イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ作「散文詩」神西清訳 岩
岩
あなたは海べで、年をへた灰いろの岩を見たことがあるか? 晴れたうららかな日の満ち汐のとき、いきおいよく波が、八方からその岩に打ちよせるのを。――寄せては打ち、たわむれ甘え、きらめく水沫(みなわ)を真珠のようにくだいて、苔(こけ)むす岩がしらを洗うのを。
岩はいつまでも、もとの岩だ。――けれど、その暗い灰いろの岩はだには、くっきりと色どりがあらわれてくる。
それは、とおい昔をものがたるのだ。熔(と)けた花崗岩がようやく固まりかけて、まだめらめらと五彩の炎をあげていたころのことを。
それとおなじく、わたしの老いた心にも、このあいだ、若い女性のまごころが八方からおしよせた。その愛撫の波にふれて、わたしの心は紅らみかけた。それは、とうの昔にあせた色どり、すぎし日の炎の跡なのだ!
波は引いてしまったが……色どりはまだ、くもらずにいる。きびしい風にさらされても。
[やぶちゃん注:中山省三郎譯「散文詩」では「巖」。]
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