨモギ Artemisia absinthium の方はポリン』(полин / polin)『であって、チェルノブイリではない。このオウシュウヨモギ Artemisia vulgaris(=チョルノブイリ)はニガヨモギ Artemisia absinthium と『ともに、原発事故』で全世界に知られるようになってしまった『チェルノブイリ周辺で自生し、その地の地名になっている』のではあるが、ロシア語でもオウシュウヨモギは「チェルノブイリニク」(Чернобыльнык / Chernobylʹnyk)、ニガヨモギは「ポルイニ」(Полынь / Polynʹ)であって、両者は厳然と区別されている。『これらが混同され』た上に、ファンダメンタリスト聖書原理主義者)の終末思想宣伝に我々は乗せられたに過ぎないことを、ここで明記しておきたい(下線太字やぶちゃん)。]

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