老媼茶話巻之弐 怨積靈鬼
怨積靈鬼(をんせきりやうき)
[やぶちゃん注:やや長いので、今回の注は私の作った段落末に、各個、配した。]
江戸糀町(かうぢまち)の裏店(うらだな)を借り、甚九郎といふ壱人者(ひとりもの)、纔成(わづかなる)小間物を賣(うり)、其日を送り有ける。
ある日、壱人の女、見せ先へ來り、腰をかけ、ものをもいはず、忙然(ばうぜん)として、日暮るゝまで立(たた)ず。
甚九郎、女にいふやう、
「もはや日暮におよぎ候儀、見せを仕舞申(まうす)。御立(おたち)玉はれ。」
といへども、返事せず。弐、三度いわれて、女振歸り見て、
「此方(こなた)の事に候哉(や)。先より、氣色(けしき)惡しく、目まい、いたし候まゝ、御斷(おことわり)も申さず休(やすみ)おり候が、兎角に一足も引(ひか)れ不申(まうさず)。近頃、わりなき申(わりなき)事に候得ども、今宵斗(ばかり)は、とめて給(たまは)れかし。」
と云。
甚九郎申樣、
「安き事に候へども、私も借屋者にて候。殊に女の御壱人(おひとり)、御つれもなく、いづく、いか成(なる)所の人と申(まうし)事もぞんじ不申、とめ候事、なり難し。御宿所(ごしゆくしよ)、仰聞(おほせきか)され候得。箯(あんだ)にて送りとゞけ遣すべし。」
といふ。
[やぶちゃん注:「箯(あんだ)」は「箯輿(あんだ)」で音が転じて「はんだ」とも呼び、低料金の粗末な駕籠(かご)のこと。負傷者や罪人などを乗せて担いだ。]
女中は、
「某(それがし)は遠(とほき)在郷のものにて、何の御氣づかひなるものにても無之(これなく)候。大屋へは左樣(さやう)御申(おまうし)なされずとも、一夜(ひとよ)斗(ばかり)は御とめ給はれ。」
とて、懷より金三分出し、宿代とて甚九郎に渡しける。
[やぶちゃん注:「金三分」江戸後期の標準換算でも現在の三万七千五百円ぐらいにはなる。]
甚九郎、是にめでゝ、
「一夜斗(ばかり)は。」
とて、粉藥抔(など)をあたへ、よくよく、いたわりぬ。
夜明(よあけ)て、女、いふ樣、
「御心もしらず、そこつに思召(おぼしめす)べく候得ども、其方(そなた)には御内儀樣も無御座(ござなし)と見へたり。御ふしやうながら、我等を女房になされ下されかし。さも候はゞ、幸(さひはひ)、金子少々所持致し候に、あきなひ元(もと)にいたし、渡世の便(たより)にもし玉へかし。」
とて、金弐三拾兩、いだす。賤(いやし)きものゝ淺ましさには、此金にめでゝ、夫妻のかたらひをなし、大屋へは、「國本より從弟(いとこ)の尋來」由、僞り、月日を送りける。
[やぶちゃん注:「ふしよう」「不肖」。未熟で劣れる者。
「弐三拾兩」当時の一両は六万相当であるから、百八十万円相当になる。]
甚九郎、合借屋(あひじやくや)に、源吉と云(いひ)て是も壱人者にて、日々、棒手振(ぼてぶり)をして渡世とす。
[やぶちゃん注:「合借屋」相借屋。同じ棟(むね)に借屋すること。相店(あいだな)。]
或夜、更(ふけ)て隣の紙窓(かみまど)より、稻光(いなびかり)、ひらめき出(いづ)る。
源吉、不思義に思ひ、しのび寄り、窓より内をのぞき見るに、甚九郎は、四、五日先、他所へ商ひに出(いづ)る。女房、ひとり、留守に有けるが、女房がつらつき、おそろしきけだ物の面(つら)の樣に成(なり)て、油つぎより、かはらけへ、あぶら、なみなみとうけ、一口に吞(のみ)ほし、灯を吹(ふき)けし、伏(ふせ)ける。
[やぶちゃん注:「つらつき」「面つき」。顔つき。
「けだ物」「獸物(けだもの)」。
「油つぎ」「油注ぎ」。
「かはらけ」「土器(かはらけ)」。素焼きの杯(さかずき)様の入れ物。]
其形、月影にて見るに、小牛のふしたる如し。
