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2017/10/09

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 訪れ


Otozure

   訪れ

 

 明け放した窓べに坐つてゐた。朝――五月一日の夜明けである。

 暁の光りはまだ射さない。けれど蒸暑い夜の闇は、やうやく冷え冷えと白みはじめた。

 そよとの風もなく、朝霧も立たない。眼にうつる物の影はどれも皆、ひと色に靜まり返つてゐるが、さすがに目覺めの時の近まりが感じられる。薄らいでゆく大氣のしつとりした潤ひ、鼻をつく露の香。……

 ふと、明け放しの窓から、一羽の大鳥がはたはたと、羽音も輕やかに舞ひ入つた。

 私は愕いて、じつと眼を注いだ。見るとそれは鳥ではなくて、翼のある小さな女だつた。

 ぴつちりと身に合つた長い衣を着て、その裳がひらひら風にゆらいでゐる。

 その全身は灰色に、眞珠母の色に輝き、ただ翼の内側のみ、綻びかける薔薇の蕾に似た淡い。小さな頭に房々と亂れる捲毛を、鈴蘭の花冠で留めてゐる。可愛らしいおでこの額には、二枚の孔雀の羽が、まるで蝶の觸鬚のやうに剽輕に搖れてゐる。

 彼女は天井際を二囘ほど舞ひながら、小さな顏一ぱい微笑んだ。きらきらする大きな黑眼も、やはり微笑んでゐる。

 氣儘な翼を伸べ、思ふさま翔るにつれて、兩眼の晶光は粉々に碎け散る。

 彼女は野花の長い莖を手にしてゐる。帝笏草とロシヤ人の呼ぶその野花は、ほんとに笏杖に似てゐる。

 すばやく頭上を舞ひ翔りながら、彼女は時々その花で私の髮に觸れた。

 私が女を捉へようと掛ると、その姿はいち早く窓の外へ翔り去つて、たちまち見えなくなつた。

 庭の紫于香花の繁みに、雉鳩の初音が彼女を迎へ、その消え去つたあたりには、乳色の曉天が靜かに紅らみはじめた。

 私は御身を知つてゐる、幻想の女神よ、御身はふと私を訪れて、たちまり若い詩人の許へと翔り去つたのだ。

 ああ、詩よ、靑春よ、また女性の、處女の美よ。御身はなほ時の間を私の前にきらめく。

 早春の朝明けの一とき。

             一八七八年五月

 

[やぶちゃん注:太字「そよ」は底本では傍点「ヽ」。第六段落の「蕾に似た淡い小さな頭」は底本では「蕾に似た淡小さな頭」となっていて読めないので、「さ。」の脱字と断じて特異的に、恣意的に、かく、した。大方の御叱正を受ける覚悟はあるが、中山省三郎譯「散文詩」では、

   *

彼女はすつかり灰色で、眞珠のやうな色をしてゐた。ただ翼の内側ばかりが、咲きそめた薔薇の葩(はな)のやはらかな紅を帶てゐた。鈴蘭の花冕(かむり)は、[やぶちゃん注:以下略。]

   *

となっており、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」(この多くの詩篇は本神西訳を元に池田氏が訳し直したものである)では、

   *

 その全身は白っぽく、眞珠いろに輝いている。ただ翼の内側にのみ、ほころびかけた薔薇の蕾に似た淡い紅がさす。すずらんに鈴蘭の花冠が、[やぶちゃん注:以下略。]

   *

となっているから、神西もここで文を切ったとほぼ確実に推定されるからである。

 以下、訳者註。

帝笏草 Verbascum thapus の露名 Taraslij zhezl を直譯したもの。

 

「觸鬚」「しよくしゆ(しょくしゅ)」と音読みしておく。触角のこと。

「剽輕」(へうきん(ひょうきん))の「キン」は唐音。気軽で、おどけた感じのすること。また、そのさま。

「翔る」「かける」。

「兩眼の晶光は粉々に碎け散る」「晶光」は英語の“brilliant light”(美しく煌(きら)めく光)の意であろうが、こんな熟語は今時、使わない。全体に訳が如何にも生硬で意味が採りにくい。中山では、この前後は、

   *

 氣儘に飛んで、戲れるので、彼女の眼は金剛石のやうに輝いた。

   *

で、池田氏の改訳でも、

   *

楽しげな、気ままな、すばやい飛翔(ひしょう)につれて、ダイヤとまごう両眼の光が、そこかしこに飛び散る。

   *

となっている。

「帝笏草」「ていしやくさう(ていしゃくそう)」と読んでおく。この原文は“царским жезлом”で、“царским”は「ツアーリの」で、“жезл”は権力や職権を表わす笏杖(しゃくじょう)のこと。この Verbascum thapus とはシソ目ゴマノハグサ科モウズイカ(毛蕋花)属ビロードモウズイカの学名。名称はこの植物の毛深さに由来する(以下のリンク先の写真を参照)。ウィキの「ビロードモウズイカによれば、『ヨーロッパおよび北アフリカとアジアに原産するゴマノハグサ科モウズイカ属の植物である。アメリカとオーストラリア、日本にも帰化している』とあり、『この植物の大きさや形を元にした名前として、"Shepherd's Club(s) (or Staff)"(羊飼いの棍棒(または杖))』や『"Aaron's Rod"(アロンの杖)(これは、例えばセイタカアワダチソウのような、背の高い花穂に黄色い花を群がり付ける他の植物に対しても使われる))そして、他にも「何何の杖」は枚挙に暇がないくらい』多数あるとする。因みに、『日本では「アイヌタバコ」「ニワタバコ」などの異名がある』と記す。グーグル画像検索「Verbascum thapusを添えておく。皇帝の笏杖の意が何となく判る。

「紫丁香花」ムラサキハシドイ。モクセイ目モクセイ科ハシドイ属ライラックSyringa vulgarisの標準和名。花言葉には青春の思い出・純潔・初恋等があり、確信犯の描写であろう。

「雉鳩」我々が普通に見かけるヤマバト、ハト目ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis であるが、中山では「數珠掛鳩」(じゅずかけばと)と訳されている。こちらは同属の別種で、白色のものが手品等でお馴染みの、ハト目ハト科ジュズカケバトStreptopelia roseogrisea var. domestica となる。原文を見ると、“горлинка”で、これはキジバト属を指す。]

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