源吉、大きにおどろき、その翌日、甚九郎、歸りけるに、ひそかに右のあらましかたり聞せければ、甚九郎、きもを消し、何となく女房の氣色を伺ひ見るに、餘(よ)のつねの女にあらず。腹立(はらだち)ぬる事有(ある)時は、眼(まなこ)さかつり、口廣く成り、眼より、てらてらと、光、差出(さしいで)、人を、いる。容義うつくしき時あり、物すさまじき時(とき)有。長(たけ)高き事有、ひくき事有。
『いかさま化物なるべし。』
と思ひ、何とそして暇(いとま)をくれたくおもひ、大屋と示し合置(あはせおく)。
[やぶちゃん注:「餘(よ)のつね」他の普通の女。但し、「世の常」とも掛けて、実は人間の女でない妖怪に変ずる宿命的属性を内包していることをも伏線としていよう。]
ある時、源吉、來り、甚九郎に申(まうし)、
「大屋殿より、こなたの内義の事に付(つき)用有(あり)とて參りたり。大屋へ行(ゆき)玉へ。」
といふ。甚九郎、
「何事に候哉(や)。大屋殿、度々、行衞も知らぬ女、久しく留置(とめおく)とて家替(いへがへ)をせよと云(いひ)給ふ。また其事成るべし。」
と、つぶやきながら、源吉と打達レ大屋へ行(ゆく)。
早速歸り、甚九郎、女房に申樣、
「今度(このたび)、天下一統、御觸(おふれ)有。其趣(おもむき)は先月始(はじめ)、奧州棚倉(たなぐら)櫻町みさかや助四郎といふものの女房、夫を殺し、舅・姑を差殺シ、金銀を盜取(ぬすみとり)、家へ火を付(つけ)、燒上(やきあげ)、淨土寺法恩寺の一空といふ坊主と打(うち)つれ、逐電せしむ。その火、町中、燒拂ひ、棚倉の御城内迄、火、入(いり)、少々御城中も燒たる故、きびしき御詮義にて、坊主はとらへらるゝといへども、女、今以(いまもつて)、行衞、不知(しれず)。依之(これによつて)、怪敷(あやしき)女をばとらへ置(おき)、町御奉行江申出(まうしいだし)候樣にとの御觸也。大屋どのも、先(まづ)、そなたを親里へ返し置(おき)、源吉、媒(なかだち)にて、改(あらため)て女房に致し候樣に、との事也。我、今に取紛(とりまぎれ)、親里へも尋ねず。幸(さひはひ)なり、けふ、親里へともなひ行(ゆく)べし。用意し玉へ。」
と誠しやかに僞る。
[やぶちゃん注:「棚倉」棚倉(たなぐら)藩。陸奥国(磐城国)白河郡・菊多郡・磐前郡・磐城郡などを支配した藩で、藩庁は白河郡棚倉城に置かれた(現在の福島県東白川郡棚倉町。ここ(グーグル・マップ・データ))。城下になくてはいけないはずの「櫻町」「法恩寺」は不詳。作り話だから、いいかっ。]
女、大(おほ)きに氣色を替(かへ)、といきをつひて腹を立(たて)、
「我身事、先達(せんだつ)ても申(まうす)通り、親兄弟すべて、親類のゆかりと申も、なきものにて、誠に世の中の獨り者也。夫(それ)を知りながら、今更、天下の御觸有(あり)抔と僞り玉ふ。大惡の缺落(かけおち)もの、すへて人體書(にんがき)ありて其人の年頃・みめかたち・勢(せい)の長短・衣類衣服の色迄も、細かに御ふれ有(ある)事なれば、我等にてなき事は、知れたる事。是は我身にあきはてゝ、暇(いとま)をやらんとの工夫也。それはぞんじもよらず、この世は扨置(さておき)、後の世の其後(のち)のよも、はなるゝ事は、あるまじきものを。情なき仕方なり。」
とて、すさまじき氣色になり、つかみかゝらん有樣、以の外、おそろしかりければ、甚九郎もすべき樣なく、けつく、樣々、咤言し、漸(やうやう)なだめ置(おき)ぬ。
[やぶちゃん注:「けつく」「結句」。結局は。]
『所詮、此女、捨(す)さりにして、他國にて生涯を極むべし。』
と思ひ定(さだめ)、女房に向ひ、
「此所に居(をる)故に、とかくに、めん倒(だう)也。我、川崎に好身(ヨシミ)有。彼(かの)所へ登り、茶屋を立(たつれ)ば、夫婦(めをと)、樂々と過(すぐす)べし。十日斗(ばかり)の内に事を究(きはめ)、迎(むかへ)に歸り下るべし。夫(それ)まで待(まつ)べし。」
とて、旅用意をし、上方江登らず、引違(ひきちが)ひ、奧の三春(みはる)といふ所へ下り、二日町といふ所に宿とりて、廿日斗(ばかり)過(すぎ)ける夕べ、甚九郎、借屋の庭へ、光り物、落(おち)ける。
[やぶちゃん注:「三春」現在の福島県田村郡三春町(みはるまち)。ここ(グーグル・マップ・データ)。「二日町」は不詳。]
其夜、更(ふけ)て、寢屋の戸をたゝくものあり。
「たれそ。」
といへば、江戸に捨置(すておき)たるつまの聲にて、
「爰(ここ)明け玉へ。」
と云(いふ)。
おそろしさに音もせず、夜の衾(ふすま)を引(ひき)かぶり、息をころして居(ゐ)たりけるが、程なく、戸を押破(おしやぶ)り、甚九郎が伏(ふし)たるまくらもとへ、女房、來り、甚九郎を引起(ひきおこ)し、絶(たえ)て音づれざりし恨みをいゝ募り、泣(なき)ぬ。
甚九郎、ふるへ、ふるへ、樣々に云(いひ)なだめ、かくて、五(いつ)、七日(なぬか)も過(すぎ)けるが、
「兎角、この女と壱所(ひとつところ)に有(あり)ては、行末、よかるまじ。ひそかにおびき出し、山中にて差殺(さしころ)し、後難をまぬかるべし。」
と、おもひ定(さだむ)。
ある時、女に申けるは、
「此邊も、又、おもわしからず、是より猶、奧へ下り、仙臺にて、兎も角も、渡世をいとなむべし。是より仙臺へは行程、二、三日の事也。」
とて女房をすかし、其曉、熊山へ懸り、谷よ峯よと、さまよひ、山中、とある辻堂にいたり、
「爰にて暫く休むべし。」
とて、晝飯など、取出(とりいだ)し、ひとつにしたゝめ、折を見合(みあはせ)、立上(たちあが)り、脇差を引拔(ひきぬき)、女の胸元を突(つき)つらぬく。
[やぶちゃん注:「熊山」不詳。
「ひとつにしたゝめ」殺害の契機を逃さぬために、食事を一つに纏め、妻との位置を近接に確保したということであろう。]
女、
「わつ。」
と、いいながら、夫(ヲソト)に取懸るを、取(とつ)て押伏(おしふ)せ、引(ひき)あをむけ、ふえのくさりをかき切(きる)。
[やぶちゃん注:「ふえのくさり」「くさり」の原義は「関節」であるが、ここは「笛のくさり」の形で、「咽喉仏(のどぼとけ)の軟骨」を指す。]
あまりにおそろしく、身の毛立ければ、足にまかせ、夜もすがら、山路をたどり、山陰の小寺壱ツ有(ある)に行付(ゆきつき)て、門をたゝき、案内するに、小僧、立出(たちいで)、戸をひらき、内へ、いるゝ。
住僧は六十字(ムツジ)あまりに見へて、風骨、凡ならず。甚九郎を見、驚(おどろき)て、
「汝は、必(かならず)、此山中にて山姑(サンコ)・旱母(カンボ)の類(たぐひ)に逢(あひ)たるねし。死、卽刻にあり。つゝまず、語れ。」
といふ。
[やぶちゃん注:「六十字(ムチジ)あまり」「六十路餘り」。六十歳余り。
「風骨」風体(ふうてい)。見た感じの様子。
「山姑(サンコ)」山姥(やまうば・やまんば)と同義。奥山に棲む老女の怪。山に棲み、人を食らうとされた。「鬼婆」「鬼女」とも同じい存在と考えられた。
「旱母(カンボ)」魃(ばつ/ひでりがみ)のことで、本来は中国神話に登場する旱魃の女の鬼神で、手足がそれぞれ一本しかない妖怪とされるが、本邦に輸入されると、山姥と習合した嫌いがある。ここも差別化した妖怪種として名指し、僧が自身の知をひけらかそうとした感があるように私は思う。]
甚九郎、不思義の女に逢(あひ)ける始終、事細かに語る。
僧、聞(きき)て、
「是、怨積の靈鬼といふもの也。女を殺し、災(ワザワイ)をまぬかるゝとおもへども、其靈鬼の魂(たましひ)、汝が身に付添(つきそひ)有(あり)。今夜、必ず、汝が精血を吸(すひ)、肉を喰ひ、骨をかみ、一寸の皮骨も殘さじ。誠、不便(ふびん)の事也。我、其災を除きとらせん。その女を殺せし所へ行(ゆき)、其死骸を持來(もちきた)るべし。」
と云。
甚九郎、おそろしく思ひけれども、又、元の道に立歸り、女を殺せし辻堂にいたり、女の死骸を見るに、眼をてんがんに見はり、齒がみをし、まゆを八字にしかめ、さも、すさまじき體相(ていさう)也。この死骸を菰(こも)につゝみおいて、寺へ歸り、和尚に見せしむ。
[やぶちゃん注:「てんがん」「天眼」。真っ直ぐに宙天を睨んでいる眼を指す。非常に強い禍々しい陰気を持っていることの証しである。]
和尚、女の死骸を見玉ふに、旱母・山姑の類なり。
和尚、則(すなはち)、死骸に立(たち)テむかひ、その額に、「鬼畜變體即成佛(きちくへんたいそくじやうぶつ)」の七文字を書(かき)、首に血脈袋(けちみやくぶくろ)と數珠(ずず)をかけさせ、白かたびらを着せ、あたらしき桶に入(いれ)、柱杖(シユジヤウ)を以(もつて)、棺を一卓(タク)し、垂示(スイシ)の句をしめして後、
「今、汝に授(さずけ)る所は『トン成佛』の妙文(みやうもん)なり。靈鬼(りやうき)、請(うけ)たもち、必ず、地獄へだざいせしむること、なかれ。則(すなはち)、法名『妙空』となづく。」
と合掌し、念佛讀經し、さて、甚九郎に向ひ、
「其方はこの棺を佛壇へそなへ、其片原(かたはら)に、終夜、念佛申(まうし)、いかやうのおそろしき事ありとも、聲をも立(たて)ず、有(ある)べし。若(もし)、聲を立(たて)、驚きさわぎなば、靈鬼の爲に、命をうばはるべし。」
とおしへ、甚九郎、和尚の教(をしへ)のごとく、棺を佛壇に備へ、其かたはらに有8あり)て、念佛となへ夜の明(あく)るを待(まつ)に、夜、深更に及んで、雨、一降り、降出(ふりいだ)し、稻光、ひらめき、佛壇、鳴動し、棺の内、しきりに呼(よぶ)聲、有(あり)て、内より、棺の蓋を押明(おしあけ)、女の死骸、立出(たちいづ)る。
[やぶちゃん注:「血脈袋」在家の受戒者に僧が授ける法門相承の系譜を入れた袋。死後、棺に納める。
「だざい」「堕罪」。
「片原」「傍ら」。]
其有樣を見るに、長(た)ケ七尺斗(ばかり)にて、髮をふり亂し、眼はかゞみのごとく、口さけのぼり、額に牛のごとくの角、二ツ、生出(おひいで)、あたりを見𢌞し、甚九郎をみて、已に、飛ひ懸らんとせしが、首に懸たる血脈袋と珠數を見付(みつけ)、是をしきりにはづさんとする事、數度(すど)なりしかども、終(つひ)にはづし得ズ、甚九郎が事も、打(うち)わすれ、曉に至りて、死骸、佛だんに倒れて、後、弐度、起(おき)す。
甚九郎、彌(いよいよ)、念佛、申居(まうしゐ)たりける。
曉に成(なり)、和尚、來り給ひ、此由を見て、
「扨は、其(その)靈鬼、妄念、過(すぎ)たり。心安く思ふべし。」
とて、又、改(あらため)て女の死かばねを取(とり)おさむ。
女の顏色、もと見しとは替り、にうわの體相(ていさう)となり、目をふさぎ、口をとぢたり。
[やぶちゃん注:「にうわ」「柔和」。]
火葬し、死骸を、經文書(かき)しかたびらに包み、念頃に掘埋(ほりうづ)む。
甚九郎は再生の恩を得て、和尚の元にて剃髮し、名を「空丹」と名付、道心けんごにて終りけると也。
[やぶちゃん注:「けんご」「堅固」。
なお、本話は田中貢太郎が「山姑(やまうば)の怪」として現代語訳している。「青空文庫」のここで読めるが、原話の方が遙かによい。]